REVIEW
映画『彼が愛したケーキ職人』
同じ男性を愛し、喪った悲しみに暮れる二人の男女……主人公のちょっと現実離れした、ストーカーまがいの行動に違和感を覚える方もいるでしょうし、その悲しみの深さや愛の強さに胸を打たれる方もいるでしょう。切なくも美しい、いろんな解釈ができるような映画でした。

もしかしたら「ちょっとヤバいのでは…」と思われるかもしれないほどの主人公の愛の強さ・ひたむきさが、しみじみと胸を打つ、切なくも美しい作品だと感じました。自分と異なる宗教、異なる民族への差別心やホモフォビアと、人間の純粋な愛との相克を鮮烈に描いた作品である、とも言える気がします。実にいろんな見方、いろんな解釈ができるような映画です。レビューをお届けします。(後藤純一)
<あらすじ>
ベルリンのカフェで働くケーキ職人のトーマスと、エルサレムから出張でやって来るなじみ客オーレンは、いつしか愛し合うようになっていた。「また1ヶ月後に」と言って、オーレンは妻子が待つエルサレムへ帰って行ったが、連絡が途絶えてしまう。オーレンが交通事故で亡くなったと彼の勤め先で聞き、ショックを隠せないトーマス。一方、エルサレムで夫の死亡手続きを済ませた妻のアナトは、休業していたカフェを再開させ、女手ひとつで息子を育てる多忙な日々を送っていた。ある日、アナトのカフェに客としてドイツ人がやってきた。職を探しているというトーマスを、アナトは雇うことにするが……。
結論から言うと、個人的には、とても好きな映画です。
主人公のトーマスは、天涯孤独で、ケーキやクッキーを焼くことしかできない職人です。職人気質。真面目一徹。黙々と生地をこねて、日々を過ごしています。髪型とかもダサいし、純朴な感じです(そこがいいのです)。たぶん人との関わり合いも得意ではなく、とても不器用です。オーレンと出会うまで、ほとんど恋愛をしたことがないのではないでしょうか。遊ぶということを知らない人なのだろうと思います(エルサレムで、ハッテンできそうなシチュエーションがあり、トーマスもそれに気づいていたけど、誘いには乗ってないはずです。ベルリンという「ヨーロッパのゲイの首都」とすら言われるような街にいて、その気になればいくらでも出会えるし、遊べるわけですが、全くそういうことに縁がなかったように見えます。もしかしたらゲイじゃないのかもしれません)。とにかく性愛に関しては、スレてない、ピュアな人物です。
そんなトーマスが、お店をほったらかしてエルサレムへ渡り、オーレンとのことは黙ったままで、その奥さんのもとで働きはじめ、奥さんや息子、母親などとも次第に打ち解け、まるで家族のように(オーレンの身代わりのように)なっていきます。一歩間違えばストーカーと見なされるような行為ですが、トーマスはいったいどうしてそんなことをしたのでしょうか?
