REVIEW
映画『パトリシア・ハイスミスに恋して』
『太陽がいっぱい』『キャロル』など映画史に残るクィア作品の原作者としても知られるパトリシア・ハイスミスのレズビアンとしての真実を描いたドキュメンタリー映画です。もし彼女がもっと後の時代に生まれていたら、よきパートナーを見つけて幸せな晩年を送れたのでは…と思わずにはいられない、切ないお話でした
欧米ではアガサ・クリスティと並ぶ人気を誇るサスペンス、ミステリー作家で、『太陽がいっぱい』『キャロル』など映画史に残るクィア作品の原作者としても知られるパトリシア・ハイスミスの知られざる素顔に迫るドキュメンタリー映画です。偽名で発表した『キャロル』は自伝的小説であり、1950年代のアメリカでハッピーエンドで終わる初のレズビアン小説でしたが、そんな栄光を手にしながらも、ハイスミス自身は女性達との旺盛な恋愛活動を家族や世間に隠す二重生活を余儀なくされていました。そんなハイスミスの生涯を、生誕100周年を経て発表された秘密の日記やノート、貴重な本人映像や元恋人たちへのインタビュー、家族による証言、そしてアルフレッド・ヒッチコックやトッド・ヘインズ、ヴィム・ヴェンダースらによる映画化作品の抜粋映像を織り交ぜながら描き、多くの女性から愛されたハイスミスの謎に包まれた人生と著作に新たな光を当てた作品です。
どちらも同性愛を描いているけど、真逆のように見える『キャロル』と『リプリー』というLGBTQ映画史上の有名作の原作を書いたパトリシア・ハイスミスとはどんな人だったのか、とても興味がありましたし、リスペクトも込めて、観に行こうと思いました。
『キャロル』がどれだけ心ふるわせる名作だったかというのは、こちらのレビューで熱く語っている通りです。しかし、『リプリー』という映画は、私にとっては、心理的な緊張感というかサスペンスというか、リプリーがどんどん人を殺してしまうのではないかという恐怖が先に立ってしまい、正直、つらかったです…マット・デイモン演じるリプリーがまるで女の子のようにはしゃぎながらダンスするシーンや、ジュード・ロウへのセクシャルな視線、そしてピーターという原作にない人物との関係など、同性愛要素が描かれていたのはよかったのですが、リプリーが平然と犯罪を犯してしまえる精神異常者のように描かれていて、ゲイを肯定しているとは思えませんでした(ちなみに原作が同じである『太陽がいっぱい』のほうは、同性愛はほのめかし程度だったと記憶しています)
私にとって、この両極端とも言える作品をつくったパトリシア・ハイスミスという作家は、謎に包まれた「ミステリアス・ガール」であり、どんな人物だったのか、とても興味がありました。
映画を観てわかったのは、パトリシア・ハイスミスは基本的にサスペンス的な小説の売れっ子作家であり(処女作の『見知らぬ乗客』はヒッチコックに見出されて映画化され、『太陽がいっぱい』も大ヒットし、一躍時の人となったのです)、『キャロル』こそが例外だった(ペンネームで出版された)ということでした。自分が生まれる前に両親が離婚し(母親はテレピン油を飲んで流産させようと思ったと言い)、6歳まで父方で暮らし、その後は母親と継父に育てられ、しかし、母からの愛情はほとんど与えられず(なんでスカートはかないの、もっと女らしくしなさい、的な)、という複雑な家庭環境で育ち、そして決して世の中に公表できない“異端”の同性愛者として、どこにも心の拠り所を見出せず、不安や恨みをつのらせていたパトリシアは、人間の暗い心理を巧みに描く作家として才能を開花させ、成功していきました。きっと彼女にとって『リプリー』こそが現実であり、『キャロル』は夢物語だったのでしょう。
そのこと以上に感銘を受けたのは、ハイスミスのモトカノが何人も登場し、その恋愛について赤裸々に語っていたことです。この映画は、一人の1921年生まれの同性愛者のアメリカ人女性の愛の遍歴を描いた作品でもありました。
1950年代のニューヨークにはたくさんのGAY BAR(レズビアンバー含む ※この映画では女性の同性愛者もGAYと言っています)がありましたが、そこは秘密の場所であり、タクシーでGAY BARに乗りつけると「店名を人に言うなんて!」と怒られて出禁になったり、人々はGAY BARに行くのに、それと悟られないよう、地下鉄の1つ前の駅で降りて歩いたりしていたという話には驚かされました。(GAY BARのシーンで語られていた「同性愛者は集いたがる。同じ地獄を経験し、生き抜いた仲間だから」という言葉も、沁みました。ちょっと前まで、二丁目もそんな感じじゃなかったでしょうか)
