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REVIEW

Visual AIDS短編映像集「STILL BEGINNING」

12月9日(月)、Visual AIDSの「Day With(out) Art」30周年を記念する短編映像集「STILL BEGINNING」の上映会が、戸塚地域センターで開催されました。7本の短編が発するメッセージは実に多岐にわたり、エイズはまだ終わっていないんだな…と実感させられるとともに、いい刺激を受けました。

Visual AIDS短編映像集「STILL BEGINNING」

2019年12月9日(月)、TOKYO AIDS WEEKSの1プログラムとして、Visual AIDS短編映像集「STILL BEGINNING」上映会が開催されました。ニューヨークのアート団体「Visual AIDS」が1989年、エイズ危機へのリアクションとして、喪に服したり何か行動をするようにアート界に呼びかける「Day Without Art」を始め、今年で30周年を迎えました(現在は「Day With(out) Art」という名称になっています)。日本でも、ノーマルスクリーンが5年前から「Day With(out) Art」の映像作品を上映する会を毎年この季節に開催してくださっています。昨年はコミュニティセンターaktaで上映されていましたが、今年はぷれいす東京と共催し、戸塚地域センター7階多目的ホールという大きな会場で映画を観ることができました。レビューをお送りします。(後藤純一)


 
 12月9日(月)は、手がかじかむような、本格的に冬になったなぁと思うような、寒い日でした。そんな日だったにもかかわらず、高田馬場の戸塚地域センター7階多目的ホールには、たくさんの方が集まっていました。
 来場者には資料が配られ、Visual AIDSのことや、7本の短編それぞれの解説などがまとめられていました。
 19時半にノーマル・スクリーンの秋田さんからご挨拶があり、上映がスタートしました。
 以下、どんな作品だったか、簡単にご紹介いたします。


デリック・ウッズ=モロウ『Much handled things are always soft』

 写真家で長期サバイバーであるパトリック・マコイとの会話を通し、1960年代から1980年代のシカゴ黒人コミュニティにおける野外セックスの歴史を振り返る作品。
 シカゴ南部の黒人街に近いハッテン公園で、(黒人コミュニティでゲイだとバレないよう細心の注意を払いながら)男たちは、できるだけ「何者にもならないよう」目立たない服を着て、できるだけ視線も合わさず、名前も告げず、セックスしてきた、しかしそのセクシャルなネットワークの内には(ただヤリ捨てるだけではない)親密な何かがあったと、パトリックは述懐します。
 公園で男性たちがセクシーな姿を見せる映像と、壁に男たちの写真が貼られていく映像が交互に映し出されます。このボードは、夜ごと公園でハッテンし、そして、エイズで亡くなっていった男たちを偲ぶメモリアル・ボード(記念碑)でした。とても遠い国の話とは思えませんでした。「彼らは僕だ」と思いました。美しくも切ない、もっともっとたくさん観たいと思う短編でした。


シャンティ・アヴィルガン『Beat Goes On』

 「ACT UP(アクトアップ) 」の中心人物であり、ハウジングワークスというホームレス支援のプロジェクトを立ち上げたキース・カイラー(1958–2004)へのオマージュ。教会での追悼のセレモニーから始まり、インタビューに答える映像だったり、過去の映像のみで構成されたポートレイトです。
 ハウジングワークスは、HIV陽性だったり、感染にさらされやすいホームレスの人々に住居を与えること、ハウジングがヘルスケアであるということから、キースが立ち上げた運動で、今ではNYの中でも大きなHIV関連のNPOになっています。
 ともすると白人ゲイ男性ばかりになりがちだったHIV/エイズのアクティビズム(権利擁護運動)において、若くて聡明な黒人であるキースが活躍していたことにも重要な意味がありました。そして、周囲の人たちがどれだけ彼を大切に思っていたかが伝わってくる映像でした。


カール・ジョージ『The Lie』

 「“滅びた国家に沈思黙考”することで戦争、貧困、エイズ、資本主義の関連性をあらわにする。そして、これらを繋ぐしぶとい神話を拒絶する」という趣旨の短い映像です。
 その短編映画は世界中の映画祭で上映され、MoMAやグッゲンハイム美術館にも収蔵されているというカール・ジョージが、コラージュによって、アメリカの資本主義がいかに不平等で、貧困やHIVの問題につながっているかを告発するような作品でした。
 

