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REVIEW

『新宿二丁目』

90年代に『バディ』誌で二丁目の歴史について連載していた伏見さんが「なぜ二丁目という街が今のような姿になったのか?」について、驚きの新事実を交えながら歴史をひもといていく、まるでミステリーを読むかのようなスリリングさもありながら、感動的でもあるような名著です。

『新宿二丁目』

「知の巨人」伏見憲明さんの、久々の著書が発表されました。1990年代に『バディ』誌で「ゲイの考古学」を連載していた伏見さんが「なぜ二丁目という街が今のような姿になったのか?」について、驚きの新事実を交えながら歴史をひもといていく、まるでミステリーを読むかのようなスリリングさも感じさせる一大歴史絵巻であり、感動的ですらあるような名著です。レビューをお届けします。(後藤純一)

 2019年8月18日(日)、第20回を数える記念すべきレインボー祭り(俗に言う二丁目祭り)が開催されました。かつて、2000年8月27日(日)に、第1回東京レズビアン&ゲイパレードの後夜祭として、歴史上初めて二丁目の仲通り(靖国通り側の半分)を歩行者天国にしてレインボー祭りが開催され、5000人とも6000人とも言われる二丁目ピープルが集まって、ドラァグクイーンのショーやゲイインディーズミュージシャンのライブなどを楽しみ、最後にDJタイムでクラブのように盛り上がって、フィナーレとしてレインボー風船を一斉にリリースしたその時、(ルミエールや九州男がある)サンフラワービルの屋上からまさかの花火が上がり、その素敵すぎるサプライズに大勢の人たちが感動、二丁目で恐れられていたような大御所の方たちも抱き合って号泣したり(鬼の目にも涙と言われたり)という、伝説的な夜となりました。伏見憲明さんは『バディ』誌上で「コミュニティの誕生」という激熱コラムを寄稿し、この夜の出来事を讃えました。
 実は伏見さんは、90年代に『バディ』誌で、昔の様々な資料や証言を集めながらゲイバーの起源や二丁目の成り立ちなどを解き明かしていくような「ゲイの考古学」という歴史モノの連載を行なっていました(「ゲイの考古学」は『ゲイという[経験]』という本に収録されています)。ゲイライターとして、20年以上前から二丁目の歴史に関心を持ち、このように本格的な調査を行ない、形に残してきた方は、伏見さんをおいてほかにいません。その分野の第一人者です。現在は伏見さんは二丁目でお店(ゲイバー)も構えるようになり、ますます二丁目との関わりを深くしている伏見さんが、満を持して、『新宿二丁目』という本を発表しました。
 
  「なぜ二丁目という街が今のような姿になったのか?」をめぐって、戦後〜1970年代頃の膨大な資料にあたりながら、綿密に、様々な面から検証され、ほとんど誰も知らないような二丁目の前史がひもとかれていきます。そんなことがあったのか!という驚きの連続であると同時に、ある意味、ミステリー小説を読んでいるかのようなスリリングさもあり、だんだんと二丁目が今のような姿へと近づいていく様の描写は、壮大な叙事詩のようで、感動的ですらあります。
 よく二丁目は、売春防止法によって赤線(遊郭)が廃止され、物件が大量に空いたところにゲイバーがたくさんできて、今みたいなゲイタウンになったのだ、というような言い方がされますが、この本を読むと、そんなに単純な話ではないということがよくわかります。
 なぜ渋谷や池袋ではなく新宿だったのか?とか、なぜ歌舞伎町エリアではなくあの場所なのか?とか、ニューヨーク在住のKAZ SENJU氏が「二丁目みたいな街も、こういうスケールのゲイバーも、世界中どこにもない」と断言するような小さなお店の集まりはどのようにできたのか?など、よく考えると二丁目にまつわる疑問っていろいろあると思うのですが、そういう問いにも答えてくれる本です。
 

 そんなことがあったのか!と驚くようなエピソードを、少しご紹介しましょう。
 新宿御苑前駅を出て新宿通り沿いに二丁目へ向かうとすぐに交番があって、その隣というか向かいについ最近まで古本屋があり(私も『バディ』編集者時代にたまに覗いてました。マドンナの『SEX』を買ったかも)、その建物を太宗寺側に回って見ると「プレイスポット デイトライン」という看板とドアが見えて、ノンケ男性向けの風俗店だった頃の面影が残っていたのですが、この建物の地下には太宗寺に逃げられるような通路があったという都市伝説などは、実に興味深かったです。
 
