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「akta」のジャンジさんへのインタビュー

二丁目でHIV予防啓発活動を行うNPO法人 aktaの代表をつとめるジャンジさんにインタビューしました。これまでどんな活動をしてきたのか、そもそもなぜ「akta」にかかわるようになったのか、ざっくばらんにいろいろお聞きしてみました。

「akta」のジャンジさんへのインタビュー

 たぶん、初めてコミュニティセンター「akta」を訪れたゲイの方は、女性(しかもちょっとハデな格好の)!と驚くと思います。二丁目でのHIV予防というと、ほぼゲイ・バイセクシュアル男性にとっての問題で、レズビアンの方にはさほどリアリティがないというイメージがあるため、「akta」の代表が女性だというのは意外な感じがするのではないでしょうか。
 ゴトウにとって、ジャンジさんは「二丁目のマザー・テレサ」のような方です。
 ゴトウも一時期かかわっていたので言えるのですが、HIVのことに携わるというのは、総合人間力が問われる仕事です。最新の医学(予防や治療)の知識や社会学的な教養、そして、二丁目のゲイピープルと接してお話したり説得したりしていくコミュニケーション力、パンフレットやWebサイトをディレクションする能力(編集者としての力量やセンス)、イベントを開催したり、センターを運営していく能力、などなど、実にたくさんのことが求められます。現在の「akta」では、予算も充分ではないため、おそらくみなさん、半分ボランティアのような状態で活動に携わっていると思うのですが、そうした大変さを引き受けつつも、いつも明るく、優しく、いろんな方たちと接し、導いている、素晴らしい方です。
 ちなみに「Living Togetherのど自慢」の発案者でもあります。
 そんなジャンジさんが、なぜそこまでして二丁目の人たち(をはじめとする東京のゲイ・バイセクシュアル男性の人たち)のために、身を粉にして頑張っているのか? 「akta」でお話を伺ってみました。(聞き手:後藤純一)


——そもそもジャンジさんが「akta」にかかわるようになったきっかけは何ですか?

最近、なぜ女性が「akta」で?ってよく聞かれます(笑)。率直に言えば、ちょうくん(現「akta」の前身である「Rainbow Ring」を立ち上げたメンバーの張由紀夫さん)から、コミュニティセンターを手伝ってほしいと言われたことがきっかけ。2005年の年明けから参加しています。

——張さんとはいっしょに「ジューシィー!」というイベントをやっていたんですよね。
 
古くからの友達です。「ジューシィー!」は1997年に私がはじめたMIXのパーティで(今もまだ年に1回くらいやっているけど。笑)、ちょうくんは当初京都から参加してた! 私もまた京都の「club luv+」(張さんやブブさんが主催していたHIVについてメッセージするステキなイベント)にパフォーマーとして参加したり、いろんなことをいっしょにやっています。

——パレードでフロートを出したりとかも。

そうそう、「Rainbow Ring」立ち上げの時にパレードに出したフロートや恵比寿の「みるく」での前夜祭イベントのオーガナイズとかもお手伝いしてました。HIVとのかかわりで言うと、クラブパーティの楽しい時のなかで自分なりに伝えてきたって感じかな。長谷川さん(「JaNP+」の長谷川博史さん。「ピンクベアリーヌ」としてパフォーマーやイベントオーガナイザーとしても活躍)とも、「club luv+」で知り合って「ジューシィー!」のコーナーで話をしてしてもらったり。あとそれ以前にも、94年の横浜のエイズ国際会議に行ったり、ダンス関係の方で古橋さん(ダムタイプの『S/N』というプログラムでHIVのことやセクシュアリティのことを前面に打ち出し、世界的な評価を受けました。95年、エイズによる敗血症のため、逝去)が周りの人たちに自分のエイズのことを書いた手紙を同時に渡した、その手紙を読んでいたり。なので、HIVのことはいつも身近にありました。

——そうでしたか。もともとジャンジさんはダンサーだったんですよね? 97年頃にマルガリータさんといっしょにダンスパフォーマンスしてるのを見ました。

そうなんです。もともと私はトランスジェンダーで、男になるはずだったの。それが、ダンスを始めてから解決しちゃったというか…

——そういうもやもやをダンスにぶつけてた?

