g-lad xx

REVIEW

クラシックの世界のリアルを描いた登場人物がクィアだらけの映画『TAR/ター』

惜しくもオスカーは「エブエブ」に譲ったものの、GG賞でケイト・ブランシェットが主演女優賞に輝いたことなどで話題を呼んだ映画『TAR/ター』。ケイト・ブランシェットの演技の凄さもさることながら、登場人物がクィアだらけだったりするところにも注目したい作品です。

クラシックの世界のリアルを描いた登場人物がクィアだらけの映画『TAR/ター』

 今年のゴールデン・グローブ賞で主演女優賞に輝き、アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、撮影賞、編集賞にノミネートされた『TAR/ター』。米国の5大オーケストラでタクトを振ったのち、ベルリン・フィル初の女性首席指揮者に就任したリディア・ターという架空の人物を描いた作品です。ターはベルリン・フィルの女性コンサート・マスターと一緒に暮らしていて、移民の女子を養子に迎え、自らを“パパ”と称しているそうです。圧倒的な名声を手にし、飛ぶ鳥を落とす勢いのターですが、その権力の大きさゆえに(あるいは、女性だから、レズビアンだから)とある出来事に翻弄され、転落していく…というストーリーです。女性指揮者クレール・ジボーは「『TAR/ター』の主人公が男性だったら、これほど衝撃的ではなかったはずだ」と語っています。惜しくも「エブエブ」のミシェル・ヨーに譲りましたが、オスカーの呼び声も高かったケイト・ブランシェットの演技の凄さを堪能する作品であり、クラシックの世界が(音楽ライターの方が「ここまでリアルな作品は初めて」と興奮するほど)実にリアルに描かれており、「圧」のあるオーケストラの音から繊細な音まで、音がターの精神状態を表現する演出の妙も賞賛されています。ちなみにケイト・ブランシェットは、不朽の名作『キャロル』でもレズビアンの役を演じており、自身も過去に女性との交際の経験があるとカムアウトしています。

<あらすじ>
リディア・ターは、かつてフルトベングラーやカラヤンが指揮をしていたベルリンフィルという世界最高峰のオーケストラで初の女性首席指揮者に任命され、EGOT(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞を全て獲った人物)であり、未来の指揮者を育成する事業にも携わるなど、賛辞をほしいままにする音楽家。その人並みはずれた才能とプロデュース力で実績を積み上げ、自身の存在をブランド化し、名声を高めてきた一方、レズビアンであることもカムアウトし、パートナーとともに娘も育てている。しかし、マーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャー、そして新曲の創作に苦しめられていた。そんな時、かつて彼女が指導していた若手女性指揮者の訃報が届き、彼女にある疑念がかけられる…。






 あのケイト・ブランシェットが不朽の名作『キャロル』に続き、レズビアンを演じた映画、そしてオスカーにも手が届きそうになるくらい高い評価を受けた作品ということで、観に行きました。正直、心理的に怖がらせる系の映画だったので、苦手でしたし、顔が見えない誰かの「悪意」が本当に…心臓に悪いというか、いたたまれない気持ちになりました。そして、こんなに終わり方が「?」となる作品も珍しいと思いました。なんとも、もやもやが残ります…。
 
 ここでは、この映画をLGBTQ(クィア)的な視点で観てどうだったかということを書いていきたいと思います。
 まず、リディア・ターが、伝統を重んじ、一般社会よりも保守的であり、まだまだカミングアウトが困難なクラシック音楽の世界で(カミングアウトして有名な楽団のトップに就いた人というと、オープンリー・ゲイとしてロンドン交響楽団の首席指揮者となったマイケル・ティルソン・トーマスや、メトロポリタン・オペラの音楽監督に就任したヤニック・ネゼセガンしか思いつきません※)、堂々とレズビアンであることをカムアウトし、頂点に登りつめた人物であるというところがスゴいと思います。リディアはベルリンフィルのコンマス(第一バイオリン奏者)の女性と共に暮らしており、ペトラという娘も育てています。しかし、リディアはフェミニズムやLGBTQの運動にはさほど関心がないように見えます。

