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レポート:「Love Positive 30 - 1994年の国際エイズ会議とアート」

1994年に横浜で開催されたエイズ国際会議に合わせて会場のパシフィコ横浜前の広場で行なわれた「Love Positive」という素晴らしい企画について、関係者の方々が当時を振り返って語るイベントが開催されました。貴重なお話や映像が満載で、語り継ぐこと、バトンを渡すことの大切さをひしひしと感じさせました

レポート:「Love Positive 30 - 1994年の国際エイズ会議とアート」

 特集:横浜エイズ国際会議30周年でもお伝えしていた「Love Positive 30 - 1994年の国際エイズ会議とアート」が8月31日(土)に横浜で開催されました。
 1994年、横浜で開催されたエイズ国際会議に合わせてダムタイプの古橋悌二さんが発案した「Love Positive」という、国際会議の会場・パシフィコ横浜の広場(屋外)で開催された野外アートイベントのことは、現状、インターネット上にもほとんど記録がなく、当時のことを知る機会がほとんどありません。そんななか、貴重な資料や記録映像、そこに参加していたアーティストの話を通して、もう一度あの夜に光を当てようということでノーマルスクリーンがトークイベントを企画したのです。パシフィコ横浜のすぐ近く、象の鼻パーク(以前パレードレインボーフェスタが行なわれた海辺の公園)にあるアートスペースとカフェを併設した「象の鼻テラス」を会場に、当時の映像が流れたり、伝説のOKガールズやダムタイプで活躍してきた砂山典子 a.k.a. SNATCHさん、アーティストのアキラ・ザ・ハスラーさん、aktaやジューシィー!でおなじみのジャンジ a.k.a. Madame Bonjour JohnJさんが当時を振り返って語る貴重な時間となりました。
 レポートをお届けします。
(取材・文:後藤純一)


 8月31日(土)の夜は台風10号の影響で、横浜も18:00頃から雨が降り始め、18:45頃には土砂降りだったため、日本大通り駅から「象の鼻テラス」に向かう間にびしょ濡れになってしまいました…(涙)。それはともかく、会場の「象の鼻テラス」は全面ガラス張りで正面にみなとみらいのランドマークタワーやグランドインターコンチネンタルが見えたりするオシャレスペースでした。参加者には、特集:横浜エイズ国際会議30周年でもお伝えしていたようなぷれいす東京のシンポジウムで語られた内容(リエゾン委員会のこと)や池上さんのコラム、当時の新聞記事などを掲載した冊子が補足資料として配布され、左手の壁にはVISUAL AIDSの「ELECTRIC BLANKET」というHIV/エイズに関する映像が流れていて、後ろの方には当時の様子を知ることができる写真などの資料を展示するブースも設けられ、そして、この土砂降りにもかかわらず、会場はほぼ満員で、熱気が感じられました。
 
