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REVIEW

驚くべき魂を持った人間の崇高な最期を描いた映画『ザ・ホエール』

アカデミー賞でブレンダン・フレイザーが見事に主演男優賞を獲得したことで話題の『ザ・ホエール』が公開されました。まるでクジラのように変わり果ててしまった肉体への侮辱にもホモフォビアにもめげない、驚くべき魂を持った人間の、崇高な最期を描いた作品でした

驚くべき魂を持った人間の崇高な最期を描いた映画『ザ・ホエール』

 昨年9月にベネチア国際映画祭でプレミア上映され、6分間のスタンディングオベーションが起こり、ブレンダン・フレイザーが感激にむせび泣いたと報じられた映画『ザ・ホエール』。12月には米国で上映され、たいへんな評判を呼び、先月のアカデミー賞で見事、主演男優賞に輝きました。
 『ザ・ホエール』はゲイの劇作家サミュエル・D・ハンターの実体験に基づく戯曲を映画化した作品で、『ブラック・スワン』のダーレン・アロノフスキーが監督しています。
 巨漢のゲイを演じたブレンダン・フレイザーの演技が素晴らしい、アカデミー賞を獲った!といった情報が届くだけで、映画の中身についてはほとんど明らかにされてこなかったのですが、今月、待ちに待った劇場公開を果たし、ついに神秘のベールが剥がれることとなりました。
 レビューをお届けします。
(文:後藤純一)
 
 
<あらすじ>
同性の恋人が亡くなった後、ショックから摂食障害となり、体重が600ポンド(約272キログラム)にまで増えてしまったチャーリー。歩くこともままならず、呼吸器の病を患い、彼を献身的に看護してくれているナースのリズに「このままだとあと数日の命よ」と告げられる。チャーリーは疎遠になっていた娘のエリーと、なんとか関係を修復し、彼女のために遺産を譲ろうとするのだが……







 チャーリーの部屋だけで展開される密室劇。緊迫感があり、刺激的で、スリリングなストーリー展開。観客の予想を少しずつ裏切りながら物語が進んでいく作品なので、なるべくストーリーには触れないようにしながら、この映画がどんなだったかをお伝えしたいと思います。ひとことで言うと…これは、驚くべき魂を持った人間の最期を描いた「崇高な」作品でした。
 
 体重270kgのチャーリーは、事前に伝えられていたイメージ写真よりも、はるかに強いインパクトを与えるものがありました。しかも、裸でシャワーを浴びるシーンもあります。もはや自分で歩くことはできず、床に落ちた物を拾うことすらできない、苦しい生活です。最愛の恋人の死のショックゆえに過食に走り、変わり果てた見た目になってしまったのですが、内面は少しも変わっていません。ブレンダン・フレイザーが「チャーリーはこれまで演じたなかでも群を抜いた英雄だ」「他人の良い面を見つけ、それを引き出せるというスーパーパワーを持っている」と語り、アロノフスキー監督も、それこそが「世界に伝えたい最も重要なメッセージだ」と語っている通り、英語教師をしているチャーリーは人々の良い面を見て、そこを伸ばしていこうとする、驚くほどポジティブなものの見方をする人物であり、また、自分のことを差し置いても愛する人の幸せを願わずにはいられないような人でした。チャーリーの部屋を訪れる様々な人たちは露骨に嫌な顔をしたり、「disgusting(吐き気がする)」と罵ったり、同性愛を断罪したり、「邪悪な」行動をとったりするのですが、一見「ふつう」だったり「美形」だったりするそうした人々の内面の「醜さ」とは対照的に、チャーリーの慈悲深さや人間性の素晴らしさが際立ち、観客の心をふるわせるのです。
 
 もしかしたら、たまたま主人公がゲイというだけで、別にゲイでなくても成立するような(“普遍的な”)親子愛を描いた作品だったりするのでは…という一抹の懸念も抱いたりしていたのですが、全くそんなことはありませんでした。同性愛ゆえに罵られたり、排除されたり、非業の死を遂げたり…という、アメリカ社会に根深く残存する差別がまざまざと描かれていて、残酷で、苦しくて、胸が痛みました。アイダホ州(あのブロークバックマウンテンの舞台となったワイオミング州の隣の山だらけの州)の小さな町で、ニューライフというヤバい教団に巣食うホモフォビアの犠牲となった人たち…その苦悩は、原作者のサミュエル・D・ハンター自身が経験したことでもありました。(サミュエル・D・ハンターは「過食で自分自身を癒やそうとした経験があり、非常に個人的な体験を元にしている。私は同性愛者で、原理主義的な宗教の高校に通っていた」「この作品を書くのは怖かった。愛と共感の物語という形でしか書けなかった。チャーリーには暗い海から見える灯台のような存在になってほしかった」と述べています)
 
