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REVIEW

映画『ダウントン・アビー』

執事のトーマスのゲイ・エピソードを中心に、世界的に大ヒットしたドラマ版と映画『ダウントン・アビー』の魅力について、レビューをお届けします。

映画『ダウントン・アビー』

  ドラマ『ダウントン・アビー』(シーズン1〜6)は、1912〜1925年のヨークシャー地方の大邸宅「ダウントン・アビー」で暮らすグランサム伯爵クローリー家とその使用人たちの生活を描いた群像劇で、人間関係や思惑が複雑に絡み合う伯爵一家の内情だけでなく、タイタニック号沈没事件や政治情勢の変動など、当時の社会背景もふんだんに盛り込みながら、貴族階級のゴージャスな衣装などにもこだわりながら、支持を厚くし、ゴールデングローブ賞やエミー賞といった名立たる賞を受賞してきた作品です。日本でもNHK総合で放送されました。
 このドラマの世界的な成功を受けて製作された映画『ダウントン・アビー』は、TVシリーズ最終回から2年後の1927年が舞台です。英国国王夫妻がダウントン・アビーを訪問するという一大事を描きます。グランサム伯爵家の長女・メアリーは、かつての執事・カーソンと共に、パレードや豪勢な晩餐会の準備にあたり、大忙し。しかしそんななか、一族やメイドたちのスキャンダルやロマンス、陰謀が次々と明るみになっていくのです…。
 この『ダウントン・アビー』、一見、英国貴族の絢爛豪華な生活と大邸宅の中で起こるドロドロの人間模様を描いた、よくある作品だと思われがちなのですが(そんなに間違ってはないのですが)、なぜこの現代に大ヒットしたのか(映画公開時には全米でNo.1ヒットを記録)、そして、なぜGLAADメディア賞の映画部門(全米公開作品)5本のうちの1本にノミネートされたのか、について、お伝えしていきたいと思います。





 
<あらすじ>
1927年、国王夫妻がダウントン・アビーを訪れるという知らせが届き、住人も使用人たちも色めき立つ。グランサム伯爵家の長女・メアリーは、パレードや晩さん会の準備のために引退していた元執事のカーソンを呼び戻すが、執事のトーマスは機嫌を損ね、おひまをいただくと宣言。下見にやって来た国王夫妻の従者たちは、自分たちが夫妻の世話や給仕を取り仕切ると居丈高に告げ、ダウントン・アビーの使用人たちと一触即発状態に…。一方、先代伯爵夫人バイオレットは、従妹にあたる王妃の侍女・モードと久しぶりに会うことになるが、二人は犬猿の仲で…。

 ロケ地は、ヨークシャーに実在し、実際に貴族階級の方々が暮らしているというハイクレア城というお屋敷です(ちなみに、キューブリック監督の遺作であり、トム・クルーズとニコール・キッドマンが大邸宅での淫靡な仮面舞踏会に迷い込むのが衝撃的だった『アイズ ワイド シャット』も、ここで撮影されています)。英国のお城やお庭の美しさ、瀟洒な調度品(音楽室にあるマホガニーの机と椅子は、かつてナポレオンが所有していた物だそう)、貴族的なライフスタイル、そして、王族の方々や貴族階級の方々が着ている衣装の素敵さにウットリさせられます(ある意味、ゲイテイストかも)
 クローリー家の人々は、犬神家の人々のように遺産相続をめぐって争ったりしませんし、岡倉家のような嫁姑問題もありません。意外なことに、貴族と使用人の対立すらもありません。今回の映画では、国王夫妻の訪問という一大イベントに際して、クローリー家も使用人たちも一致団結してこのお祭りに誇りを持って取り組んでいます。
 『ダウントン・アビー』では、貴族には貴族の苦労があるし、使用人には使用人の苦労がある(会社の社長には経営者としての苦労があるし、新入社員だってもちろん苦労はある、というのと似ています)という人間観で、貴族も使用人も関係なく、たくさん登場する人たち、一人ひとりに、ある意味平等にスポットライトが当たっているのです。
 そして、大きな特長は、女性が中心であるということで、そこが『ダウントン・アビー』大ヒットの理由の一つだと思います。クローリー家は、ロバート(グランサム伯爵)と妻のコーラの間に3人の娘がいて、ロバートの母であるバイオレットを筆頭に、ほとんど女性たちが切り盛りし、女性たちが力を握っている家なのです(映画ではすでに家長は長女のメアリーになっています。芯の強い女性です)。ロバートは決して偉そうな振る舞いはせず、温かく見守っている感じです。20世紀初頭の英国の貴族階級ですから(制度的にも男子が家督を継ぐことになっています)家父長制的で男尊女卑な展開になってもおかしくないところですが、そうではなく、女たちが男と対等に振る舞い、自信を持ち、力を与えられ、強く生きている(同時に、女性らしさや美しさも持っている)という現代的なところが、世界中にファンを広げ、映画化にもつながった最大の魅力なんじゃないでしょうか。
 そういう意味では、『セックス・アンド・ザ・シティ』と支持層が似ているんじゃないかと思いました。『SATC』は、女性たちが自立して、セックスや恋愛においても主導権を握り、女性らしさや美しさも輝かせながら(ファッションにも貪欲でありながら)、生き生きと自分の人生を謳歌していく、いろんな困難や、不幸な出来事もあるけど、女友達どうし(ゲイも一緒に)支え合いながら乗り越えていく…その姿が共感を呼び、世の女性たち(やゲイ)の熱い支持を得ました。そう言えば『SATC』もシーズン6まで続いて、映画化されたんでした。


