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REVIEW

映画『鳥類学者』(TIFF)

ポルトガルのゲイの映画監督、ジョアン・ペドロ・ロドリゲスの最新作『鳥類学者』が第29回東京国際映画祭で上映されました。レビューをお届けします。

映画『鳥類学者』(TIFF)

ポルトガルのゲイの映画監督、ジョアン・ペドロ・ロドリゲスの最新作『鳥類学者』が第29回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門で上映されました。この作品は、希少な鳥を観察すべく山に分け入り、神秘の森に迷い込んでしまう鳥類学者フェルナンドを、ポルトガル人にとって極めて身近な存在であるフランシスコ修道会の「聖パドヴァのアントニオ」の逸話になぞらえた、奇想天外な、それでいてまぎれもないゲイ映画です。レビューをお届けします。(後藤純一)


 フランスにフランソワ・オゾンが、スペインにペドロ・アルモドバルがいるように、ポルトガルにはジョアン・ペドロ・ロドリゲスという映画監督がいます。
 処女長編『ファンタズマ』がヴェネチア国際映画祭にコンペ作品としてノミネートされ(新人監督としては異例なこと)、二作目の『オデット』は、カンヌ映画祭に出品されたほか、各国の映画祭でさまざまな賞を受賞、三作目『男の死』も各国の映画祭に出品され、フランスの権威ある映画誌『カイエ・デュ・シネマ』の年間ベストテンにランクイン、2012年にはカンヌ国際映画祭批評家週間短編部門で審査委員長をつとめるなど、気鋭の映画監督としての評価を不動のものにしています。この『ファンタズマ』『オデット』『男の死』は、すべてゲイ映画と呼べる作品で、監督自身もオープンリー・ゲイです。ゲイの青年の欲望のエスカレートを描いた衝撃作『ファンタズマ』は、ニューヨーク・レズビアン&ゲイ映画祭で最優秀賞を受賞していますし、『オデット』は素晴らしくゲイテイストかつイッちゃってる作品、『男の死』は中年のドラァグクイーンを主人公とした作品です。
 これまでは、ラテンを感じさせながらも、アルモドバル作品よりもっと現代的でクールな(オフビートな)テイストの、身の回りの出来事を描く作品を発表してきました。が、最新作の『鳥類学者』は、より壮大にして、神話的、宗教的な作品となりました。





 TOHOシネマズ六本木ヒルズの大スクリーンで(しかも最前列で)観た『鳥類学者』は、忘れることができないような、ちょっとスゴい映画体験でした。

 野鳥を観察するために森の中へと分け入るフェルナンデス。恋人のセルジオから「ちゃんと薬を飲むように」とメールが届きます(おそらく抗HIV薬だと思います※)。急流に巻き込まれ、カヌーが転覆し…気づくと、中国人の女性2人(リンとフェイ)に助けられていました。2人は聖ジェイコブスだかの巡礼のために旅をしており、夜中に天狗が騒いで怖いと言います。科学者であるフェルナンデスは「そんなバカな。妖精も天狗もいない。悪魔も、神だっていないよ」と答えます。翌朝目が覚めてみると、フェルナンデスはパンツ一丁の姿で体を縄で縛られていて、身動きが取れなくなっています。リンとフェイが寝静まった夜中に何とか自分で縄を解き、逃げ出します。それから、川原で、半分になったカヌーが突き刺さっていて、何者かがそれを使って宗教的な儀式をした跡を目撃します。それは、奇妙な服を着た天狗の集団で…

 最も印象的だったのは、羊飼いの若い男と遭遇した場面です。彼は羊の乳を直で飲んでいて、それはまるでフェラチオしているようにも見えます。そして彼はデフ(聞こえない人)でした。無邪気な彼は、川で水浴びしようとフェルナンドを誘い、二人は一緒に水浴びをして、それからセックスします。彼の名前はJESUSと言いました(羊飼いのジーザス!)
 「聖パドヴァのアントニオ」の逸話を知っている人たちは、船が遭難したり、魚に言葉をかけたりする場面で、うんうん、聖アントニオだね、といちいち頷けるのでしょう。しかし、日本のほとんどの観客にとってはちんぷんかんだと思います。しかし、次に一体どういう展開になるのかまるで見当がつかないというのは、ある意味、エキサイティングでした。