 最初に主催者・ノーマルスクリーンのShoさんから、「ラブポジティブ? エレクトリック・ブランケットってなに?」と題して、野外アートイベント「Love Positive」についての解説が行なわれました。1992年にダムタイプの古橋悌二さんがHIV感染のことを周囲の人に手紙で伝え(※当時、エイズにはカクテル療法のような有効な治療法がなく、発症した方の多くが亡くなっていました。エイズはまだ“死に至る病”でした)、ダムタイプのメンバーなど手紙を受け取った人たちが中心となってAPP(エイズ・ポスター・プロジェクト)が誕生しました。1994年の横浜エイズ国際会議の開催にあたり、悌二さんがVISUAL AIDSとつながりを持っていたこともあり、APPの友人たちとともに野外アートイベント「Love Positive」を企画しました。そうして1994年8月9日・10日の2日間、VISUAL AIDSの「ELECTRIC BLANKET」がプロジェクターでスクリーンに投影され、2日目の夜にはクラブパーティ「LOVE BALL」も開催されました。12日には横浜市健康福祉総合センターで浅田彰氏や美術評論家でエイズ活動家のダグラス・クリンプ氏(ゲイの方です)らを迎えたシンポジウムも開催されました。
 当時の映像も流れたのですが、「LOVE BALL」ではシモーヌ深雪さんをはじめ「DIAMONDS ARE FOREVER」のドラァグクイーンのみなさん(シモーヌさんたちがクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』でショーをやってて胸熱でした。フルで観たかったです…)やブブ・ド・ラ・マドレーヌさん、OKガールズのみなさんがショーを披露しただけでなく、ショーのあと、DJがクラブミュージックで盛り上げ、人種もジェンダーも様々なみなさんが本当に楽しそうに踊りまくって、そのあと、マリアさんのMC&同時通訳で世界中の参加者がスピーチしていって――オーストラリアのひと、アフリカのひと、アジアのひと。セックスワーカー、研究者、陽性者。「アジアにこんなにクィアなパーティシーンがあることに感激した」「シンガポールでは政府が何もしてくれない」などなど。その熱気や心からの言葉に圧倒されましたし、94年という(日本のエイズ対策が差別的なエイズ予防法の下にあり、ゲイコミュニティもまだ成熟していなかった)年に、あのような素晴らしいイベントが開催されたことに驚き、感激しましたし、アジアのHIVコミュニティの方たちが励まされている様子にも胸を打たれました。どうして僕は30年前、あの場所にいなかったんだろう…と心から悔まれました。あの「LOVE BALL」こそが「Club Luv+」や「ジューシィー!」の源流だということも初めて知りました(今まで知らずに参加してたなんて!)(※「Club Luv+」は京都のAPPのみなさんが1994年〜2000年に開催していたHIV予防啓発のクラブパーティ。「ジューシィー!」はジャンジさんが1997年から開催しているクラブパーティで、次回は9/21です)




 続いて、砂山典子(SNATCH)さん、アキラ・ザ・ハスラーさん、ジャンジさんが登壇し、「トーク:それでも私は誰かと踊り続ける」が始まりました。「それでも私は誰かと踊り続ける」というのは、「Love Positive」の時にステージ横に掲げられたメッセージ「And I Dance with Somebody」(頭文字がAIDSになっていて、世間のエイズに対するネガティブなイメージやスティグマを払拭しようとするものでした)に由来しています。
 砂山さんは、悌二さんが企画した「Love Positive」に賛同し(HIV陽性であるとカムアウトした悌二さんをサポートする気持ちで)、砂山さんをはじめとするダムタイプのみなさんやアキラさん(当時は京都市立大の学生でした)など、関西から30人くらいの方たちが横浜に駆けつけ、ボランティアでこのイベントを成功させたということを教えてくれました。残念ながら発案した悌二さん自身は入院していて当日参加できなかったのですが、あとで記録映像を観て喜んでくれたそうです。「(「私は夢見る私の国籍が消えることを」「私は夢見る私の性別が消えることを」「私は夢見る私の肩書が消えることを」という『S/N』でも使われたメッセージが「Love Positive」の会場でも掲げられていましたが)「夢見る」っていうのを夢見れた気がします」という言葉が素敵でした。
 アキラさんは「猥雑だったり、楽しかった。ポジティブなパワーが感じられました。セックスワーカーとかが「私はここにいる!」と叫んでいる姿。あの夜がスタート地点だったし、これを続けたかったし、今も続けていると思ってます。悌二さんがカミングアウトして、この問題に向き合った作品を作りたいと思ってやってきました。でもアートだけじゃできないこともあるっていうのが自分の中に根付いています」と語っていました。
 ジャンジさんは「私は悌二さんからの手紙を黒沢美香さんのスタジオで読んで。それまでHIVのことには携わっていなかったけど、「Love Positive」には参加して、衝撃を受けました。「LOVE BALL」でみんながスピーチして、ステージで踊って、愛を交歓して、混ざりあって。その時の感覚がずっとあって「ジューシィー!」に繋がっています」「横浜出身なんですが、「Love Positive」のポスターを横浜で見たことは忘れがたいです」と語っていました。
 アキラさんが「活動とか興味ないとかダサいって言いながら周りにずっといる人っていうのがいて。僕らがつい「社会運動の言葉」を使ってしまいがちなところを「何言ってるのかわからない」って言ってくれる人だったりして。それはありがたいことだと思います」と語っていたのも印象的でした。
 その後、「Love Positive」がその後、ご自身のアート作品や活動にどんな影響を与えていったかという質問に答え、ドラァグキング「スナッキー」のこと、セックスワーカーのアーティスト集団「バイターズ」のこと(ワタリウム美術館で朝までイベントをやったことなど)、「Living Together」のこと、パレードでフロートを出したことなど、それぞれが手がけた活動や作品についてお話がありました。
 限られた時間のなかで、とても濃いお話を聞けました。








