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【追悼】レッドリボンの生みの親、パトリック・オコンネル

 40年もエイズと共に生き、「VISUAL AIDS」の創設に携わり、レッドリボンプロジェクトの中心的人物だったパトリック・オコンネルが亡くなりました。公表されたのは5月ですが、3月23日にマンハッタンの病院でエイズ関連の原因により亡くなったそうです。67歳でした。
 
 Pink Newsによると、オコンネルは80年代のほとんどを、エイズで亡くなった友人を弔うための喪服で過ごしました。
 1991年、オコンネルは「かけがえのない命のために何かをしなければいけない」と感じ、世界にゲイコミュニティを破壊しつつあるエイズのことを意識してもらうためのささやかな方法として、レッドリボンを思いつきました。
 オコンネルは『ニューヨーク・タイムズ』紙で、こう語っています。
「湾岸戦争に出征した兵士のためのイエローリボンがそこらじゅうに見られた。私たちは、人々がイエローリボンを見て『海外で戦死した若い命への追悼』から『ブッシュを支持する』までいろんな意味を読み取ることに気づいた」
「私たちのコミュニティにもそのような、『エイズと共に生きる人々への支援』から『現政権への反感』まで意味するような余地のあるものがほしいと思った」
 そうして彼はレッドリボン・プロジェクトを立ち上げました。
 「それは血のシンボルだ」と、彼はBBCに語っています。オコンネルにとって赤という色は「人々を奮い立たせるような色」であり、「情熱の色」であり、「生き生きとして注目を集める色」でした。
 彼はレッドリボンをエイズ・アクティヴィズムの確固とした挑戦的なシンボルだと考えました。
 1991年のトニー賞授賞式の2週間前から、「VISUAL AIDS」の15名のアーティストが監督し、何千ものレッドリボンが製作され、トニー賞の会場に届けられました。結果、司会をつとめたジェレミー・アイアンズが胸にレッドリボンを着けている姿が、全米の家庭に放送されました。
 翌年のアカデミー賞授賞式では、エリザベス・テイラーをはじめ多くのセレブがレッドリボンを着けて会場に現れました。郵便切手になったり、UNAIDS(国連合同エイズ計画)のシンボルマークにも採用され、レッドリボンがあちこちにあふれるようになりました。
 レッドリボンは今でも、HIV/エイズと共に生きる人々への支援や、亡くなった方への追悼のシンボルとして、全世界で使われています。

 
 5月4日、UNAIDSの公式サイトに「UNAIDS is saddened by the death of Patrick O’Connell, the founding director of Visual AIDS」という追悼文が掲載されました。宮田一雄さん(こちらこちらでもご紹介している、HIV/エイズやLGBTQコミュニティの支援に携わってこられたアライの方です)が日本語に訳してくださっています。
 
ビジュアル・エイズの創設者、パトリック・オコンネル氏のご冥福を祈ります
国連合同エイズ計画(UNAIDS) 


 UNAIDSは、パトリック・オコンネル氏がエイズで亡くなったことを知り、深い悲しみに沈んでいます。オコンネル氏はVISUAL AIDSの創設者であり、40年近く前からHIV陽性者として生きてきました。

 VISUAL AIDSは1988年に設立されました。アートのコミュニティがエイズの流行に立ち向かい、芸術家と芸術機関、芸術の鑑賞者といった人たちがHIVに対し直接的な行動をとることを組織化する手段を得るためです。HIV陽性のアーティストの支援も行っています。とりわけ注目される成果は、毎年12月1日の世界エイズデー前後になると、世界中で何百万、何千万という人たちが着用するレッドリボンをデザインし、広めたことです。

 VISUAL AIDSのアーティストたちは1991年、HIV陽性者およびその介護者への思いやりを示すビジュアルなシンボルを生み出すために集まりました。湾岸戦争に従軍した米国兵士を称えるイエローリボンに触発され、アーティストたちが選んだのは、HIV陽性者への支援と連帯、そしてエイズ関連の病気で亡くなった人たちへの追悼の思いを表すために赤いリボンを作成することでした。プロジェクトの創設者は「血液とのつながり、および情熱-怒りだけでなく、バレンタインのような愛も含む情熱のアイデア」を示すために赤が選ばれたと語っています。このプロジェクトはレッドリボンプロジェクトとして広く世界に知られるようになりました。

 オコンネル氏は、自らの出身地であるニューヨーク一帯で何千、何万ものリボンを切断し、折り畳み、配布する指揮を執っています。ニューヨークで開催された1991年のトニー賞授賞式では、すべての参加者にレッドリボンと手紙を配るキャンペーンに加わり、俳優のジェレミー・アイアンズが上着の襟に目立つようにレッドリボンを着けた姿が全米のテレビネットワークで放映されました。

 UNAIDSはオコンネル氏の積極果敢な擁護活動を忘れません。いまや米国内だけでなく、国際的にHIV陽性者への連帯と支援の象徴となったレッドリボンは、オコンネル氏がいなければ存在しなかったでしょう。


 レッドリボンプロジェクトだけでなく、喪に服したり何か行動をするようにアート界に呼びかける「Day Without Art」(このプロジェクトにもオコンネルが携わっていたそうです)、街のランドマークなどの灯りを消す「Night Without Light」などのプロジェクトを企画し、アートとエイズコミュニティをつなぎ、人々がエイズへの関心を高めるよう働きかけ、HIV/エイズと共に生きるアーティストを支援してきたVISUAL AIDS。日本でも「ノーマルスクリーン」が5年以上にわたってVISUAL AIDSの作品を上映する機会を設けてきました(例えば短編映像集「STILL BEGINNING」など)。そして今回、ダムタイプ『S/N』の世界初配信の実現へとつながりました。
(『ニューヨーク・タイムズ』紙のオコンネル追悼記事に、レッドリボンの製作風景や、「Day Without Art」の写真が掲載されています)
 
 

参考記事:
AIDS activist and creator of the red ribbon, Patrick O’Connell, dies aged 67(Pink News)
https://www.pinknews.co.uk/2021/05/04/patrick-oconnell-aids-red-ribbon-dies/
ビジュアル・エイズの創設者、パトリック・オコンネル氏のご冥福を祈ります(UNAIDS)(エイズと社会ウェブ版)
https://miyatak.hatenablog.com/entry/2021/05/05/230656?fbclid=IwAR2UEApsoLwyj7uDPn7m8W-qYlg_4w8HxP_aJagwywVAoiMh6WadOrbDpQQ
UNAIDS is saddened by the death of Patrick O’Connell, the founding director of Visual AIDS(UNAIDS)
https://www.unaids.org/en/resources/presscentre/featurestories/2021/may/20250504_patrick-o-connell
Patrick O’Connell, 67, Dies; Raised Awareness of AIDS With Art(The New York Times)
https://www.nytimes.com/2021/05/03/arts/patrick-oconnell-dead.html

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