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REVIEW

ゲイが堂々と生きていくことが困難だった時代に天才作家として社交界を席巻した「恐るべき子ども」の素顔…映画『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』

ゲイだとバレたら生きていけなかったような時代に、ゲイのセレブリティのアイコンとして社交界を席巻し、数々の傑作を発表したトルーマン・カポーティ。その虚飾をはぎとった本当の姿を、ゲイの監督が愛情を持って描いた感動作です。

映画『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』

これはいい映画でした。沁みました。『ボーイズ・イン・ザ・バンド』初演の20年も前、とてもじゃないけどゲイが堂々と生きていくことが困難だった時代に、『遠い声 遠い部屋』で同性愛を描き、ニューヨーク社交界で堂々とゲイとして華やかな生活を送った奇跡の人、カポーティ。しかし虚飾にまみれた喧騒の奥の少年・トルーマンの素顔こそが真実であり、観客の胸を打つのです。切ない気持ちにさせられました。観てよかったと思いました。レビューをお届けします。(後藤純一)






 
 冒頭、ケイト・ハリントンという女性が登場し、おもむろに語り始めます。子どもの頃、父親ジャック・ダンフィがカポーティを家に招いたのですが、カポーティのしゃべり方があまりに変だったので、キッチンで笑い転げ、母親に怒られた、でもカポーティのことは気に入った、やがて父親はカポーティのパートナーとなった(!)、父親はもともとアルコール依存症であまり働かなかったということもあり、ほどなく家を出て行ったが、母子はやがて生活に困るようになり、ケイトが夏休みにカポーティに電話して何か仕事がないかと相談すると、ニューヨークに招いてくれた、カポーティは「君はモデルに向いてる」と言ってその場でケイトをリチャード・アヴェドンの元に連れて行き、彼女の生活(というか人生そのもの)を変えてくれた…。のちにカポーティはケイトを養女として引き取り、面倒を見るようになった、というのです(いい話!)

 トルーマン・カポーティは(2005年の『カポーティ』ではフィリップ・シーモア・ホフマンが演じてたので大柄なイメージだったのですが)ものすごく背が小さくて、繊細で、ゲイで、アメリカの「どこにもいない」タイプの男の子で、父も母もいない孤児として親戚の間をたらい回しにされて育ちました。トルーマンがいちばん大切にしていた友達はスックという発達障害の人でした(最後に感涙モノのエピソードが明かされます)
 のちに、ニューヨークに出てカポーティというお金持ちと結婚した母親に引き取られ(母親は死ぬまでゲイであることを受け入れてくれなかったそうですが)、『ザ・ニューヨーカー』誌でバイトを始め、10代で処女小説『ミリアム』(1943年)を書いてオー・ヘンリー賞を受賞、若き天才と称されます。初長編『遠い声 遠い部屋』(1948年)では、アメリカ史上初めて同性愛を描き(しかも裏表紙が一面、自分の写真でした)、センセーションを巻き起こしました。
 カポーティは非常に体が小さく、奇妙なしゃべり方をする孤児のゲイという、他所では生きていけなかったであろう境遇を克服し、面白おかしいおしゃべりで社交界で人気を博し、味方を増やし、多くのセレブ(主に女性)と交友関係を持ち、華やかな暮らしをしながら『ティファニーで朝食を』『冷血』などの大ヒット作を書いていくのです。
 
 映画では、カポーティがいかにセレブな女性たち(彼がスワンと呼ぶ美しい女性たち)と深いつながりを持っていたかとか、『ティファニーで朝食を』が映画化されたものの、そのラストシーンが書き換えられていたことに激怒したとか、『冷血』を書くために6年もカンザスに通った理由(犯人にひとからならぬ思いを抱いていた)とか、ニューヨークで最も瀟洒な「プラザホテル」のグランドボールルームで20世紀最大とも言われる伝説の仮面舞踏会「Black and White Ball」を催した話とか、「スタジオ54」でラリって遊んでいて、寝ずにそのままテレビに出演した話とか、未完の遺作『叶えられた祈り』でセレブたちの赤裸々な秘密を暴露し、大勢のセレブの怒りを買った(一方、大衆には大絶賛された。現代のリアリティ・ショーのはしりとも言われる)話などが描かれます。

 しかし、そうした表面的な(誰もが知っている)きらびやかで社交的なカポーティの生活は「虚飾」に過ぎず、人には見せないトルーマン自身の素顔、本質的な人間性に迫ったところが、この作品の真価です。
 
 カポーティが社交界でセレブたちと華やかに交友を深めていた当時(50年代)は、ゲイだとバレたら社会的死を意味する時代でした。もしカポーティが故郷の南部にいたままだったら、とてもじゃないけど働き口も見つからなかったでしょうし、ホモフォーブたちに殺されていたかもしれません。とても体が小さい(自身は「寸詰まり」と称しています)ゲイが成功者として生きていけたのは、作家としての成功と、ニューヨークの社交界という特別な場所(セレブは「クィア」な人物も受け入れる素地があります。なにせ退屈しているので)で、生き抜くために、面白おかしくおしゃべりして社交界や政財界に味方を増やしていったからです。
 ある意味、美輪様のような人だと思いました。誰一人カミングアウトしていない時代に、持ち前の才気で華やかに振る舞い、成功し、名声を博し、味方を増やしながら生き抜いた、パイオニアだったのです。

 しかし、どこまでいってもマイノリティであるカポーティは、華やかな虚飾の裏で、ひどく孤独を感じ、内心はふだん仲良くしている特権階級の人たちを軽蔑していた(彼らに復讐していたのではないかとすら思えます)、そして、本当に愛していたのは…仲の良かった友人たちや養女の証言から、トルーマンの本当の姿が見えたとき、思わず胸を打たれました。
 
 この真情あふれる映画を作ったのは、イーブス・バーノーという若い黒人のゲイの監督で(今作が初監督作品です)、彼はオバマ政権時代、ミシェル・オバマの秘書を務めていた人物でした。同じゲイだからこそ、トルーマンの心情に寄り添い、一見不可解に思えるトルーマンの行動(なぜカンザスに6年も通ったのか、なぜつきあいの深かった社交界の人々の秘密を暴露したのか)の真意を理解し、彼が生涯手放さなかった子どものような純粋さ、崇高さに光を当て、感動的な作品に仕上げることができたのだと思います。『ボーイズ・イン・ザ・バンド』もそうですし、『ハリウッド』もそうでしたが、厳しかった時代を生きた過去のゲイの先人たちの生き様や作品を、クローゼットの奥から取り出して感謝とともに「供養」するような、愛情を持って再評価するような試みだったのではないでしょうか。その気持ちの尊さにも、胸を打たれました。
 


トルーマン・カポーティ 真実のテープ
原題:The Capote Tapes
2019年/98分/アメリカ・イギリス合作/監督:イーブス・バーノー/出演:トルーマン・カポーティほか

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