 森の中の珍しい野鳥の姿がたびたび映し出されますが、時折、野鳥から見たフェルナンドの姿も映し出されるところが印象的でした。自然の美しさと恐ろしさ、崇高さと邪悪さ、愛と暴力、精神と肉体、生と死、意味と非意味の境目が曖昧になっていくような、それはそれは不思議な映画でした。
 
 たぶん、ラストシーンにポカーンとなった方もいらっしゃると思いますが、個人的にはブルース・ラ・ブルースの『ハスラー・ホワイト』を思い出して、微笑ましい気持ちになりました。
 
 エンドロールで流れていたのは、António Variaçõesという歌手の『Cancao Do Engate』という歌でした。最初女性が歌っているのかと思いましたが、そうではありませんでした。また、前衛的にして崇高な映画にはおよそ似つかわしくないポップなラブソングで、それでいて独特な(ファドのような?)歌唱法が耳に残り、帰ってから調べてみました。António Variaçõesは1970年代後半〜80年代前半に活躍し、1984年に39歳の若さで早世した伝説の歌手です。ゲイであり、エイズによる感染症で亡くなったそうです。ということを知ると、この映画の主題歌としてこれ以上ふさわしい歌はないかも…と思えます。
 

 上映後のトークセッションでは、ジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督(以下JPR)と、脚本/プロダクション・デザイナーのジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ(以下ルイ)が登壇。個人的には、JPRを生で見ることができて、感激!でした。
 ルイさんは、実はJPRと共に映画を作っている、いわば共同監督のような方なんだそうです。そんなルイさんが「これは、私たち的にはエンターテイメント作品です」と語っていたのが印象的でした。
 会場から「今までは私的な作品が多かったが、ここに来てずいぶんスケールが大きくなったのはなぜ?」という質問。実はJPRは若い頃鳥類学者を目指していたそうで、そういう意味で私的な作品なんだそうです。監督曰く「バードウォッチングと映画は似ている」そうです。
 それから、「中国の女性たちがレズビアンだったり、フェルナンデスがゲイだったりするけど、何か意図があるのか」という質問が出ました。JPRは「特に意味はない。自然を映すのと同じだ」とクールに回答。ルイさんは少し気色ばんだ様子で「同性愛のこと、セックスの描写もある(※HIVという言葉も出てきたように記憶しています)…1日目にもそういう質問があったが、なぜ?と驚いている。日本は古来より性におおらかだった(性と愛が切り離されてきた?)と認識しているが…」と語っていました。
 この1日目の質問というのは、学生のように見える若い男性から発せられた「日本人として同性愛描写が激しいことに驚きました。どうして同性愛を描いたのですか?」というもので、会場の人たちは「ありえない」と動揺、JPRはしばし絶句したそうです。ネット上でこの青年に対する非難の声も上がっていました。東京国際映画祭で作品選定ディレクターを担当している矢田部吉彦さん(その回ではトークセッションの司会を担当)は、blogでこう書いていて、素晴らしいと思いました。
「おそらく、本当にイノセントに驚いて、イノセントに質問したのだと思う。あまり欧米系のアート映画を見た経験がなく、知識も免疫も「常識」もないのだと思う。硬派のシネフィルが多く集まったであろう本日の上映では、完全によそ者だ。でも、そんな彼がこの作品を見に来たという事実が、僕にはとても重要に思えた。
 彼が生きる世界では、大胆な性描写も、ジェンダー意識も、神話も宗教もないに違いない。「日本人として」驚いたということは、これらの表現が存在しない状況が、日本では普通だと思っているということだ。それは、彼の生活圏で彼が接する表現活動が、あまりに怠惰であり、あまりに無味無臭であり、あまりに保守的であるということにほかならない。僕は、それが日本の一般的な状況なのだと思う。
 僕は、こんなことを夢想する。東京国際映画祭が、プリキュアからジョアン=ペドロまで上映し、あらゆるタイプの映画に門戸を広げた結果、若者が(うっかりだったとしても)未知の作品に触れるチャンスを作ることが出来たのかもしれないことを。そして彼が、表現の多様性と、人間の多様性と、世界の多様性に気付くかもしれないことを。映画を通じて、セクシャリティや、偏見や、信仰や、愛について学んでいくかもしれないことを。僕らみんながそうであったように」

 残念ながら、『鳥類学者』の配給はまだ決まっていないようです。でも、いつかまたどこかで上映される機会もあると思いますので、その時はぜひ、ご覧になってみてください。

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