REVIEW
性的嗜好におけるマイノリティの生きづらさを描いた映画『正欲』
正統なセクシュアリティとは何なのか、誰にそれを決める権利があるのか、人は他者とどこまで理解しあえるのか、といったことを世に問うような作品です

原作は柴田錬三郎賞に輝いた朝井リョウさんのベストセラー小説。映画は東京国際映画祭コンペティション部門にて最優秀監督賞と観客賞を受賞しています。LGBTQコミュニティ内でもちらほら話題になっていたかと思います。
<あらすじ>
横浜に暮らす検事の寺井啓喜は、息子が不登校になり、教育方針をめぐって妻と度々衝突している。広島のショッピングモールで販売員として働く桐生夏月は、変わりばえのしない日々を送っているが、中学のときに転校していった佐々木佳道が地元に戻ってきたことを知って心が浮き立つ。神戸八重子は、大学のダンスサークルに所属し、準ミスターに選ばれるほどの容姿を持つ諸橋大也のことが気になっていたが、そこには、ある理由があった。まったく関わりがないかと思われた人物たちの人生が、ある事件をきっかけに交錯していく……






とてもよくできた映画だと感じました。唸らせるというか、評判を呼ぶのも頷ける、という感じです。
性(ここではジェンダーというよりセクシュアリティ)というものが、どれだけ人間のアイデンティティの根幹にあってその人の生き方や考え方を左右しているかということ、それがマイナーであればあるほど、生きづらさがつのり、誰にも理解されないと苦しみ、同じ仲間とつながれず、孤立無縁状態に陥って(「世界に留学しているような感覚」という表現は秀逸でした)、周囲の人からの結婚圧力や様々な言動に苦しめられ、生きる意欲すら持てないということ、そして、世間の無理解や偏見が、どのようにマイノリティを傷つけ、苦しめるかということが、実に見事に描かれていました。しかも、そんな理解のない差別的な人間(法や権力の側に立つ人間)と悩めるマイノリティたちを対比させ、どちらが幸せなのかと観客に問う展開になっていたのが素晴らしいと感じました。訴えたいテーマやメッセージがこれ以上ないくらい的確に効果的に描かれていました。
ですから、この映画は、世間から“変態”とか“性倒錯”とか“異常者”と見られ、時に不条理な目に遭い、暴力を受け、時に無権利であるがゆえに差別者に幸せを奪われるマイノリティの悲劇を描きながら、一方で、当事者の姿をこの上なく美しく描き、観客の共感を誘うという点において、『ブロークバックマウンテン』や『チョコレートドーナツ』やこれまで製作された数多のクィア映画の系譜に連なる作品、と言えると思います。
違いがあるとすれば、これまでのクィア映画がゲイやレズビアン、トランスジェンダーなどSOGIEのマイノリティを描いてきたのに対し、『正欲』は性的嗜好(sexual preference)のマイノリティを描いたということです。
映画を観る限り、セクシュアリティというものがどれだけ人間のアイデンティティの根幹にあってその人の生き方や考え方を左右しているかということ、それがマイナーであればあるほど、生きづらさがつのり、誰にも理解されないと苦しみ、同じ仲間とつながれず、孤立無縁状態に陥って、周囲の人からの結婚圧力や様々な言動に苦しめられ、生きる意欲すら持てないということ、そして、世間の無理解や偏見が、どのようにマイノリティを傷つけ、苦しめるかということ、そうした描写は、まさに、僕らが子どもの時代に経験してきたことであり、それはどんな性的なマイノリティの人たちもきっと共通して経験していることだろうし、共感し、シンクロし、感情移入せざるをえないものです。
