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アロマンティックであるとカムアウトした東海林毅さんにお話を聞きました
『片袖の魚』や『老ナルキソス』の監督である東海林毅さんが先日、Facebook上でアロマンティックであるということをカムアウトしました。アロマンティックとはどういうことなのか深く知りたいという気持ちと、もしかしたら読者のみなさんのなかにも同じような方がいらっしゃるかもしれない、そういう方の悩みの解消に少しでも貢献できればという気持ちで、インタビューをお願いすることにしました

東海林毅さんは、日本で初めて公募で選ばれたトランス女性がトランス女性の役を演じた記念碑的な映画『片袖の魚』を製作し、映文連アワード2022準グランプリを受賞するなどしたあと、レインボーマリッジフィルムフェスティバルをプロデュースし、その後、『老ナルキソス』という素晴らしいゲイ映画や、短編ドキュメンタリー『変わるまで、生きる』を撮ったりしてきた方です。現在は『となりのとらんす少女ちゃん』を実写映画化すべく、クラウドファンディングを実施中です。
東海林さんは映画監督を目指して金沢から上京し、1995年(20歳のとき)、自身のセクシュアリティ(男子にも惹かれる自分)について悩む男の子を描いた自伝的な短編映画で第4回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のコンペで審査員特別賞を受賞し、これは自分のことだとカムアウトしました。が、その後、(二丁目でのバイセクシュアルへの偏見に直面したこともあり)LGBTQコミュニティから距離を置き、映像関係の仕事に専念。40歳を過ぎてからコミュニティに戻ってきて、2018年、レインボー・リール東京のコンペに『老ナルキソス』(短編)を出品してグランプリを獲得するとともに、同年に起きた杉田議員の発言に対する抗議運動に参加し、LGBTQの社会的課題、特に、トランスジェンダーへのバッシングの問題に憤りを感じ、トランス女性の当事者を主演に迎えた映画を作ろうという使命感に燃えて『片袖の魚』の製作に至ったのでした(その辺りのお話はこちらのインタビューに掲載されています)
そんな東海林さんが先日、Facebook上で、ご自身がアロマンティックだと考えるに至った理由を以下のように投稿しました。
アロマンティック(他者に対して恋愛感情を持たない人)が話題なので、50歳の自分がアロマンティックだと考えるに至った理由を時系列順で書き出してみました。誰かの役にたてば幸いです。
・子供の頃から恋愛関係、恋愛感情を描いた表現物に共感できなかった。
・恋愛感情が原因で起こる極端な行動…例えば大げさな告白などロマンチックな行動、犯罪行為、不貞行為なども「恋愛感情」が人間の正しい判断を奪っている、恋愛感情は危ないものだと子供の頃から捉えていた。
・二十代まで、誰かと付き合うことが当たり前で、特定のパートナーと生活を共にすることが社会的に正しいことと刷り込まれていたため、とにかく誰かと「お付き合い」しなければというプレッシャーを感じていた。「好きになれそうな人」はいたので様々な理由付けをして「恋愛関係」になろうと努力した。しかし「付き合う」というのがどういう状態か分からないので、様々な表現物から読み取って真似をすることしかできない。例えば恋愛関係において「外にデートに行き食事をしてセックスをする」というような行動様式のみ表現物から知識を得て実践してみるが、心からそうしたいわけではなく、「付き合っている」状態の維持と相手の喜びのために行動するという感覚。
・相手と「ずっと一緒にいたい、生活を共にしたい」わけでは無いので、同じ空間で長時間過ごしたり、一緒の布団で寝たりすることにも魅力を感じない。会えない日も毎日電話やメールなどでコミュニケーションを取る事が好意の証という感覚も持てなかった。これらも相手が喜んでくれるなら合わせる努力をするという感覚だった。こういった感覚は当然相手に伝わるため、「この人は本当に自分に好意があるのか?」という疑念を生み、ことごとく「恋愛関係らしきもの」は破綻した。
・20代の10年間は常に誰かしらとルームシェアをしていたほどで、生活スペースに他人が入ってくる事自体にはあまり抵抗が無い。しかし恋愛関係からの同居、同棲のような形は考えにくく、むしろ束縛される警戒感がある。