※レナード・バーンスタインのことを挙げる方もいらっしゃると思います。バーンスタインは男性との関係を隠していなかったとも言われていますが、『ニューズウィーク』紙では、キャリアに傷がつくことを避け、性的指向を隠していたとされています。公然の秘密ではあったものの、公にカミングアウトしていたとは言えない、ということのようです。なお、リディア・ターはバーンスタインに憧れて音楽を志し、バーンスタインに師事したという設定になっています。レジェンドへのオマージュが感じられます。

 映画には、彼女たち以外にも、リディアと性的関係を持っていたのではないかと想像される女性も複数描かれていますし、ゲイの登場人物も何人も出てきます。そのなかには、既婚者で、セクシュアリティを公にしていない男性もいました(リアルだと思います)。クラシック音楽の世界には、たくさんのゲイやバイセクシュアルの指揮者や演奏家がいましたが、その多くは性的指向を公にはしておらず、ジェームズ・レヴァインのように同性への性的虐待を告発され、失墜した人もいます。
 
 リディアはLGBTQの運動にはさほど関心がないように見えると書きましたが、それは、若いクィアの人物とのやりとりからうかがえることです。その若いクィアの人(パンジェンダーだそう)はZ世代らしい、イマドキな考え方で、リディアはたぶんその考え方を理解することができず、まるでクラシック業界を古くから牛耳っている男性が言いそうな発言で、やり込めてしまうのです…。権威主義的、パワハラ的なキャラクターだといえばその通りなのですが、女性でありレズビアンである彼女がそのような振る舞いをするところに、一抹の違和感を禁じえませんでした。保守的なクラシックの世界でのし上がるというのはそういうことなのかもしれませんが…。(総じて、リディアの行動は、これまでだったら男性がやっていたようなことです。クレール・ジボーという女性指揮者が「『TAR/ター』の主人公が男性だったら、これほど衝撃的ではなかったはずだ」とコメントしているように、男性がやりそうなことをやらせ、男性が担いそうな役割を担わせることで、フェミニズム的な意味を持たせていたのではないでしょうか)
 
 そして、この映画のメインのストーリーになっているのが、リディアが若いチェロリスト・オルガに一目惚れし(彼女はたぶんストレートです)、職権を濫用…というかうまく使って、彼女のためにいろいろ便宜をはかってあげるというお話です。男性がやりそうなことです(逆に、リディアの好意を断ったらどうなるか…というのも、重要なストーリーラインです)
 
 マーラーの交響曲5番がモチーフになっていることは重要な意味を持っています。ヴィスコンティの映画『ベニスに死す』を思い出させるからです(リディアも指揮台の上で「ヴィスコンティのことは忘れて!」と言います。笑うところかも?)。ご存じのように『ベニスに死す』は、老いた大学教授が美少年に一目惚れし、我を忘れて彼に入れ込むあまり、破滅していくという作品で、これはオルガを贔屓にしすぎて周囲の反感を買うリディアの運命を暗示しているのだということが、後になってわかります(つまり伏線です)
 あまり詳しく言いませんが、最後の方に、「5番」が出てきて、リディアが精神的ダメージを受けるシーンもあります。そのシーンで、町山智浩さんは、リディアが楽団員の女性たちに対して行なってきたことがどういうことだったのかをようやく理解したのだと解説しています(リンク先はネタバレ解説ですのでご注意ください)

 『キャロル』のケイト・ブランシェットが主演し、『燃ゆる女の肖像』のノエミ・メルランも出演しているところに、レズビアン映画史へのリスペクトが感じられます。

 決してゲイテイストではありませんが、クラシックになじみのある方は、ディテールをものすごく楽しめると思います(リディアがバッハの「平均律クラヴィーア」の1番を弾くシーンで、グレン・グールドの真似をしたり。ご存じの方は笑えると思います)

 また、リディアの心象風景を表すかのような音の使い方も印象的です(怖いです)

 これは一体、誰がやったの…とか、このシーンは一体どういうことなの?という、謎が解決されないままだったり、実はこういう世界線だったという解釈も成り立つような、一度観ただけではわからない(腑に落ちない)部分が残る作品だと思います。だからこそ芸術的価値が高く、世界的な評価も高いのかもしれません。

 もし興味がある方は、ご覧になってみてください。
 
 

TAR/ター 
原題:TAR
2022年/米国/159分/監督・脚本・製作:トッド・フィールド/出演:ケイト・ブランシェット、ニーナ・ホス、ノエミ・メルラン、ジュリアン・グローヴァーほか
5月12日より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国にて公開

INDEX

SCHEDULE