 『エゴイスト』が、亡くなった恋人のお母さんを支えてあげたいという気持ちが”エゴ”なのではないかと自問自答するゲイの姿を描いた作品なら、『ザ・ホエール』は、驚くほど純粋で前向きな心を持ったゲイの、娘に対するあまりにも献身的な思いを描いた作品で、どちらも「家族」への無償の愛が観客を感動させ、涙させます。そういう意味では、『エゴイスト』に泣いた方はきっと『ザ・ホエール』もハマると思います。
 
 タイトルの『The Whale』は、270kgの重い体で自ら歩くことすらできないチャーリーの姿がクジラのようだということだけでなく、メルヴィルの『白鯨』(原題は『Moby-Dick; or, The Whale』です)にも由来しています。19世紀後半、当時の大捕鯨基地であった米東部のナンタケットという街にやってきたイシュマエルが、港の木賃宿で同宿した巨漢の銛打ち・クイークェグと出会い、ともに捕鯨船ピークォド号に乗り込む、船長のエイハブは、かつてモビィ・ディックと渾名される白いマッコウクジラに片足を食いちぎられ、復讐心に燃えたぎっているが…というお話です。有名な小説ですが、難解な(様々な解釈ができる)作品です。この『白鯨』に関する予備知識が少しあると、映画をより楽しめると思います。
 
 『ザ・ホエール』はもともと舞台劇として上演されていて(ダーレン・アロノフスキーがたまたま観てすぐに映画化を決意したんだそう)、映画もチャーリーの部屋だけで展開される、密室劇になっています。ナースのリズや娘のエリーなど何人かの人たち(や小鳥)が部屋を訪れ、様々なドラマが繰り広げられはするものの、いろんな場所の美しい光景を見せたり、派手な出来事やアクションをSFXを駆使して見せたりといったことが一切ない、かなり特異な映画です。120分間ずっと場所が変わらないという地味さにもかかわらず、少しも飽きさせることなく、映画として見事に成立しているのは、やはりブレンダン・フレイザーの演技の賜物です。アカデミー主演男優賞受賞もうなずけます。
 かつて『ハムナプトラ』シリーズなどに主演し、絶大な人気を誇ったハリウッド俳優は、ゴールデングローブ賞を主催するハリウッド外国人記者協会の元会長フィリップ・バークから2003年にセクハラを受け、鬱状態になり、ハリウッドの表舞台から去りました。そのブレンダンが今回、ゲイの役を演じたということも切ない話ですし、全身全霊で見事にこの難役を演じきり、ベネチア国際映画祭では6分間の熱烈なスタンディングオベーションを受け、感極まってむせび泣き、そしてアカデミー賞も受賞し、ドラマチックな復活を遂げたことも本当に胸熱です。心からの拍手を贈りたいです。映画自体の素晴らしさを堪能するだけでなく、ブレンダンが成し遂げた奇跡に立ち会うという意義もあると思います。
 
 ちなみにブレンダンは1998年、『ドリームガールズ』のビル・コンドンが監督し、『フランケンシュタインの花嫁』などで知られる映画監督のジェイムズ・ホエールをモデルにした『ゴッド・アンド・モンスター』という映画で、イアン・マッケラン演じる老映画監督が惚れてしまうセクシーな庭師の役を演じています。この役にゲイであるビル・コンドンがブレンダンを起用したというのは、それだけブレンダンがゲイから見てセクシーな俳優だったからで、それは、あのように特殊メイクを施したクジラのような肉体であったとしても言えることじゃないかなぁと思ったりしました。世間のほとんどの人たちはあの体型を見てギョッとして嫌悪感を覚えることでしょうが、ブレンダンが演じてくれたおかげで、おそらくゲイの観客だけはそのような嫌悪を抱かず、(たとえミケ専じゃないとしても)セクシーさすら感じる方も少なくないのではないでしょうか。そういう意味では、ぼくらは最もチャーリーに感情移入しやすい、ラッキーな観客なのかもしれません。というわけで、心おきなくこの映画を楽しんでください。

 
ザ・ホエール
原題:The Whale
2022年/米国/117分/PG12/監督:ダーレン・アロノフスキー/出演:ブレンダン・フレイザー、セイディ・シンクほか

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