・セックスや性的な行為は嫌いではないが恋愛とセットで語られると興味を失う。また20代後半から10年以上誰とも性行為を行わなかったが、それに対して特に寂しさなどネガティブな感情は持たなかった。
・40歳ごろ。やはり他者に対して恋愛感情は持てないまま。しかし誰かと付き合ったり生活を共にすることが社会的に良いこととされているのでどうにかしたいと思い、自分と近い業種の人ならリスペクトベースで恋愛に近い関係を築けるかもしれないと考えたが難しかった。
・現在、二十数年間にわたって特定のパートナーがいないが精神的にとても安定していて平穏な状態にある。
・現在、アロマンティックという概念を知った上でこれまでの経験を分析すると、恋愛(感情/行為)だと感じていた自分の経験は他者のそれと比較するといわゆる「恋愛」とは違うように思える。例えば自分にないスキルやタレントを持つ人に対して興味を持ち、深く知りたいと感じて、それが転じて好意や愛情感情のようになることがこれまで何度かあったが、他の人の恋愛談や体験談と比較すると、自分のそれは恋愛感情とは呼べないと今は考えている。
【結論】
「無い」ことに気づくのは簡単じゃない。
これを読んで私は、東海林さんが新しい人生へと一歩を踏み出したような感じがして、また、五十歳になって、そのように本当の自分を受け止め、カミングアウトできたことに感動しました。「おめでとう」と申し上げたくなりました。私自身はものすごくセクシュアルでロマンティック(ここではいわゆるロマンチックということではなく「恋愛的指向がある」という意味)なゲイで、アセクシュアル/アロマンティックの人たちのことをどこか遠い存在と感じていたのですが、身近にそういう人が現れたということも感慨深く、ぜひお話を聞きたいと思いました。読者の方のなかにも、アセクシュアルという言葉は聞いたことがあってもアロマンティックはよく知らないという方も多いと思いますし、また、東海林さんのお話を聞いて、自分も同じだ!と思い、長年モヤモヤしたり悩んでいたことがすっきり解消されたり、自信を持てるようになったりする方もきっといらっしゃるのではないかと思います。一人でも多くの方に、このお話が届くことを期待します。
なお、今回、東海林さんのお部屋でお話を聞かせていただきました。
(聞き手・文・写真:後藤純一)
――アロマンティックと考えるようになった経緯、理由がかなり詳しく書かれていますね。かいつまんで詳しくお話を聞かせていただきたいと思います。まず、二十代まで、誰かとおつきあいしていたけれども、それはそのように刷り込まれていたためで、つきあうということがどういうことかわからないまま、ドラマや映画なんかで描かれた恋愛の様式を真似てはみたものの、心からそうしたいわけではなく、相手のためにそうしていたというお話でした。ちなみにおつきあいしていたのは、女性ですか? 男性ですか?
好きになる性別はどっちもで。例えば中学のとき、同級生の男の子がものすごく好きで、性的な関係になれたらいいなと思っていましたし、間違いなくそれは恋愛だと思ってました。でも、あとで思い返したときに、その人が好きだったというよりは、その人の才能が好きだったのかな、と。自分にはないものを持っていた。僕は恋愛だと思ってたけど…。
――憧れのような?
そういう感覚。同性だったので、当時はつきあうということは考えられなかったし、バレないようにしようと思ってましたが。仮に「おつきあいしましょう」と言って、つきあうことができたとしても、どうしたいのかということが、何もない。それは相手が男性でも女性でもそうで、デートしたり、食事したり、本や漫画や映画なんかで学んで、「これをすればつきあってることになる」っていう逆算でそういう行動をしていました。20代後半までずっとそうでした。ずっと一緒にいたいという感覚ではなくて、「つきあっている状態」でいるための行動です。
――なるほど。その中学のときの彼とは、友達のような関係で終わったのでしょうか。
そもそも友達と恋人の違いがよくわからない。一緒に創作活動をしていたんですが例えばどちらかの家に行って、同性どうしの友人のていでそれをやっていました。
――そのうえでセックスをしたいとか、特別な関係になりたいと思ってました?
