REVIEW
恋に翻弄されるゲイの愚かで滑稽で愛すべき姿態をオゾン流にキャムプに描いた大傑作メロドラマ『苦い涙』
どうしようもなく恋に溺れてしまう人間の(太った中年のゲイの)ちょっと愚かで滑稽だけど、愛すべき姿態を、フランソワ・オゾン流にキャムプに描いた、実に素敵で楽しい大傑作ゲイ・メロドラマ映画です
フランソワ・オゾン監督の最新作『苦い涙』が公開されました。「にがい涙」と聞いてスリー・ディグリーズを思い出す方もいらっしゃるかもしれませんが、これは、伝説の映画監督ライナー・ベルナー・ファスビンダーの1972年の『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』を現代風にアレンジした作品です。オゾンが敬愛するファスビンダーの戯曲を映画化したのは2000年の『焼け石に水』以来で、2022年のベルリン国際映画祭コンペティション部門出品作としてオープニングを飾り、大喝采を浴びたそう。若く美しい青年に恋をして翻弄される映画監督ピーターの姿がユーモアたっぷりに、シニカルに描き出されています。
『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』はもともと5幕の戯曲で、のちに監督自身によって映画化されました(監督が恋をする女性の役を『苦い涙』で母親として登場したハンナ・シグラが演じています)。オゾンの『苦い涙』は、女性だらけの原作をゲイの物語に替えて映画化しています。
主人公のピーターを演じるのはフランスの人気俳優ドゥニ・メノーシェ。名女優イザベル・アジャーニが、ピーターの親友で大女優のシドニーを演じ、ミステリアスで強烈な存在感を放ちます。ピーターの母親役を、ファスビンダーの映画『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』で監督の恋人の役を演じていた名優ハンナ・シグラが演じているところにオゾンのリスペクトが感じられます(スピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』にリタ・モレノが出演していたように)。そのほか美青年アミール役のハリル・ガルビア、助手カール役のステファン・クレポンなど若手俳優たちが出演しています。
『ヘアスプレー』『ピンク・フラミンゴ』のジョン・ウォーターズ監督は、2022年のベストシネマの1位に本作を選び、「圧倒的に最高の映画」と絶賛しています。
<あらすじ>
著名な映画監督ピーター・フォン・カントは、恋人と別れて激しく落ち込んでいた。助手のカールをしもべのように扱いながら、事務所も兼ねたアパルトマンで暮らしている。ある日、3年ぶりに親友で大女優のシドニーが青年アミールを連れてやって来る。アミールに一目惚れしてしまうピーター。彼はアミールの魅力の虜になり、アミールを自分のアパルトマンに住まわせ、映画の世界で活躍できるように手助けするのだが…。
誰もが一度は経験したことがあるであろう、本気の恋の、天にも昇るような、麻薬のような愉悦と、恋人を失うかもしれないという不安や嫉妬の地獄、そして失恋の苦しみや未練の見苦しさや滑稽さや悲哀、ジェットコースターのように上下する感情の激しさが描き出されたゲイのメロドラマです。男女であれば何度となく繰り返し描かれてきた、陳腐でありふれた物語なのでしょうが、ファスビンダーという世界的な映画監督へのオマージュにあふれ(着ている服がファスビンダーそっくりです)、オゾン流の、ついクスッと笑ってしまうような演出が光り、音楽も素敵で、そして、実際のファスビンダーよりも太ったドゥニ・メノーシェが主人公のピーターを演じたことで、身振り手振りはよりオーバーに、若いツバメに入れ込み、捨てられる中年男の悲哀がより苦く感じられ、ゲイテイストでキャムプな快楽を堪能できる作品になっていました。同じオゾンの2002年の名作『8人の女たち』と同様、DVDを買って何度も観てディテールを楽しみたくなる映画です。これまでオゾンの映画は何十本も観てきましたが、好きさ加減は『サマードレス』と並んでトップに君臨しそうな勢いです。