そんな時代ですし、そもそもハイスミスは南部の保守的なテキサス州の出身で、離婚した母と継父に連れられてニューヨークに移り住んだものの、親族はテキサスにいて、同性愛を認めることはありませんでした(映画に彼女の甥や姪に当たるような親族が登場していましたが、ロデオ・アナウンサーをしていたパトリシアの兄のほうがテキサスでは有名だと口を揃えて言い、パトリシアに対しては極めて冷やかでした)
『キャロル』はアメリカで初めての、主人公が死んだり自殺したりリストカットしたり不幸なエンディングにならないレズビアン小説でした。若かりし頃のハイスミスは、自分自身の経験をそこに反映し、レズビアンが不幸にならずに愛する人と結ばれ、生きていける未来を描いたのでした。しかし、そんな小説を、本名で発表できる時代ではなく、彼女はクレア・モーガンという偽名で『キャロル』を発表しました。テキサスの親族には決してGAYだとバレないようにしていたのに、(不仲だった)母親が、パットが『キャロル』の本当の作者なのよ、と親族にアウティングしてしまい、パトリシアは激怒したそうです。
しかし、ニューヨークに住んでいたことは、ハイスミスにとってラッキーだったと思います。作家として成功を収め、また、作家にしては華やかな見た目であったこともあり(これは作家が地味だという偏見ではなく、ハイスミスのモトカノがそう言っていたのです)、GAY BARではものすごくモテたそうです。
ただ、欧州に移り住んだあと、ハイスミスは(タベア・ブルーメンシャインなどともつきあいましたが)、ロンドンに住むキャロライン(仮名)という既婚女性と本気の恋に落ち(まんま『キャロル』です)、その女性は二重生活を送っていたわけですが、ハイスミスは会いたい時に会えない、一緒に過ごすことができない苦しみから、その恋をあきらめてしまい…その後の彼女の人生は、とても寂しいものになってしまいました。
晩年、何かをこじらせてしまったのか(「ルサンチマン」という言葉が痛かったです)ちょっとショッキングな…ダークサイドに落ちた的なエピソードもあり、なんとも言えない気持ちになりました。
もし時代が、世の中がもっと同性愛者に寛容だったら、あるいはハイスミスがもっと後の時代に生まれていたら、既婚者との恋というつらい経験をせずにすんだかもしれない、生涯添い遂げられるようなパートナーとめぐり会えて、幸せな晩年を過ごせたのではないかと思えてなりません。ハイスミスはインタビューで「幸せですか」と聞かれ、「概ね幸せよ」と答えていましたが、一人の同性愛者としては本当に幸せだったのだろうかと問わずにはいられませんでした。あんなに著名な作家(ある意味、スター)だったのに、あんなに孤独な最期を迎えたという事実に、胸が痛みました…本当に切なかったです。
映画ではそういうふうには言っていませんが、パトリシア・ハイスミスもまた、ホモフォビアが根強かった時代の犠牲者なのではないかと思わずにはいられませんでした(もし彼女がゲイ男性だったら、また違っていたかもしれない、とも)
逆に言うと、どんなに成功を収めようと、どんなにお金持ちになろうと、同性愛を受け容れない社会では私たちは決して幸せになれない(だからこそ、私たちはホモフォビアと闘い続けなければいけない)ということを身をもって教えてくれたのではないかとも思えます。
(文:後藤純一)
パトリシア・ハイスミスに恋して
原題:Loving Highsmith
2022年/スイス・ドイツ合作/88分/G/監督:エバ・ビティヤ/出演:マリジェーン・ミーカー、モニーク・ビュフェ、タベア・ブルーメンシャイン、ジュディ・コーツほか
11月3日から、新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
(C)2022 Ensemble Film / Lichtblick Film
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