ヴィヴァ・ルイズ『クロエ・ズバイロ: There is a Transolution』

 MtFトランスジェンダーのエイズアクティヴィストでアーティスト、そして友としても慕われていたクロエ・ズバイロ(1960-2011)へのオマージュです。当時のパートナーのケリー・マクゴワンが撮影した未公開Hi-8映像を通じ、彼女が話しはじめます。
 学校で授業をしたりもするし、夜はナイトクラブで歌ったりもする生活ですが、トランス女性やセックスワーカーにインタビューするなどの活動もしていたそうです。彼女自身、長い間HIV治療の薬を飲んで、毎日服用することの心理的負担や、他の薬との相互作用、トランスフォビックな医師との間のストレスなど、様々なことが重なって、亡くなったと考えられています。


ジャック・ウォーターズ/ヴィクター・F.M.トレス『(eye, virus)』

 「ビデオとピクトグラフ(視覚記号)の実験的なコラージュで、明かすこと、スティグマ、ハームリダクションに関する会話がいかに世代や公共の場やプライベートの場で変化するのかを探求する」という趣旨の短編映像です。
 画面の真ん中、ほぼ全面に、目のマークとウイルスのマークがデーンとあって、背景と化しているメインの映像は見えづらく、さらに、画面の下方には、小さな字のテロップがずっと流れており、視聴者がどこを観てよいかわからず、混乱してしまうような作品でした。そのこと自体が、HIV/エイズをめぐる状況を表している、ということのようです。
 ちなみに、映像で観た時は全く目で英文を追う気力がなかったのでわからなかったのですが、配布された資料に、下の方でテロップのように流れていたテキストの全文訳が載っていて、これがとても印象的なお話でしたので、抜粋でご紹介します。
 いとこがエイズで亡くなったとき、自分は11歳で、何が起こったのかよくわからず、母に「エイズって何?」と聞くと、「神様がホモにやるものだよ」と言ったので、「じゃあ、ホモって?」と聞くと、「男の子どうしが触りあうことだよ」と言われたそうです。彼はエイズ危機まっただ中の時代に思春期を迎え、いろんな人とセックスしていましたが、常に「いずれ自分は死ぬんだ」という考えに覆われていたといいます。でも、「相手がHIV-でイヤな奴より、HIV+で素敵な人とヤルほうがいい」という態度は変わらないかったそうです。PrEPが登場し、ようやく「私がずっと生きてきた恐怖を取り除いてくれた…これはとても健康的なことだと感じます」「自分がタチで中出ししたら、ウケをするよりリスクが低いと医者は言う…でも、もうそういう計算をしたくないんです」


イマン・シャーヴィントン『I'm Still Me』

 HIVと生きる黒人の女性シアン。ルイジアナ州のInstitute of Women & Ethnic Studiesと協同し働く彼女は、南部に住む黒人女性に極端に影響しているHIVについて声を上げています。
 実に新規感染の78%以上を黒人女性が占めているというルイジアナ州において、雇用の不安定さや貧困がHIVにつながっているのに、お前がふしだらだからだと責められるような現状がありました。そんななか、たとえて言えば渡辺直美さんのように明るく前向きなシアンは、その巨体を揺らして笑いながら、HIVと共に生きる黒人女性たちをサポートし、人々の希望の星になっています。とても魅力的な女性でした。

 
グエン・タン・ホアン『I Remember Dancing』

 「アジア人ゲイのアイデンティティ、HIV/エイズ、セーフ/非セーフセックス、親密性、欲望、危険、リスク、後悔、思慕についての、過去/現在/未来の記憶を、世代を超えたトランスやクィア/ゲイのアジア人たちが共有する」作品です。
 たくさんの方が次々に登場するのですが、みなさん、アメリカではマイノリティであるアジア系の方たちで(一部、ヒスパニック系の方などもいました)、全員「I remember」から語り始めるというのが印象的で、「初めてアジア系の友達ができた日のことを憶えている」とか、「40代にして彼氏にフラれ、ひどく落ち込んだことを憶えている」とかなのですが、なかには「トランプがついに死んだ日、みんなでそこらじゅうで乱交パーティをしたことを憶えている」といった語りもありました(実は、現在から過去を振り返るのではなく、30年後くらいの未来から現在を振り返るという想定で「I remember」と語っているんだそうです。よく考えられてるなぁと思いました)
 最後に登場した方が「I remember...」と考えて、その内容を言う前に終わる、という構成もイキでした。
 