ただ、原作者(原作では、ゲイを描いて大ヒットしたTVドラマのプロデューサーを学内のダイバーシティフェスに招いて講演を行なうシーンもあるそうです)の意図としては、晴れて世間に認められ、大手を振って陽の当たる大通りを歩けるようになったLGBTQなどとは違い、いまだに“変態”や“異常者”と見られてしまったり、世間が称揚するダイバーシティ&インクルージョンの枠組からもさらに取り残されてしまうような人たちに光を当て、メディアで称揚されている表層的な「多様性」に疑義を呈することをねらっているようです。映画を観た方のコメントにも、LGBTQを持ち出し、「多様性」って言うけどさ、といった言葉があふれています(まるでLGBTQはすでに市民権を得たとでもいうように)。そこには一抹の違和感も感じました。LGBTQが歴史的にどれだけ虐殺されてきたか(今もチェチェンやウガンダやイランや、いろんな国で命の危険にさらされています)ということ、19世紀には同性愛も異性装もパラフィリアもいっしょくたに“変態”、“異常”、“性倒錯”とされていたが、マグヌス・ヒルシュフェルトやミシェル・フーコーや、ストーンウォールを闘った人々(『LGBTヒストリーブック』に記されているような人々)のおかげで犯罪でも病気でもなくなった、という視点が抜け落ちているのでは?という気がしました(現在の「ICD-11(国際疾病分類)」では、パラフィリア症群は「同意能力のない者、同意を拒む者を対象とする」「自身に著しい苦痛を与えるもの」「たとえ相手の同意があったとしても自身か相手に傷害・死亡に至る重大なリスクを生じさせるもの」だけを精神疾患の対象としているのであって、ほとんどのフェチや性的嗜好は異常でもなんでもないですよ、とされています)
そして、どなたかも指摘していましたが、もし、本当に取りこぼされてしまう人たちに光を当て、救いたいと思うのであれば、この作品のなかで性犯罪者(または犯罪予備軍の人たち)と見なされてしまっている性的嗜好の人たちを、例えば、その欲望を行動に移してしまうと性犯罪になってしまう、その苦悩の深さを描くということもできたはずなのに、突き放し、置き去りにしてしまっているという点も気になりました。
この映画の主人公たちの性的嗜好(アクアフィリアと言うのでしょうか?)って実は、水道管を盗んだりしない限り、人に危害を加える要素はないし、眉をひそめられたり、結婚圧力に苦しんだりということはあるかもしれないけど、また、極端なマイノリティ性ゆえに孤立したり、絶望したりということはあるかもしれないけど、殺されたりはしないよね?と、今これだけ攻撃されているトランスジェンダーに比べたら生きやすいほうじゃない?と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、誰が世界でいちばんマイノリティで不遇なのかというようなことは決められないし、不幸自慢大会は不毛でしょうし、同じ属性でも人によって捉え方や深刻さは異なるでしょうし、一方で、当事者じゃないと言えないことというのも必ずあると思いますし、線引きやジャッジ、断罪のようなことを始めた瞬間、そこに権力関係が生まれてしまうという問題もあります。とても複雑で、繊細で、難しい…「答えのない問い」なのでしょう。
よかったのは、同じ境遇の仲間を見つけて共に生きていこう(「生き延びるために手を組もう」)とする姿が描かれていたことです。「逃げ恥」の新垣結衣さん(ガッキー)が主演していたのも象徴的でした。(「なに食べ」ではジルベールを演じている)磯村さんとガッキーが性愛(のようなもの)を共有するシーンは感動的でした。
たとえ世間が理解してくれなくても、いろんな辛さに直面しても、一緒に生きていく人がいればやっていけるし、人間ってそういうふうにして一緒に暮らしはじめたりするのだし(「chosen family」もそうですよね、たとえ性愛関係がないとしても)、それを切実に求めるところに人間らしさもあるということが描かれていたのは救いだと感じました。
正欲
2023年/日本/134分/監督:岸善幸/出演:稲垣吾郎、新垣結衣、磯村勇斗、佐藤寛太、東野絢香、山田真歩、宇野祥平、渡辺大知、徳永えり、岩瀬亮ほか
INDEX
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