性的な行為をしたいという気持ちはありました。社会の一般常識として、特別な関係になるのが正しいとは思っていて、それを言葉にすると「おつきあいしてください」と言うことになるけど、でも、特別な関係がどういうことかが、わからない。
――そういう“おつきあい”が中学の後もありました?
高校のときは女性と“おつきあい”していました。それは、“つきあう”という関係を結ぶことが正解だと思っていたからそうしていただけで、特別な関係になりたいという欲求はないし、今もわからない。
――その女性とはセックスはしていました?
高校以降“おつきあい”していた人とはしていました。失礼な話ですが、ものすごくセックスしたいかというと、そうでもなく。“つきあってる”という確認のためにセックスが必要だと思っていた。「おつきあいしましょう」と言って始めた以上、定期的に会ってセックスするのが“つきあってる”ことの証明になるという発想です。でも、どんどん面倒くさくなってくるんです。性行為も、連絡を取り合うのも。相手のことを素晴らしい人だとは思っているけど、ずっと一緒にいたい、生活を共にしたいという欲求はないんです。
――「相手と「ずっと一緒にいたい、生活を共にしたい」わけでは無いので、同じ空間で長時間過ごしたり、一緒の布団で寝たりすることにも魅力を感じない」と書かれてましたね。「会えない日も毎日電話やメールなどでコミュニケーションを取る事が好意の証という感覚も持てなかった。これらも相手が喜んでくれるなら合わせる努力をするという感覚だった。こういった感覚は当然相手に伝わるため、「この人は本当に自分に好意があるのか?」という疑念を生み、ことごとく「恋愛関係らしきもの」は破綻した」と。
そうですね。都合のいいときだけ会ってセックスしてると思われても仕方がない。僕としては、“つきあってる”ていを保つために、プレッシャーを感じながら頑張っていたのですが。
――たまに会って話したりデートしたりはいいけど、毎週会いたいわけでもなく、連絡も毎日とりたいわけでもない。ベッタリした関係は苦痛という感じ?
そうですね。何がしたいかというと、どこかしら尊敬している相手の人と、この映画を観に行って感想を聞きたい、この人にこの話を聞いてみたいという興味や欲求はすごくあるんです。
――すごく仲の良いリスペクトしてる友達とあまり変わらない感じでしょうか?
そうかもしれない。自分は恋愛できない人なんだとは思ってなかったけど、5、6年前にアロマンティックという概念を知って、ようやく自分が他の人と違うということに気づいたんです。きっとみなさんは、好きな人とは毎日会いたいとか同じ布団で寝たいと思うのでしょうが、僕にはその欲求は無いんです。
――「セックスや性的な行為は嫌いではないが恋愛とセットで語られると興味を失う」ということですね。世の中ではセックスしてしまうとつきあうのが自然だとかつきあわないといけない、責任を取らないといけない、みたいな規範が、特に男女間では強くあると思いますが、そこにハマらないというか、嫌悪感や苦痛を感じるということですね。
そうですね、世間一般の常識というか規範が、全くしっくりこない。セックスはイヤじゃないけど、四六時中一緒にいたいわけじゃなくて。相手にしてみれば、「本当に私のことを好きなの?」ということに…。周りの友人からも「ひどい」「愛がない」と言われました。
――「遊び人」みたいな?
「愛がない」と言った男はいわゆる”ダメんず”で、僕のほうがよほど優しいと思いましたけどね(笑)。いま思うと、周りからそう見えていたのは恋愛感情がわからない、アロマンティックであるということが原因だったんです。
――「20代後半から10年以上誰とも性行為を行わなかったが、それに対して特に寂しさなどネガティブな感情は持たなかった」とも書かれていました。20代後半から10年以上セックスしていないというのは、結構オドロキでした。一般的に多くのゲイ・バイセクシュアル男性にとって20代30代ってヤリたい盛りで、実際にヤリまくったり、そうでなくてもセックスしたいよ〜彼氏ほしいよ〜って呑んだくれたり、SNSでぼやいたりという人が多いと思います。東海林さんはもしかしたら、アセクシュアル気味でもあるのではないでしょうか?