 
 ドラマの冒頭(シーズン1の第1話)で障害の問題が描かれていたのも、象徴的だと思います。
 ロバートの従卒を務めた元軍人のベイツが使用人として雇われ、ダウントン・アビーにやって来るのですが、戦争の後遺症で足が不自由で、杖をついて歩いている中年のベイツを、使用人たちは最初、足手まといだとばかりに見下し、わざと転ばせたり、なんとかして追い出そうと策略を巡らせたり、それはそれはひどい…あからさまな差別・いじめが描かれます。そうした確執がありながら、最終的にはベイツはダウントン・アビーに馴染むことができ、結婚して幸せになれるのですから(映画版にも出てきます)、明らかに社会的マイノリティを応援するスタンスです。
 『ダウントン・アビー』がスポットライトを当て、エールを贈っているのは女性や障害者だけではありません。同性愛者(ゲイ)もそうです。
 
 ドラマ版において、執事見習いのトーマスは(たいへんビッチで腹黒いキャラクターですが)、自身がゲイであるということに苦しみ、同性愛を治療できるという新聞広告を見てホルモン注射をするようになります。その注射が原因で感染症を患い、シーズン6ではついに自殺を図るのです…。
 20世紀初頭の英国というのは、そんなにもゲイにとって生きづらい時代だったのです(アラン・チューリングの悲劇のことも思い出されます)
 ドラマ『ダウントン・アビー』でのゲイのリアリティは、あまりにも痛ましいものでしたが、映画では(詳しくは書きませんが)希望が感じられるような、解放の兆しが見えるような描かれ方になっていました。きっと多くの観客が「おめでとう、トーマス。よかったね」と思ったはずです。
 たくさんの登場人物が出てくるなかで、トーマスは、執事長ではあるものの、一使用人で、これまでの映画だったら、使用人のプライバシーなんてどうでもいいと、ゲイだろうと何だろうと知ったこっちゃないと切り捨てられてもおかしくなさそうなものなのに(それか悪意を持って描かれるか)、こともあろうに国王夫妻がやって来るという最高にブリリアントなストーリーと並行して、わざわざ(やや唐突な感もある)対照的とも言えるゲイのエピソードを盛り込んだのは、ちょっとスゴいと思います。そこまでしてゲイであるトーマスを応援したかったんだな…と思うと、胸アツでした。
 そういったところが、GLAADメディア賞ノミネートの理由なんだと思います。
 
 ゲイに関するエピソードは映画全体から見るとほんのわずかではありますが(長さにして約10分くらいでしょうか)、そこだけでなく、きっと全体を通して、その世界観に魅了されることでしょうし、いい映画だな、と思えると思います。

 問題は、ドラマを観てなくても話の内容が理解できるのか?という点だと思いますが、シーズン6まであるTVシリーズを全部観て予習するのはなかなか厳しいものがありますので、映画『ダウントン・アビー』約10分でおさらいできる特別映像をぜひ、ご覧ください。これで大体OKです。

 
 
ダウントン・アビーDownton Abbey
2019年/イギリス・アメリカ映画/監督:マイケル・エングラー/脚本:ジュリアン・フェローズ/出演:ヒュー・ボネヴィル、ジム・カーター、ミシェル・ドッカリ―、エリザベス・マクガヴァン、マギー・スミス、イメルダ・スタウントン、ペネロープ・ウィルトンほか
TOHOシネマズ日比谷ほか全国で公開中
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