REVIEW
ホモフォビアゆえの悲劇的な実話にもとづく、重くてしんどい…けど、素晴らしく美しい映画『蟻の王』
60年代のイタリアで、教授と教え子が同性どうしで愛し合ったがゆえに教授が「教唆罪」で有罪とされた「ブライバンティ事件」という実際にあった事件に基づいた映画です。実に痛ましいですが、たいへんに美しい作品でもあります
1960年代のイタリアで、哲学者・詩人・劇作家のアルド・ブライバンティ教授がその教え子・エットレと愛し合ったがゆえに「教唆罪」で有罪とされた「ブライバンティ事件」という、実際にあった事件に基づき、名匠ジャンニ・アメリオ監督が「今も存在する“異なる人”に対する憎悪に立ち向かう勇気を与えたい」との思いで撮り上げたのが、この『蟻の王』です。
第79回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に出品され、独立賞5部門を受賞しています。アルドを演じたルイジ・ロ・カーショは、「ブライバンティの複雑さと弱さを驚くほど繊細に表現している、卓越した演技」と称賛されたそう(londonmumsmagazine)。ほかにも新星レオナルド・マルテーゼ、カンヌ国際映画祭男優賞受賞歴を持つエリオ・ジェルマーノらが出演しています。
<あらすじ>
1960年代、ポー川南部の街ピアチェンツァに住む詩人かつ劇作家で、蟻の生態研究者でもあるアルドは、教え子の若者エットレと惹かれ合い、ローマに出て共に暮らし始める。しかしエットレの家族は二人を引き離し、アルドは逮捕され、エットレは電気ショックで同性愛を“治療”するための施設に送られてしまう。世間が好奇の目を向ける中、裁判が始まり、新聞記者エンニオは熱心に取材を重ね、不寛容な社会に声を上げるのだが……。
予想はしていましたが、重く、辛く、とてつもなく苦しい…しかし、素晴らしく美しい映画でした。
エットレが精神病院で電気ショックの“治療”を施される場面は、本当にショックでした(虐待や拷問がトラウマになっているような方は観ないほうがよいかもしれません)
そのような残酷な“治療”を、“愛”や“正しさ”の名の下に受けさせる家族は、『チョコレートドーナツ』のあの蛇のような目をした男と同様、ホモフォビアに取り憑かれ、おぞましく、まるで悪魔のようでした。こめかみが焼けただれ、髪が抜け、げっそりと痩せ細ったエットレの姿はまるでナチスドイツの強制収容所に入れられたゲイの囚人のようで、正視に耐えませんでした…。
『トム・オブ・フィンランド』や『大いなる自由』でもリアルに描かれているように、いま同性婚が認められているような欧州の国々であっても、戦後すぐにゲイ解放がなされたわけではなく、60年代までは厳しい状況が続いていました。イタリアでは同性間の性行為を有罪とする刑法はありませんでしたが(なぜなら、ファシスト政権下でムッソリーニが「同性愛者は存在しない」と言ったからです。同性愛者がいないのであれば、それを罰する法律も要らないというわけです)、おかげで戦後も「同性愛者は“治療”するか、自死するか」という状況が続いていました。そして、ホモフォビア(ブライバンティへの恨み)に取り憑かれた家族は、同性愛者を罰する刑法の代わりに、形骸化していた「教唆罪」という罪を持ち出して告訴し、裁判官も、世間の人々も、寄ってたかってブライバンティを“変態”で“倒錯者”で“犯罪者”だと罵り、地獄に突き落としたのです。
しかし、味方(アライ)が全くいないわけではありませんでした。
イタリア共産党の機関紙『UNITA』の記者・エンニオとその従姉妹・サラが立ち上がり、ブライバンティの擁護に回ったのです。賛同してくれる人はほとんどおらず、孤立無援な闘いでしたが、それでも、アライが少しずつ増えていく様子も描かれました。
人は、世の中にたった一人でも味方になってくれる人がいるだけで、絶望せずに済みます。ブライバンティもそうでした。
この映画でそのような場面が描かれたことには非常に重要な意味があると感じます。ゲイに限らず、世界には絶望しそうになっている人がたくさんいますが、きっと味方になってくれる人がいる、と思えるかどうかが生死を分けるかもしれないからです。
ブライバンティとは対照的なゲイの姿が描かれていたことも、興味深かったです。彼が登場したことで、アルドはなんて高潔で、正直で、PRIDEを持った人物だったのだろうと気づかされました。アルドは(芸術に関しては実に厳しい先生でしたが)哲学や詩を愛した本当に真っ当で知性的で素晴らしい人間でした。
それだけに、こんな素晴らしい人が、ただ同性で愛しあったというだけで裁判にかけられることの不条理が際立っています。本当に痛ましいです。
打ちのめされたのはブライバンティとエットレだけではなく、ブライバンティの年老いたお母さんもまた、ひどい仕打ちを受けた人の一人でした。家の壁に「おかまの家」と落書きされたのを見てショックを受けたお母さんの姿を捉えたシーンは、忘れられない印象をもたらします。
ローマの風景がいちいち、美しいです。特にブライバンティとは対照的なゲイの方の豪邸から見える夜景にはウットリすると思います。ローマに行ってみたくなります。
劇中で交わされるセリフ、特に詩を読むくだりもそうですし、音楽も素晴らしいです。
すべてが美しい。けど、本当に悲しい。そんな映画でした。
蟻の王
原題:Il signore delle formiche
英題:Lord of the Ants
2022年/イタリア/140分/監督・脚本:ジャンニ・アメリオ/脚本:エドアルド・ペティ、フェデリコ・ファバ/出演:ルイジ・ロ・カーショ、エリオ・ジェルマーノ、レオナルド・マルテーゼ、サラ・セラヨッコほか
後援:イタリア大使館、イタリア文化会館
(C)Kavac Srl / Ibc Movie/ Tender Stories/ (2022)
INDEX
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