ぶつけてたって言うか、体がどうのじゃない、本質的な自分と合致したというか、会えたというか。ジェンダーがどうだっていうのは関係なくなった。あの時代に女性から男性にトランスするって大変なことだったし。だから、ここが100%自分の居場所っていうのは、どこにもなくて、ずっと渡り歩いてきたところがある。

——そうだったんですね…。立派なセクシュアルマイノリティですね。

セクシュアリティ的にもよくわからないところにいて。まあでも、突き詰めれば、みんな一人一人違うよね。私は自分をドラァグクイーンだと思ってるけど、女性性をプラスにもマイナスにもできる、そういうところがすごく合ってた。ジェンダーも越境すればいい。居場所も自分でつくることにした。

——ジャンジさんの「世情」のショーは、初めて観た方が号泣するくらい、素晴らしい作品ですが、人とは違うつらさや苦しみの経験を乗り越えてきた人だからこそ、だったんですね…。人間としての深みが違うというか。そういうジャンジさんだからこそ、「akta」の活動にも本当にふさわしいと思うのですが、お手伝い感覚で隅の方にいたというよりは、もはや「akta」の代表じゃないですか。どうしてそこまで深く入り込むようになったのでしょう?

不思議だよね。私も不思議だもん(笑)。最初は、コミュニティセンター「akta」の運営を手伝ってて、私はそれをやればいいなと思っていた。

——あと、「Living Togetherのど自慢」を発明したのもジャンジさんなんですよね?

「Living Together計画」関連のイベントは、始まった初回から、いつも行っていて、初めてHIVのことがよくわかった。響いた! それまではコンドームを配ればいいみたいなイメージだったけど、こういう体験があって、こういうことを感じてる人がいてって実感できた。実は、身近にいっぱいいたんだなって変わった。HIV+のひとや周囲のひとたちの手記に触れたことが大きい。だから、自分がいた蒲田の「stuidio80」ってクラブバーや西荻窪の老舗のスナックで企画開催していた「のど自慢」とLiving Together計画の手記の朗読を合体したいと思って、相談して、「Living Togetherのど自慢」というイベントを始めたの。

——そうだったんですね。もともとの「のど自慢」っていうイベントはどういう?

誰でも参加できる発表会みたいなイベント。声を使えば、カラオケでも朗読でもバンドでもOK、セクシャリティもMIXで、女装したり好きな格好をして楽しくやろうよって感じで。歌やカラオケって、上手い下手じゃなく、その人から醸し出されるものがすごく素敵だなと思ってて。それと、言葉。両方で伝えられたらいいんじゃないかな、と思った。

——僕も今年の1月に「Living Togetherのど自慢」に参加させていただきましたが、あれを見ていると、納得。カラオケがあるからこそ、伝わるものもありますよね。

生き様が出るよね。

——女装とかちゃんとしたパフォーマンスだとハードルが高いけど、カラオケは誰でもできるから、そういう意味でもすごくいいですね。

で、「厚生労働省のエイズ予防のための戦略研究」が始まって、ちょうくんがすごく忙しくなったので、私が「akta」を守らなきゃって思って。やってると、やっぱりコミュニティセンターは必要だよねってひしひしと感じて。場所があるからこそ会える人もいるし、場所があるからこそネットワークもひろがって定期的にコンドームや冊子をつくったり配ったりできる。その価値は大きいと思う。で、その存在そのものがHIV/AIDSの問題を可視化している。

——戦略研究の成果とか、「akta」のNPO化のことはコラム記事の方で書かせていただきましたが、戦略研究はすごく大きなプロジェクトでしたし、成果も上げたけど、それが終わったときに、この先どうするの?みたいな感じになったんでしょうか。

もともとは名古屋の市川誠一さんをリーダーとしたMSM(注:Men who have sex with menの略。ゲイ・バイセクシュアル男性を意味する海外の用語)のHIV感染対策研究班で分担を東京に立てて、その研究費とエイズ予防財団受託の事業費で啓発活動やセンター運営をやってきたんです。この方法でのコミュニティセンターは、2003年に東京、大阪で始まり、その後、2005年頃に名古屋、博多、そして2008年頃に仙台、沖縄にできました。東京、大阪では、そこに戦略研究が加わって大きな予算がついたものの、終わったあとどうなるかわかんないね、センターも私たちも、みたいに言ってたんです。でも結果的には2011年の春に戦略研究の成果として、東京、大阪、名古屋、博多、仙台、沖縄にあるセンターが事業化されて、研究班はその評価をするという体制になったんです。その事業を束ねているのがエイズ予防財団。