 休憩をはさんで、「公開収録:レールに乗らないセクシュアルマイノリティのPodcastノラノラジオ!」が行なわれました。これがどのような趣旨のPodcastなのか、事前の案内では特に説明されていなかったのですが、ご本人の言葉を借りて言えば「プロ」じゃない、二丁目とかで一緒に飲んでたりすぐ隣にいそうな感じのゲイのみなさんがたくさん登壇し、私たちは薬物依存の当事者ですと語りはじめて、驚きました。
 彼らがこのような公の場で、薬物依存のことや、HIV陽性だったりということも語ったことがまずスゴいと思いましたし、この日のメインテーマである30年前のHIV/エイズへの取組みというお話をしっかり受け止めて「バトンをつなぐことの意義」を語っていらしたりして、聴いてるうちにどんどん引き込まれました。
 HIV感染した方へのアンケートで半数以上が薬物使用歴があるというデータも紹介し、薬物の使用とHIV感染は無関係じゃないどころか、密接に関連しているということ、薬物って大麻とか覚せい剤だけじゃなく、市販の薬を使用している依存者も65万人くらいいて、だから取り締まって逮捕すれば済むということではない、といったお話も、実に明快でした。
 また、HIVのことは30年でこんなに変わった(30年前は国の対策も差別的で本当にひどかったが、今はU=Uを打ち出す時代)、翻って薬物依存のことはどうか、相変わらず「ダメ、絶対」で何も変わってないじゃないかという問いかけは、ズシンと響くものがありました。本当にそうだと思いました。
 彼らは、自分たちが前に出て話すことで励まされる人もいると思うし、誰かに届くと思ってやっていると語っていて、その思いの尊さ、志の高さにも感動しました。
 実に素晴らしいトークでした。主催の「No rain No rainbow(ノラノラ)」のみなさんに拍手!
 
 全ての演目が終了した後も、交流の時間が設けられ、22時頃まで残って熱心にお話したり、ブースで資料を見たりする方たちもいらっしゃいました。

 
 例えば僕自身が、「Love Ball」の素晴らしい夜のことがあって「Club Luv+」や「ジューシィー!」が生まれたのだということを知らなかったように、関係者は知ってるかもしれないけどそのすぐ隣でいろいろ一緒にやってた人にすら意外と伝わってないということもあるので、このような、きちんとコミュニティ内で歴史を振り返る機会が設けられることは本当に大事だと感じました。そして、94年当時にはまだ子どもだったり、下手したら生まれてなかったりしたかもしれないゲイの方たちが、30年前のHIVコミュニティがどんな素晴らしいことをしていたかということを知って、しっかりバトンを受け取り、今後の活動にも生かしてくれるというお話にも勇気づけられました。希望を持てました。
 横浜まで足を運んで本当によかったです。主催のノーマルスクリーンさんに感謝です。

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