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REVIEW

恋愛指向の人がマイノリティである世界を描いた社会実験的ドラマ「もしも世界に 『レンアイ』がなかったら」

愛はみんなでシェアするものという価値観のもと、誰とでも自由にセックスし、子どももみんなで協力して育てるような社会において特定の人に恋愛感情を持つ「レンアイ」がマイノリティとして直面する生きづらさを描くドラマです。いろんな意味で示唆的で興味深い作品です

恋愛指向の人がマイノリティである世界を描いた社会実験的ドラマ「もしも世界に 『レンアイ』がなかったら」

「もしも世界に 『レンアイ』がなかったら」は恋愛ウェブメディア「AM(アム)」で連載されたヤチナツさんの同名マンガが原作で、愛はみんなでシェアするものという価値観で、特定のパートナーをつくらず、子どももみんなで協力して育てる社会において恋愛的指向を持つマイノリティ「レンアイ」であるがゆえに葛藤し、苦悩する男女の恋愛を描いた作品です。島崎遥香さん(ぱるる)が主人公の乙葉を演じています。第1話のレビューをお届けします。

<あらすじ>
この世界には恋愛がない。男も女も相手を決めずお互いを縛らず、誰とでも自由にセックスするのが普通。主人公・乙葉は人を好きになるマイノリティ「レンアイ」であることを自覚し、その気持ちを誰にも打ち明けることができずにいた。そんな時、乙葉と同じ「レンアイ」であることをオープンにしている人たちと出会い、乙葉は一歩を踏み出していく。

 世間の大多数は恋愛しない人で、恋愛する人はマイノリティであるという転倒した世界を描くことでマイノリティが虐げられたり片隅に追いやられたり差別されたりするのをおかしいと感じさせるのは、同性どうしの関係が“ノーマル”で異性関係が“異常”だとみなされている社会を描いた『チェンジマイノリティ』と同様です。よしながふみさんの男女逆転版『大奥』にもちょっと似ているかもしれません。
 
 LGBTIAQ+(性的マイノリティ、クィア)のなかで他者に恋愛感情を抱くことがないマイノリティ(恋愛的指向におけるマイノリティ)の人たちはアロマンティックと呼ばれますが、この作品は、アロマンティック・セクシュアル(東海林毅さんのインタビューをぜひ読んでみてください)がマジョリティである社会で、ロマンティック(恋愛を指向する人)がマイノリティとして生きづらさを感じる様を描いた社会実験的なドラマだと言えるかと思います。
 実際はアロマンティックの多くはアセクシュアルスペクトラムでもあり、アロマンティック・セクシュアルな人ってそうそう多くはないと思うのですが、この物語世界では、学校教育の中で、特定の人に恋愛感情を持って排他的な1対1のつきあいをするのは良くないこと、愛はみんなでシェアするものだと教えられるがゆえに、世間の多くの人たちがそういう考えを持つようになったという設定です。
 
 ただ、このような作品においては、物語世界で設定される転倒した世界が「おかしい」「奇異な」「違和感を感じさせる」世界であることで「異化」を生み出すはずなのに、必ずしもそうなっていないところがとても興味深いです。
 というのは、冒頭、ラブホテルから大学生の男女が出てきて、男子が偶然通りかかった他の女子から「今度私ともしようよ〜」と言われるシーンが描かれています。ヤチナツさんの原作漫画を見ると、この会話には続きがあり、女子たちが土屋くんというキレイな体の男子を話題にしていて、ラブホから出てきた男子も「いいなぁ、俺も土屋としたい」と言い、女子の1人が「じゃあ、4人でする?」と返す、という展開になっています。バイセクシュアリティというか、セックスする相手の性別にあまりこだわりがないことがわかります(同性愛への偏見が完全になくなった世の中ではごく自然にそうなりますよね)
 また、乙葉が暮らすシェアハウスでは、セックスガイド的なテキストを見ながらリビングで男女がキスの練習をしています。性に関して徹底的にオープンなのです。そして、子どもが生まれたらみんな(社会)で育てます。おそらく子を産めない人(同性としかセックスしない人や不妊症の人、アセクシュアルの人など)も自分を責めたりしないでしょう。
「え、これって、結構ユートピアなのでは?」と思う方は少なくないのではないでしょうか。
 
 そんな、なかなかにユートピアな世界で唯一、迫害されているのが恋愛指向を持つ「レンアイ」と呼ばれる人たちです。
 乙葉が暮らすシェアハウスの住人たちは、「レンアイ」が独占欲ゆえに感情を昂らせたり、好きな人につきまとったりする様を大袈裟に描くドラマを観て、笑っています。また、ニュースでは、恋愛感情ゆえに刃物で殺傷事件を起こした人のことを「レンアイ」であることと結びつけて報道しています。「レンアイ」が嘲笑され、罵倒され、嫌悪される世の中に、乙葉はいたたまれない思いをします。そんな乙葉は、ネットで「レンアイ」の人たちが安心して悩みを話せるカフェがあると知り、足を向け、そこで初めて同じ「レンアイ」の人に出会い、自分自身を肯定でき、前向きな人生を生きていけるようになるのです。(世の中のほとんど全ての人が異性愛な社会で、ゲイはテレビで嘲笑されたり、カミングアウトが難しかったり、いろんな偏見や差別に直面してきて、でも、同じゲイの人が集まって安心してゲイでいられるお店もあって、というのと全く同じです)
 好きになった人と自分がロマンティック(恋愛的指向を持つ人)だということは隠したままセックスすることは可能ですが、とても苦しい、だったら何もしないほうがいいのではないかと思ってしまうという葛藤も描かれます。相手も同じロマンティックであればいいのですが、まずカミングアウトのハードルが立ちはだかるという点もゲイと似ています。「レンアイどうしで恋愛が成立するのは奇跡」なのです(原作漫画第8話より)
 
 アロマンティックが支配する社会におけるロマンティックの受難、というテーマですが、こういうふうにも見れるかな、と思いました。
 50年前、100年前に比べて欧米社会は確実に「誰とでも自由にセックスするのが普通」な世界に近づいているわけですが(SATCのサマンサのように)、その中で特定の人に「だけ」恋愛感情を持ち、1対1のつきあい(モノガミー)にこだわる人がマイノリティになる時代がいずれは訪れるかもしれない、そのとき、モノガミー指向な人は肩身の狭い思いをする羽目になるのか、新たな差別を生むのではないか?という問いをこの作品は発しているのではないでしょうか。
 性愛関係における“普通”が無効になるくらい自由が浸透したとき、モノガミー指向の人たちとポリガミー指向の人たちが混ざり合うなか、恋人に浮気されたくないモノガミー指向の人はちゃんと安心して恋愛できるのか?といったことも問われているようにも感じました。穿った見方かもしれませんが…。
 
 このように、観る人によっていろんな感想が生まれると思いますし、いろんな意味で面白い作品だと思いました。
 
 ドラマはこの後、「レンアイ」である乙葉が、本気で恋している太一(中山優馬さん)との関係に傷つき、同じ「レンアイ」でありながら乙葉とは違って恋愛感情を隠しながら(クローゼットで)生きるハレ(ISSEIさん)との関係を育んでいくようです。
 東海地方ではテレビで観られるのですが、それ以外の地域の方はTVerでご覧になってみてください。
 
 
「もしも世界に 『レンアイ』がなかったら」
CBCテレビ(愛知・岐阜・三重で放送) 
木曜深夜0時58分
(※8/8深夜1:53からチューリップテレビでも毎週放送)
地上波放送後はTVerでも視聴可能

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