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ぜひ観てください:『ザ・ノンフィクション』30周年特別企画『キャンディさんの人生』最期の日々

10月26日(日)、台湾で約15万人がパレードした翌日、フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』でキャンディ・H・ミルキィさんの最期の日々を捉えた30周年特別企画番組が放送されました。世間から注目を集め、有名にはなったものの、女装を嫌がる奥さんから三行半を突きつけられ、離婚を余儀なくされたそうです…晩年は難病を患い、女装活動も思うようにできず…それでも、自分らしさを最期まで貫き、幸せに生きました。

ぜひ観てください:『ザ・ノンフィクション』30周年特別企画『キャンディさんの人生』最期の日々

<番組解説>
 フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜 14:00-)が10月、放送開始から30年という大きな節目を迎えるにあたり、その長い歴史の中から、名作・話題作として記憶に刻まれた番組と登場人物たちのその後の物語を、特別企画として10月5日から5週連続で放送、その第4弾が2021年放送の「女装と家族と終活と~キャンディさんの人生~」に、亡くなるまでの最期の姿を追った映像を加えた30周年特別企画『キャンディさんの人生』最期の日々です。
 1990年代、原宿の歩行者天国で注目されたキャンディ・H・ミルキィさん。LGBTQという言葉も知られていなかった時代から、偏見や差別に負けずに女装を愛し、自分らしく生きることを貫いた方です。晩年、難病を患い体調が悪化する中で終活を続け、病床にありながら「最後まで自分の姿を映してほしい」と願い続けました。 


<レビュー>
 女装が原因で家族が崩壊したという話には驚きました。一人パレードで何度か一緒に歩き、いろいろお話もしたはずなのに、実はキャンディさんのことをあまり知らなかったのだと思い知らされました。
 
 前半はキャンディさんがまだ若い…と言っても40過ぎの頃の映像(90年代の放送)です。大田区生まれで、末っ子で、かわいがられたそうですが、ある日、銭湯に行くのに着替えをお姉さんの分と間違えられ、帰りにフリフリの女の子の服を着て帰るはめになり、「合法的に」女装したのがきっかけで、女装に目覚めたんだそう。その後、人目を忍んではお姉さんの服を着てみたり、かわいい服に目がいったりして、自分も着たいと思ってたんだそう。成人して、一時期は、バイクが好きになったり、女装熱は冷めていて、その間に奥さんと恋愛結婚して3人の息子さんたちも生まれました。しかし、テレビで松田聖子さんが白いフリフリのドレスを着て登場したのを観て、再び女装したいという気持ちが高まり、部屋を借りて隠れて女装するように。時は90年代。キャンディ・ミルキィとして原宿に出かけ、有名になったり、女装雑誌『ひまわり』を発行したり。しかし、奥さんはそのことを嫌がり、ついに、キャンディさんが42歳の時に、奥さんは出て行き、離婚することに…。奥さんが息子の1人を、キャンディさんが2人を引き取って育てることになり、女装がきっかけで一家がバラバラになったことを、今でも申し訳なく思っている様子でした。

 後半は、間質性肺炎という難病を患ったキャンディさんの姿を追っています。3男の方が登場し、子どもの頃は、上の2人の兄たちはいじめられたようだけど、自分はそんなことはなく、芸能人の息子みたいな扱いだったと、好きなことを貫いている父親を尊敬していると語りました。また、職場でパワハラにあって鬱を発症した女性が、キャンディさんがバイクに乗ってる写真を見てファンになり、救われたと語っていました。友人の三橋順子さんも出演していました。フォトスタジオで遺影用の写真を撮りました。「生前葬」だと香典を払わなきゃいけないから「人生祭」という名目のイベントをやっていました(気遣いが素晴らしい)

 キャンディさんにとって女装は生きがいというか、人生そのものでした。本当に女装が楽しくて、イキイキしてて。「生まれ変わっても、また男に生まれて女装がしたい」という語りには、ジーンときました。

 酸素ボンベをつけ、いよいよ歩くこともままならなくなり、明日から入院(最期を覚悟)という日、もう女装できないのか…と、部屋中の衣装やカツラを見回して寂しそうにして、苦しくてベッドに横たわりながら、生きてるってことは当たり前じゃない。すごいことだよ。生きてさえいれば99%幸せだ、といったことを、遺言のように語っていました。
 
 集中治療室で、体中に管がつながれた状態で、しゃべるのも苦しいはずなのに、お孫さん(女の子)が来たらものすごくうれしそうにして。キャンディさんは、部屋にある小物やなんかは好きなものを持って行っていいよと言って、「最後にキャンディって呼んでくれないか」とお願いして。そして大好きなアニメ『キャンディ・キャンディ』の歌を歌いました。壮絶なのに、でも、思わず笑顔になるような、凄いシーンでした。
 お葬式にはちゃんと別れた奥さんも参列していました。お葬式のときにも湿っぽくなく、明るくやってほしいと生前から語っていたので、みなさん、そういうふうに振る舞っていました。(お孫さんだけが泣いていました)
 
 キャンディさんのお母様は、別れたキャンディさんの奥さんに「雄三(キャンディさんの本名)は酒も飲まないし博打もしないし女遊びもしない。大目に見てくれないか」と説得していたんだそうです。90年代には仕方なかったかもしれないけど、LGBTQへの理解が進んだ今の時代だったら、奥さんも離婚まではしなかったかもしれません。でもキャンディさんは最後まで、奥さんを悪く言わなかったし、女装をやめられなかった自分が悪いのだと言って、申し訳なさそうにしていました(以前の放送の際は、自分のことを「“変態”だよね」と言ってうなだれる場面もありました)。でも、息子さんたちはそういう父親を受け容れていたように見えます。お孫さんなんかもキャンディさんの写真を友達に見せたりして自慢してるんだそうです。

 人間、世間体やなんかのために本当の自分を押し殺して、自分を犠牲にして生きて、そのストレスを他の人にぶつける(お前も我慢しろ的な態度をとったり、酒を飲んで暴力を振るったりする)よりは、たとえ何と言われようと、白い目で見られようと、好きなことをやって自分らしく生きたほうがいいのだということを、キャンディさんは身をもって教えてくれました。生まれつきで変えられない性的指向と違って(たぶん)、女装は「趣味」でやってると言われがちな分、責められやすいし、風当たりも強いと思うのですが(しかも奥さんが出て行ってしまった…)キャンディさんは好きなことを貫いたのです。スゴいことです。

 キャンディさんのような方をトランスジェンダーと言うのか、クロスドレッサーと言うのか、わかりませんが(こちらのインタビューでご自身も「どのジャンルにも当てはまらないと思う」と語っています。gender expression(性表現)に関するマイノリティであるとは言えると思います)、ある意味、そういうカテゴリー分けを超越した「キャンディ・H・ミルキィ」という人間として世間に認めさせたわけで、そのパワーもスゴいと思います。
 
 人は死期を悟ったときにどういうふうに感じ、どういうふうに振る舞うのか、という点でも優れたドキュメンタリーになっていました。
 
 見逃した方はぜひTVerでご覧ください。きっと観る人によってさまざまな感想があると思います。


ザ・ノンフィクション
30周年特別企画『キャンディさんの人生』最期の日々
TVerでご覧いただけます

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