 それから、個人的に最も感銘を受けたのは、まだ「二丁目」ができる以前の1960年代初頭、要町(新宿3丁目)付近にゲイバーが集まっていた時代の話です。当時は警察のいやがらせも頻繁で(「日本の恥だからオリンピックまでに一掃してやる」と刑事が豪語していたそうです)、ゲイバーの方たちは、東京睦友会という振興会のような組合を作り、一致団結して、励ましあっていたそうです(まるでストーンウォール前夜のNYのよう…暴動こそ起こしませんでしたが)。1973年には70~80軒が加盟していて、なんと新宿厚生年金会館を貸し切って親睦イベントを行い、その収益を福祉団体に寄付し、社会的な貢献をアピールしたそうです(レインボー祭り以前のはるか昔にこのようなイベントがあったなんて…)。また、今までのようにただ黙っていじめられているのではなく、警察に出向いて、ゲイ側のことも訴えるようにしたそうです(「日本のストーンウォール」は実はこの時だったのかもしれません)。組合長だった『蘭屋』の前田さんという方は、97年に亡くなった際、週刊誌に記事も載ったそうです(女性と偽装結婚しておらず、パートナーの男性がその死を看取ったそうです)。PRIDEの萌芽が感じられる、素晴らしいとしか言いようのないエピソードでした。

 そして、これまでの定説を覆し、LGBTの歴史を塗り替えるような新事実が、1章分を使って提示されています(この本の白眉ではないかと思います)。実は、いわゆる「70年代リブ」よりも前、1960年代に『平凡パンチ』が、同性愛を肯定するような記事を繰り返し日本中に届けており、これこそが現在へとつながる日本のLGBT解放運動の嚆矢だったのではないかというお話です。『平凡パンチ』は1967年から、例えばスウェーデンの医学博士ラルス・ウラルスタムの著書を取り上げて現在のセクシュアリティをめぐる議論にもほとんど遜色がない先進的な記事を掲載し、ミニスカートをはいた男性をフィーチャーして長沢節さんの作品展を紹介しながらジェンダーレスという文脈で「同性愛」を既存の社会や秩序からの「解放」として称揚し、また、「同性愛だとか異性愛だとかという区別を問題にしない」ヒッピー・ムーブメントや、マタシン協会の活動、ストーンウォール事件、大学のゲイサークルなどアメリカのゲイ事情も紹介していました(ストーンウォール事件は、大手新聞社などは軒並みスルーしましたが、日本のメディアで唯一、『平凡パンチ』だけが取り上げました)。まるで雑誌全体がゲイ雑誌のようになっていた号もあったそうです。
 
 歴史というのはとても大事で、自分が初めてやったかのように錯覚していることも、実はだいぶ前にやっていた人がいた、とか、先人たちが築いた土台の上に今がある、とか、昔はもっとスゴかったし勢いがあった、とか、こんなレジェンドがいた、とか、そういうことを知ってるのと知らないのとでは、雲泥の差があると思うんですね、何事をやるにしても。そして、歴史というのは、どなたかが意図的に記述していかないと、埋もれていき、なかったことになってしまうものでもあります(ゲイ関連でも、ちょっと古い情報ですと、すでにネット上で検索できなくなってたりすることが、結構あります)。伏見さんが今回、二丁目前史や、今の姿になるまでの歴史上の真実を明らかにしてくれたのは、とても貴重なお仕事であると言えます。
 例えば二丁目ゲイバー史とか、ゲイナイトの歴史とか、ゲイ風俗の歴史とか、きちんと記述して残しておいたほうがいいテーマっていろいろあると思うのですが、伏見さんほどの熱意やパワーをもってそのようなことに取り組む方が現れるだろうか…と思ったりします(Wikiみたいな集合知でもよいのですが、いかんせんファクトチェックして信頼性を保証するのが難しいですよね…)
 
 ともあれ、二丁目で生きてるという方、よく通ってるという方、二丁目を愛しているという方、何かしらお世話になっている方、みなさんぜひ、『新宿二丁目』を読んでみてください。Kindle版もあります。


 
『新宿二丁目』(新潮新書)
著:伏見憲明/新潮社

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