恋とは、社会システムやマナーや常識やPCや人々の監視や「○○警察」のせいで自由や自分らしさや生きる意欲を奪われ、窮屈な思いをしている現代人に残された、最後の自由の領域だと思います。それは「人間的な、あまりに人間的な」ものであり、なりふりかまわず求めてしまうし、すべてを捨ててしまいたくなるし、いっそ死んだほうがマシと思わせるものです。ピーターは世界的な映画監督として、名声や地位、財力を手中にしており、23歳の美青年を俳優として育て、スクリーンデビューさせ、スターにすることも可能です。だからこそ、無垢な愛の仮面をかぶった若い男が寄ってきて(彼自身の言葉で言えば“売春婦”のように)金や名声を搾取し、用なしになれば、平気で去っていくのです。ピーターは(まるで『ヒゲのOL薮内笹子』のように)真実の愛を探し続けるのですが、今度こそは手にしたと信じ込んでいた虚飾にまみれた愛は、儚く指のすき間からこぼれ落ちていくのです…哀れなピーターは今日も孤独にうちふるえ、タバコや酒に溺れ、部屋で泣いています。しかし、そんなピーターだからこそ、美青年を前にして舞い上がったり、愛してると言ってくれとせがんだり、自暴自棄になって暴れたり、やけ酒に溺れたりという、そのすべてが愛おしく感じられます。生きてる!って感じがします。
ピーターを演じたドゥニ・メノーシェが本当にいいです。中年男性の悲哀を強調するためにわざと太った毛深い男をキャスティングしたという批判もあるかもしれませんが、そんなの関係ない、ドゥニ・メノーシェで本当によかったと、きっと世界中のBearファンが歓喜しています。非の打ち所がないくらいゲイで、恋に溺れ、男に翻弄される映画監督をオーバーぎみに演じ、観客の同情を買い、愛されるキャラクター。何より、かわいいです。笑顔がロビン・ウィリアムズに似ていると思いました。
この映画がシリアスになりすぎず、どこかおかしみが漂う、愛すべき作品になっているのは、ドゥニ・メノーシェのおかげでしょう。
かつて『カミーユ・クローデル』でロダンに翻弄される彫刻家、カミーユ・クローデルを演じ、セザール賞で主演女優賞を獲得、アカデミー賞にもノミネートされ、世界的スターとなったイザベル・アジャーニが、彼のデビュー作に出演してスターになった(ピーターのミューズであり、友人である)シドニーという大女優の役を演じているのも見どころだと思います。とても60代後半とは思えない、劇中で言われる「会うたびに若々しくなるね」という褒め言葉を地で行くような美魔女っぷり。衣装とか、身のこなしとか、いかにも大女優でございっていう感じがキャムプで素敵です。
ステファン・クレポン演じる、何も言わず、ピーターのために黙々と召使いのように働く助手のカールの存在感も際立っています。「目は口ほどに物を言い」という言葉を体現するかのような、視線の演技。カールがあそこまでピーターに尽くしているのは、愛しているからこそで、それに気づくと、カールの一挙手一投足が切なく感じられます。そのカールの一途すぎる愛が、どのような結末をたどるのか、その行方にぜひ注目してください。ジョン・ウォーターズが「圧倒的に最高の映画」と絶賛する理由の一つじゃないかと思います。
戯曲(演劇作品)を原作とした、自分の部屋だけで展開されるゲイの物語という点では、『ザ・ホエール』と同じなのですが、『ザ・ホエール』が宗教的ですらある崇高な愛を描いた作品だとすれば、『苦い涙』は、人間的な、あまりに人間的な(下世話と言ってもいいかもしれない、陳腐な)愛を描いていて、実に対照的です。ピーターが流す涙の苦さは、愚かしくて、滑稽で、愛すべき人間の業の味です。だからこそ笑えるし、共感できるのです。
そんな太った中年男の悲哀や人間臭さを、シリアスなリアリズムではなくキャムプに見せることに成功しているのは、ゲイのオゾン監督だからこそのセンスと絶妙な采配であり、オゾンの料理の仕方、オゾン節とも言うべき熟練の技の素晴らしさこそが、この映画のいちばんの楽しみどころだということは、強調しておきたいと思います(アミールへの狂おしい思いがつのって暴れるピーターを3人の女性たちが困惑しながら見つめるシーンは、まるで吉本新喜劇でネタをやってる中心人物を黙って見ているセリフ待ちの人たちのようで、可笑しかったです)(一人になったピーターが夜中に半ばヤケクソで踊るシーンもたまらなくキュートで、大好きです。あそこだけ100回くらい観たいです)
そんなわけで、DVDを買って何度も観たくなる映画でした。
長くもないですし、ぜひ気軽に観て、楽しんでください。
(文:後藤純一)
苦い涙
原題:Peter Von Kant
2022年/フランス/85分/監督・脚本:フランソワ・オゾン/出演:ドゥニ・メノーシェ、イザベル・アジャーニ、ハリル・ガルビア、ステファン・クレポン、ハンナ・シグラ、アマンテ・オーディアール
6月2日からヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
INDEX
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- アート展レポート:THE ART OF OSO ORO -A GALLERY SHOW CELEBRATING 15 YEARS OF GLOBAL BEAR ART
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