たぶん、そうだと思います。アロマンティックだけどセクシュアル(性的欲求はある)とバキッとは分けられない。26か27くらいまで女性とも“つきあって”いて。セックスは合ったんです。それで長く続いた。と言っても、半年〜1年くらいですけど。その後、人生の不安というか、収入がなくなって、家も追い出され、滑り込んだところで再起を賭けて。30代はめちゃくちゃな働き方をして、忙しかったということもあります。でもその間、誰かとセックスしたいとか恋愛したいという欲求は全くなくて、気がついたら40歳になっていた。
――そこまで何もせず平気だったことがオドロキです。仕事忙しくてストレス溜まってるから今週末はハッテンしようとか、そういうふうにならないことがスゴい。
アセクシュアル的なところもあるんだと思います。40を超えて、体の衰えも感じつつ。それでも恋愛自体はできると思っていたんです。ただ長続きしないし、苦手なだけで。それは相手が男性でも変わらない。ハッテン場で知り合った人と定期的にセックスするのはいいけど、恋愛関係を匂わされたら終わってしまいます。
――ゲイコミュニティでは、恋愛とセックスを分けて考えて、俺は自由にセックスしたいから特定の相手は作らない主義なんだ、恋愛はしないんでよろしく、っていうタイプの人も結構いらっしゃると思います。正直、東海林さんもそういうタイプなのかと思っていました。でもそうではなかった。「恋愛がどういうことかは理解できるし、実際にしたこともあるし、やろうと思えばできるけど、こんな自分とつきあった相手に悪い気がするから、あえて特定の恋人は作らない」ということと、アロマンティックとは根本的に違いますよね。アロマンティックは、そもそも生まれつき、恋愛したいという欲求を持たない、恋愛がわからないということ。
そうですね。好意や敬意は持てるけど、恋愛感情はなくて。向こうから恋愛を突きつけられると「うわー!」ってなってしまう。あとは自分にどれだけ性欲があるか。グラデーションの問題。僕はおそらくそのセクシュアルのグラデも薄いほうなんだと思う。ハッテンとかも非常に消極的で、待つほう。きっと、そこまでセックスを求めてない。
――とはいえ『老ナルキソス』という素晴らしくセクシュアルな映画を撮っていたり。東海林さんは『老ナルキソス』のインタビューのとき、SMについて、ハッテン場みたいな見境ない感じじゃなくて、信頼できる相性のいいパートナーとじっくり関係を築くほうが大事っておっしゃっていました。そういう意味での信頼関係やパートナーシップと恋愛は近いものがあると感じます?
それはそう。信頼関係。SMでよく「セッション」という言い方をしますが、お互いをよく知ったほうがいいセッションができます。
――なるほど。でもそれはあくまでもセックスをするうえでの関係で、恋愛とは似て非なるものですよね。
恋愛ではないですよね。みなさんが思ってる恋愛とは違う。
――バイセクシュアルの方って、東海林さんも二丁目で偏見を感じたとおっしゃってましたが、人数は多いかもしれないけど、LGBTQの中では肩身の狭い思いをしていたり、居心地の悪さを感じていたりしますよね。そういう意味では、バイセクシュアルであるというだけでもマイノリティなのに、さらにアロマンティックであると認識したとき、マイノリティ中のマイノリティだな、とか、何か、不安や悲しみのような感情はありましたでしょうか。
全くないですね。バイに関しては、だいぶ前ですけど、二丁目で、女も好きって言ってるけど本当は“逃げてる”んじゃない?とか言われて、イヤな思いをしましたね。アロマンティックに関しては、やっとわかった、すっきりしたという晴れ晴れした気持ち。初めからわかってたら無理に恋愛する必要なかったのに…っていう。「悪魔の証明」じゃないけど、無いことを証明するのは本当に難しい。
――本当にそうですね。
「無いことを証明する」ということに関連して、ちょっと思うのは、10代とかで自分はアセクシュアル/アロマンティックですと言ってる人に対して、「これから変わるかもしれないよ」と言う大人がいて、それは乱暴に聞こえるかもしれないけど、確かに一理あるというか、10代ではまだわからないんじゃないか、この先、性的欲求や恋愛的欲求を抱くことが絶対に無いとは言い切れないのでは?とは思います。
――それはLGBTQ全般に言えることですね。SOGIEはあくまでも自認であり自己申告なので、今は強くそうだと感じていても、これから先変わる可能性がないわけではない。