——そこでお聞きしたいのは、こういうコミュニティセンターって、家賃も払わなきゃいけないし、お金がないと運営できないじゃないですか。事業化するにあたって、その辺の予算が、ある程度安定的にもらえているのかどうか…。

よくぞ聞いてくれました(笑)。事業化はされたけど、行政は異動があるので、担当者によっては今や戦略研究のこともきちんと把握していなかったり、なんで必要なの?みたいになったりもする。すでに2011年以降、毎年10%予算削減。今年度打ち切るみたいな話も出ていたようですが、とりあえず2015年まで減額で、そのあとは白紙状態のようです。

——ということは、予算が打ち切られたら「akta」が無くなるかもしれないんですね…。

これまでもそうでしたが、存続できるかどうか、ほんとにわからないんです。 

——予算は全国で分けている?

事業受託はエイズ予防財団ですが、今年から地域ごとに金額が指定されています。あとは少し話しがそれますが、今までストレートである市川さんが公衆衛生の視点からMSM向け対策を牽引されてきたことも大きいんですが、先生ももうすぐ定年を迎えられるし、そろそろ当事者のみなさんにバトンを渡そうという気持ちもあるんじゃないかな、と思います。

——なるほど…。なんだかんだ言っても感染する人が減ってるわけじゃないし、若い子の間でも増えてきているし、やるべきことはたくさんありますよね。

MSM研究班の調査では、いま80年代以降に生まれた人たちの間で感染が増えてるんです。

——最近、10~14歳の男の子の感染がわかったというニュースがありましたが、ショックですよね…。

学校の性教育で教えられてないってこともあると思うけど、知識がなくて感染して、衝撃を受けるって、すごく大変だし、本当に何とかできたらなって思います。日高さんの調査でも、ゲイの人と初めて知り合って、恋人や友達ができる前にセックスの経験があるというようなゲイのライフステージについての報告があります。もしも相手が年上だったりしたら、自分からコンドームを使おうってなかなか言えないだろうなと思います。

——取り組むべき課題はいろいろありながらもパワーが足りてないっていう、ジレンマがありますよね…。もっとコミュニティの人に参加してもらったり、自分たちの問題なんだという意識をもってもらいたい、と思います?

本当は、一人一人が意識をもって動ければ、自分のこととしてそこから発信してもらえれば、団体は必要じゃないのかもしれない。でも社会も変えてゆかないとすすまないので、いろいろな人の力をつなぎながら、いっしょにやっていけたらいいなと思います。

——10年ちょっと前は、つきあい始めた人からHIVだって告白されて怖くて別れたとかっていうことがふつうにあった。けど、Living Togetherのおかげで、そういうことがずいぶん少なくなったんじゃないかと思う。本当に大きな変化だと思います。「akta」だけじゃないけど、ここの活動がどんなに大事かっていう。なくなったら困る。

あって当たり前じゃなくて、街の人から必要だよねと言ってもらえたら、本当にうれしい。せっかくあるんだから、うまく利用してほしいし。あまりしかめっ面で大変大変って言うんじゃなくて、楽しくやっていきたいですね。

——本当にそうですね。では、最後に、二丁目(をはじめとする東京のゲイコミュニティ)のみなさんに一言、お願いします。

楽しく生きたいね、そのためにはまず自分を大事にしないとね、みたいな。だから楽しむことといっしょに、セクシュアルヘルスのことも考えてみよっか。治療は進歩しているので,自主的に検査を受けて早くに自分の状態がわかれば、ずっと元気にやっていけるし、保健所などでは無料匿名で検査が受けられて、またサポートにつながることもできる。ただ社会のHIV/AIDSやSEXのイメージ、偏見や差別は変わってないから、そこのしんどさはあるよね。そういうイメージの一新をポン!と魔法みたいにできるといいんだけどなぁ、っていう感じです。

——ありがとうございます!


コミュニティセンター「akta」
〒160-0022
東京都新宿区新宿2-15-13第二中江ビル301
開館時間:16:00~22:00
定休日:毎週火曜日・水曜日、年末年始

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