REVIEW
映画『ノー・オーディナリー・マン』(レインボー・リール東京2021)
死後にトランス男性だったことがわかり、センセーショナルに取り上げられたジャズミュージシャン、ビリー・ティプトンのことを、今を生きるトランス男性たちが振り返り、その人生を再構築していくドキュメンタリー映画です。『Disclosure トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして』の続編とも言うべき作品でした。






1940年代から50年代に活躍したのち表舞台から姿を消したジャズミュージシャン、ビリー・ティプトン。50年代には、自身のグループ「Billy Tipton Trio」の活動を始め、レコード会社と契約し、2枚のアルバムをリリースし、成功を収めました。が、それ以上の成功は追求せず、ワシントン州のスポーケンという街に移り住み、62年にキティという元ストリッパーの女性と結婚し、3人の養子を得て、生活するようになりました(のちにキティとは離婚し、子どもたちを育てました)
そして1989年に息子のビリーJr.の腕に抱かれて亡くなりました。駆けつけた救急隊員が蘇生を試みようとシャツを脱がせた時、ビリーの身体が女性であることに気づき、やがてマスコミに知られるところとなり、「性別を偽った」などと心ない言葉でセンセーショナルに書き立てられました…。テレビに出演したキティは「ビリーは男性でした」と、ビリーJr.も「ビリーは愛情深い、立派な父親でした」と語りました。
映画『ノー・オーディナリー・マン』は、ビリー・ティプトンという実在の人物が、今を生きる当事者たちにとってどのような意味を持つ存在であるかを、大勢のトランスジェンダーの俳優や作家などの語りを通じて再構築したドキュメンタリーです。
ある人は、「歴史上初めてトランス男性として認知された(それまでいないことになっていた)」と強調し、ある人は、「性別適合手術や公的支援などもなかった時代に独力でやり通した」ことのスゴさを称賛しました。
『Law&Order』などに出演しているマッチョな黒人トランス俳優のMarquise Vilsonが、1993年にブランドン・ティーナ(ヒラリー・スワンクが映画『ボーイズ・ドント・クライ』で演じたトランス男性)が殺害された事件を知って「彼に起きたことは自分にも起きるかもしれないと思った」と語るシーンには既視感を覚えました。『Disclosure トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして』と全く同じだったからです。『ノー・オーディナリー・マン』はいろんな意味で、『Disclosure トランスジェンダーとハリウッド: 過去、現在、そして』の続編とも言うべきドキュメンタリー映画だと感じました。
感動的だったのは、ビリーの息子であり「ビリーを知る最後の人物」であるビリーJr.の元をトランス男性の方が訪ねるシーンです。ビリーJr.自身も、父親の性別についての真実を死後に知らされて驚き、さんざんメディアに興味本位の質問をされてきて、複雑な思いを抱えて生きてきましたが、『FTM』というコミュニティ誌に書かれたビリー・ティプトンの記事を見せてもらって、「ビリー・ティプトンのおかげで救われた当事者がたくさんいる」と伝えられ、ビリーJr.は「全然知らなかった」「父のことをそんなふうに称えてくれてとてもうれしい」と語っていました。
共同脚本のAmos Mac(かわいいです)、共同監督のChase Joyntもトランス男性です。
カナダのLGBTQ映画祭「Inside Out Film and Video Festival」でベスト・カナダ映画賞に輝いています。
冒頭の空撮のシーンが素敵でした。全体として撮り方のこだわりや映像の美しさを感じさせる映画でした。
前日に観た『恋人はアンバー』で、アンバーが好きなバンドとして熱弁をふるっていたビキニ・キルの名前がこの映画にも出てきた(ビリー・ティプトンのことを歌っていたそうです)ということに、ただの偶然ではない、シンクロニシティ的なものを感じました。
終映後に会ったレズビアンの友人が、目に涙を浮かべながら「よかった…」と語っていました。
こうした世界の知られざるLGBTQ映画の名作を上映し、みんなで一緒に観る機会をつくってくれる映画祭、本当にありがたいとしみじみ思います。
ノー・オーディナリー・マン
原題:No Ordinary Man
監督:アシュリン・チンイー、チェイス・ジョイント 2020|カナダ|83分|英語
後援:在日カナダ大使館 ★日本初上映
INDEX
- たとえ社会の理解が進んでも法制度が守ってくれなかったらこんな悲劇に見舞われる…私たちが直面する現実をリアルに丁寧に描いた映画『これからの私たち - All Shall Be Well』
- おじさん好きなゲイにはとても気になるであろう映画『ベ・ラ・ミ 気になるあなた』
- 韓国から届いた、ひたひたと感動が押し寄せる名作ゲイ映画『あの時、愛を伝えられなかった僕の、3つの“もしも”の世界。』
- 心ふるえる凄まじい傑作! 史実に基づいたクィア映画『ブルーボーイ事件』
- 当事者の真実の物語とアライによる丁寧な解説が心に沁み込むような本:「トランスジェンダー、クィア、アライ、仲間たちの声」
- ぜひ観てください:『ザ・ノンフィクション』30周年特別企画『キャンディさんの人生』最期の日々
- こういう人がいたということをみんなに話したくなる映画『ブライアン・エプスタイン 世界最高のバンドを育てた男』
- アート展レポート:NUDE 礼賛ーおとこのからだ IN Praise of Nudity - Male Bodies Ⅱ
- 『FEEL YOUNG』で新連載がスタートしたクィアの学生を主人公とした作品『道端葉のいる世界』がとてもよいです
- クィアでメランコリックなスリラー映画『テレビの中に入りたい』
- それはいつかの僕らだったかもしれない――全力で応援し、抱きしめたくなる短編映画『サラバ、さらんへ、サラバ』
- 愛と知恵と勇気があればドラゴンとも共生できる――ゲイが作った名作映画『ヒックとドラゴン』
- アート展レポート:TORAJIRO 個展「NO DEAD END」
- ジャン=ポール・ゴルチエの自伝的ミュージカル『ファッションフリークショー』プレミア公演レポート
- 転落死から10年、あの痛ましい事件を風化させず、悲劇を繰り返さないために――との願いで編まれた本『一橋大学アウティング事件がつむいだ変化と希望 一〇年の軌跡」
- とんでもなくクィアで痛快でマッチョでハードなロマンス・スリラー映画『愛はステロイド』
- 日本で子育てをしていたり、子どもを授かりたいと望む4組の同性カップルのリアリティを映し出した感動のドキュメンタリー映画『ふたりのまま』
- 手に汗握る迫真のドキュメンタリー『ジャシー・スモレットの不可解な真実』
- 休日課長さんがゲイ役をつとめたドラマ『FOGDOG』第4話「泣きっ面に熊」
- 長年のパートナーががんを患っていることがわかり…涙なしに観ることができない、実話に基づくゲイのラブコメ映画『スポイラー・アラート 君と過ごした13年と最後の11か月』
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