僕も証拠を積み上げてようやく説明できるようになりました。若い人は、言っても信じてもらえないこともあると思うんです。残念だけど。もし若い当事者の方にアドバイスするとしたら、チャンネルは閉ざさないほうがいい、頭の片隅に可能性を持っておいたほうがいいということです。
――どちらがいいとか正しいとかじゃなく、自由に開かれているほうがいいし、柔軟でいたほうがいいということですね。
そうですね。のちに性的欲求や恋愛的欲求が「ある」と感じたときに受け入れが楽だと思います。ただそれでも明確に、リトマス試験紙じゃないですけど、本当にアロマンティックなのかどうか確信を持ちたいのであれば、本やドラマの中の恋愛の描写に共感できず、なぜそうなるのかわからない、恋愛というものをしてしまうと人間はおかしくなるんだ、恋愛ヤバい、という感想にしかならないのであれば、その可能性は高いと言えると思います。あくまで自分の経験だけに基づいた意見ですが…。
――童話から始まって、あらゆる小説やドラマや映画が、男女が(ごくまれに同性が)出会って結ばれてハッピーという物語になっていて、ほら素敵でしょ、人生の幸せってこういうことだよね、と思うように仕向けられている。ある意味、「感情教育」ですよね。
僕はそこに共感できないし、感覚がわからない。自分が映画を作るときも、恋愛の描写が必要になってくるわけですが、その描写に自信がない。真似はできるけど、心からわかって描いていないので、大丈夫かな…と不安になるんです。ノンケがゲイの映画を撮るときと一緒かもしれません。なので、当事者監修を入れるようにしてます。だいたいの人はロマンティック(恋愛的な欲求を持つ人)なので、不自然じゃないかどうか、教えてくれます。
――(笑)。最後に、アロマンティックの当事者として、みんなに知ってほしいこと、お願いしたいことなどありますでしょうか。
恋愛感情がない、わからない人は世の中に一定数いると思います。みんながみんな、恋愛が成立する人だと思わないでほしいですし、恋愛感情がない=愛情がない、敬意がないということではなく、ただ、みんなが思っているような恋愛ができない、わからないのだということを知ってほしいです。
――わかりました。もし恋愛がうまくできない、そもそも恋愛がどういうことなのかわからないという方が、自分も同じだと思えたり、自信を持てたり、そういうことに役立ったらうれしいですね。どうもありがとうございました。
INDEX
- アロマンティックであるとカムアウトした東海林毅さんにお話を聞きました
- プライベートケアクリニック東京の小堀先生へのインタビュー
- 来年ワシントンDCで開催されるワールドプライドについて、Destination DCのエリオット・L・ファーガソンCEOにインタビュー
- 『超多様性トークショー!なれそめ』に出演した西村宏堂さん&フアンさんへのインタビュー
- 多摩地域検査・相談室の方にお話を聞きました
- 『老ナルキソス』『変わるまで、生きる』を監督した東海林毅さんに、映画に込めた思いやセクシュアリティのことなどをお聞きしました
- HIV、梅毒、コロナ、サル痘…いま、僕らが検査を受けるべき理由:東京都新宿東口検査・相談室城所室長へのインタビュー
- NYでモデルとして活躍する柳喬之さんへのインタビュー
- 虹色のトラックに込めたゲイとしての思い――世界的な書道家、Maaya Wakasugiさんへのインタビュー
- ぷれいす東京・生島さんへのインタビュー:「COVID-19サバイバーズ・グループ東京」について
- 二丁目で香港ワッフルのお店を営むJeffさんへのインタビュー
- 東京都新宿東口検査・相談室の城所室長へのインタビュー
- 俳優の水越友紀さんへのインタビュー
- 数々のLGBTイベントに出演し、賞賛を集めてきた島谷ひとみさんが今、ゲイの皆さんに贈る愛のメッセージ
- 今こそ私たちの歴史を記録・保存する時−−「LGBTQコミュニティ・アーカイブ」プロジェクト
- LGBT高齢者が共同生活できるシニアハウスの設置を目指す久保わたるさん
- 岩崎宏美さん出演のクラブパーティを開催するkeiZiroさんへのインタビュー
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