 
 上映が終わったとき、僕が「I remember…」で語るとしたら何だろう?と考えて、すぐに、若い頃、公園を含めていろんなハッテン場で出会った数々の素敵な男性たち(私の上を通り過ぎた男たち)の記憶が走馬灯のように喚び起こされました。冒頭がハッテン公園の映画だったので、昔の自分のこととシンクロして、否応なしに思い出したのでした(7本の中で、僕的には最初と最後の作品がいちばん印象に残りました)
 
 全体として、決してウェルメイドなエンターテインメントではありませんが、HIV/エイズについて今、人々に知っておいてほしいということがギュッと濃縮されているとともに、時々、ハッとさせられるような、素敵だなと思えるような表現方法の作品が多くて、刺激になりました。観てよかったと思いました。

 それと同時に、日本では、例えば、NLGRで『四角い夏』や『ひまわり』のような素晴らしい映画が作られた時代があり、僕自身も刺激を受けて2005〜2006年頃に3本のHIV予防啓発の映像を製作したのですが(エスムラルダさん主演の「検査なんて怖くない」とか)、いつの間にか、コミュニティ内でHIV/エイズについての映画が作られなくなってしまって(それどころか、ゲイの映画自体も、コンスタントに撮り続けてるのって今泉監督くらいじゃないでしょうか…)寂しい限りだな…と思いました。
 
 終映後に、ノーマル・スクリーンの秋田さんと、ぷれいす東京の生島さんからお話がありました。
 今回のタイトルである「STILL BEGINNING」とは、「エイズはまだ終わっていない」という意味であるということ。
 そもそもレッドリボンはVisual AIDSのデザイナーの方たちが1991年に発明したもので、セレブたちが一斉にレッドリボンを胸に着けたりして、広まったのだということ。
 それから、今回の映画を通して何度となく登場したキーワード「ハームリダクション」のこと。注射針でクスリをやってる人たちに、頭ごなしに「ダメ、絶対」と厳罰主義で臨んでもあまり事態の改善(HIVの予防)は見込めないため、それよりは注射針の使い回しを回避するためにキレイな注射針を配るほうが現実的だとする考え方・実践のことです。
 
 会場からの質疑応答の後、御大・北丸雄二さんが、アメリカの状況をよく知る人として、今日の映画について補足説明するような、ためになるお話をしてくださいました。『I Remember Dancing』にも出てきたAPICHA(アジア太平洋地域にルーツを持つ人たちの支援団体)などの団体のこと、ニューヨークで日本食レストランを営んでいる方たちの多くが60年代にゲイとして生きていくのが困難な日本から渡ってきた人たちで、そういう方たちに90年代、HIV/エイズが影響したというお話、それから、「Day Without Art」の始まりは、アート界やブロードウェイで活躍しているような人たちがみんな亡くなってしまった(ブロードウェイで新作が上演できなくなってしまった)危機的な状況の中で、美術館が、12月1日はクローズにして、館員たちをボランティアに行かせたんだ、といったお話が、たいへん興味深かったです。現在発売中の『LGBTヒストリーブック』にも、エイズとの闘いの歴史のお話が盛り込まれているそうです。

 
<ご案内>
 次のノーマル・スクリーンの上映会は、年明け1月13日(月祝)です。アメリカの黒人ゲイ男性による表現の歴史を語るうえで欠かすことのできない映像作家、マーロン・リグスの1989年の代表作『Tongues Untied』を特別上映します。
「差別や憎悪に晒され続け、さらに降りかかるエイズ危機にも屈せず生きる彼らの苦悩。その只中で生み出されてきたユーモアや遊びの表現。張り詰めた緊張感をもって沈黙を破る彼らの声を、映画は実験的なドキュメンタリー/エッセイのスタイルで革命的に響かせる。2019年には30周年を記念して全米各地で上映された本作を日本語字幕つきで(おそらく)日本初上映です」

『タンズ・アンタイド Tongues Untied』上映
日時:2020年1月13日(月祝)14:30-16:30
会場:日比谷図書文化館 日比谷コンベンションホール(東京都千代田区日比谷公園1-4)
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