トーマスは、月に何度か出張でベルリンに来るオーレンに言い寄られ、愛し合う関係になりましたが、果たしてつきあっていると言えるのか(世間の多くの人は「不倫だ」と思うことでしょう)、オーレンがどこまで本気だったのか、よくわからない状況で、一時帰国しました。天涯孤独なトーマスにとって、オーレンは唯一の「家族」であり、たぶん彼の人生のすべてでした。それなのに、連絡がつかなくなり、詳しいことはわからないけど突然亡くなったとだけ伝えられ、もう、いてもたってもいられなくなって、狂おしい気持ちでエルサレムを訪れたのでしょう。本気で愛した男の影を追い求め、何でもいいから、彼の気持ちや、思い、その手がかりを知りたいと、否応なしにあふれてくる思いを何とかおさめたくて、彼の家族に近づいたんだと思います。そして、少しずつアナトと心を通わせ、家族として食卓に招かれるようになり、彼が食べていた物を食べ、彼が愛した家族とふれあい、そして…気づけば、アナトとの関係が、引き返せないくらい深くなっていて…それは決してオーレンのことを聞き出すためのスパイ的な偽装ではなく、愛する男を喪った悲しみを共有する者どうしの必然だったのかもしれませんし、とても一言では言えない、映画だからこその真実の表現です(きっとそれは、神のお導きなのだとさえ、思います)
オーレンのお母さんが印象的です。ひとめ見て、すべてを受け入れたような感じに描かれています。
対照的に、アナトの義兄(オーレンの実の兄)であるモティは、トーマスのことを快く思わず、不信感をあらわにします。家族たちがトーマスと仲良くなりすぎないよう警戒し、トーマスの作ったものを食べるな、などと息子に吹き込んだりします。男どうしだから、かもしれません(アナトと仲良くしていることへの嫉妬)。民族が違うから、かもしれません(ユダヤ人として、ドイツ人を特に憎んでいるのかもしれません)。異教徒だから、かもしれません(なんと、エルサレムでは、非ユダヤ人がオーブンを使う店は、営業許可が下りません。それほどユダヤ教が厳格に息づいています)。クッキーやケーキなんて焼いて、女子どもに取り入りやがって、という気持ちなのかもしれません(ある意味、ホモフォビアのようなものでしょう)。モティはエルサレムのユダヤ社会の厳格さや偏狭さ、「父なるもの」を体現する人物だったと思います。
この映画には、いくつかの解釈の余地があると思います。
トーマスがアナトたちに近づき、家族の中に入っていくことについても、いろんな見方ができます。ストーカーじゃん!と拒絶反応を示す方もいるでしょう。トーマスはオーレンそのものになったのだ、と言う方もいます。
オーレンのお母さんの反応も、トーマスとオーレンの関係を察知してのことだと見ることもできるし、トーマスを息子の生まれ変わりのように見ているという解釈も成り立ちます。
ラストシーンもそうで(詳しくは書きませんけども)、いろんな解釈が可能です。
優れた作品とは、そういうものだと思います。豊かな行間が広がっていて、じわじわとくる深ーい余韻があり、何度も観たくなります。
もし私がこの映画をどう解釈したか、この映画から何を受け取ったか、と聞かれたら、このように答えます。
愛する人が愛していた人というのは、それだけで愛する必然性があるということ。愛とはそういうものであるということ。
エルサレムが舞台なので、たまたま思い出したのですが、村上春樹がエルサレム賞を受賞した際のスピーチで「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」と語っています。この映画はまさに、そのようなスタンスで作られていると言えます。アナトの義兄・モティが体現するユダヤ社会が「高くて硬い壁」、トーマスとアナトの(少なからず込み入った)愛が「卵」です。かといって、「卵」が壁にぶつかって割れ、一巻の終わりというわけではなく、きっと再生するだろう、壁を越えていくだろうという希望を感じさせます。
監督は、オフィル・ラウル・グレイツァというイスラエルの若手監督です。学生時代に制作した10分程度の処女作「a prayer in january 」が、すでにしてゲイカップルの話で、『彼が愛したケーキ職人』と同様、ベーキング(生地をこね、パンを焼く)のシーンも出てきます。きっと監督にとって思い入れのあるモチーフなのでしょう。
初の長編作品である『彼が愛したケーキ職人』は、カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭でワールドプレミアされるやいなや、観客から総立ちの拍手喝采で絶賛され、エキュメニカル審査員賞を受賞する快挙を成し遂げました。30代にしてこの深みを出せるというのはスゴいことです。今後も楽しみです。
主演のティム・カルクオフは、全く無名な俳優さんだそうですが、とてもいいと思います。決して万人受けするルックスではありませんが、佇まい(がっちりした体格が醸し出す職人の肉体美)が素晴らしいし、繊細な表情も素晴らしいです。今後も活躍してほしいです。
『彼が愛したケーキ職人』The Cakemaker
2017年/イスラエル・ドイツ合作/監督:オフィル・ラウル・グレイツァ/出演:ティム・カルクオフ、サラ・アドラー、ロイ・ミラー、ゾハル・シュトラウス、サンドラ・シャーディーほか
INDEX
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