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REVIEW

生き直し、そして希望…今まで観たことのなかったゲイ・ブートキャンプ・ムービー『インスペクション ここで生きる』

母親に捨てられ16のときから路上生活をしてきたゲイのフレンチが、人生を立て直すべく、海兵隊への入隊を決意し、過酷なシゴキや壮絶なイジメに遭いながらも…という実話に基づく映画です。今まで観たことがないようなブートキャンプ・ムービーです。

生き直し、そして希望…今まで観たことのなかったゲイ・ブートキャンプ・ムービー『インスペクション ここで生きる』

 あの『ムーンライト』や『ザ・ホエール』そしてエブエブなどを世に送り出してきたA24の映画です。
 実際に海兵隊に入隊し、映像記録係として映画制作を始めたという異色の経歴を持つエレガンス・ブラットン監督の長編デビュー作で、ゲイであることを理由に母親に捨てられ、10代から路上生活をしてきた黒人青年フレンチが、人生を立て直すため海兵隊への入隊を決意、教官による過酷なしごきや同僚からの差別に遭いながらも、成長を遂げていく…という実話に基づくヒューマンドラマ作品です。主演のジェレミー・ポープ(『ハリウッド』『POSE』シーズン3など)はゴールデングローブ賞主演男優賞にノミネートされました。
 エレガンス・ブラットン監督は「軍隊の擁護でも批判でもない」「黒人でゲイである自分は弱者で生きる価値がないと思っていた人間が、本当の姿を見せることで周囲に影響を与えていく様を描いてる」「資本主義社会から脱落してしまった人たちをいかに救うか」「実際、僕は今でも当時の訓練で受けた暴力によるPTSDに苦しんでいます。でもあの訓練を通して自分の価値を知り、自らを守る力を身につけたのも事実」と語っています(文春オンライン「ゲイであることを理由に母親に捨てられて…10代からホームレスとして過ごした少年が“新兵訓練”で学んだこと」より)
 
<あらすじ>
イラク戦争が長期化していた2005年のアメリカ。ゲイの青年エリス・フレンチは母に見捨てられ、16歳から10年間にわたってホームレスとして生きてきた。自身の存在意義を求めて海兵隊に志願入隊したものの、教官から強烈なしごきを受け、さらにゲイであることが周囲に知れ渡ると激しい差別にさらされてしまう。何度も心が折れそうになりながらも、暴力と憎悪に毅然と立ち向かうフレンチ。孤立を恐れず、同時に決して他者を見限らない彼の姿勢は、周囲の人々の意識を徐々に変化させていく…。







 唯一の肉親である母親に家を追い出され、16歳からホームレスとして(高校にも通わず)生きてきたフレンチが、遅かれ早かれ死んでしまうと思い、(ゲイなのに)海兵隊に入隊することを志願し、教官の厳しいシゴキや、同期のイジメにあい、心折れそうに…というストーリーに、とてもじゃないけど見ていられない、つらくて重苦しい、地獄のような映画に違いない、と思っていました。『トップガン』や『愛と青春の旅だち』でも非常に厳しいシゴキを受ける場面がありましたが(すみません、『フルメタル・ジャケット』は観ていません)、ふつうに新兵訓練を受けるだけでもつらいのに、軍隊という社会でゲイだとバレたら、どんな恐ろしい仕打ちが待っていることか…と想像しただけで、キンタマが縮み上がってしまいます。
 たしかに、シゴキは激しかったです。自分だったら吐くか、泣きながら逃げ出すか…。そして、ゲイだとバレたときの仕打ちもひどかったです。この状況で、みんなから白い目で見られながら、あと何ヶ月も地獄のシゴキを受けるなんて無理だ…と思いました(ですから、過去にイジメやシゴキを受けた経験がある方にとってはしんどい、トラウマがよみがえるような映画かもしれません。ご留意ください)。なのですが、少しずつ、印象が変わっていきました。周囲もフレンチがゲイだとわかってるし、時々意地悪するのですが、なかには、フレンチはいいやつだし、根性もある、追い出すほどじゃない、みたいに感じる人もいて。そして、フレンチが上官に殺されそうになる事件が起こったり、ほかにも違う理由で上官に差別的なひどい目に遭わされている人もいて、上官のやりかたに疑問を持つ人も現れたり、という、ブートキャンプという社会(人間関係)のなかに微妙な変化が生じ、フレンチに寄り添って話を聞いてくれるアライの教官も現れたりして。そして、詳しくは述べませんが、終盤は、ちょっと涙がこぼれそうになる展開がありました。A24は「誰も観たことのない」映画を作ることをモットーとしているそうですが、『インスペクション』はたしかにそういう作品でした。
 
 時は2005年。よく考えると「Don't Ask, Don't Tell(訊かざる、言わざる)」政策が生きていたはずです。ゲイだとバレたら追放処分になりかねないはずなのに(米軍では実際に約1万4000人が除隊処分となりました。『Lの世界』にもその辺りのことが描かれていました)、いじめられたり殺されかけたりしながらも、なんだかんだ言って排除はされなかった、鬼教官も含め、誰もフレンチを追放せず、言い換えれば、「ここにいてもいいぜ」と認めたというのは、スゴいことだと思います。この時代の訓練施設では、結構ギリギリかもしれませんが、人権とか法、最低限のルールが生きていたし、いくら上官といえども、差別や非人道的な行為については、しかるべき機関に訴えることができたようです。
 エリス・フレンチは、ホームレス生活に絶望し、藁にもすがる気持ちで、一縷の望みをかけて、海兵隊に志願しました。そして、歯を食いしばってその地獄のような環境のなかで生き抜き、見事に一つのことを成し遂げ、人生をやり直すことに成功したのです。そういう意味で、これは(血へどを吐くような思いと引き換えに、ですが)「希望」を描いた作品だと感じました。
  
 ただ、そんなエリスにも、どうにもできないものがあったのです…80年代の名作『トーチソング・トリロジー』のラストシーンと同じでした。20年経っても変わらない残酷さ…本当に悲しい、つらい場面でした。
 エリスはゲイであること自体に悩んでいるわけではなく、偉くなってお金持ちになりたいわけでもなく、本当はたった一つのことを願っていた、だからこそ軍を志願した、それなのに…という、本当の意味での「地獄」が待っていました。あれに比べれば、軍隊でのシゴキやいじめなんて屁でもありません。観客の多くはものすごく身につまされたんじゃないかと思います。安易なハッピーに終わらない、実話だからこその、リアルな非情さ。観終わったあとも、切ない余韻がひたひたと押し寄せます。
 
 もう一つ、印象的だったのは、エリスがホームレスの施設を去るとき、仲間である高齢のゲイのホームレスが「old queen」としてエリスに声をかけるシーンです(「カマ」という字幕はどうかと思いましたが)。イラク戦争のさなか、お前のようないい子が、あたら若い命を落とすことはなかろう…と嘆くような言葉でした。たぶんゲイの友達はみんな同じことを言うだろうな、と思いました。
 エレガンス・ブラットン監督が「軍隊の擁護でも批判でもない」と述べているように、この作品は米軍自体に対して何か物申しているわけでは全くありません。むしろ、監督は「人生をやり直すチャンス」を与えてくれたことを感謝しているようにも思えます。経済的徴兵制の問題や人種の偏り、そして、そもそもの軍隊の存在ということへの批判も、しようと思えばいくらでもできるでしょうが、この作品に関しては、いったん、そういう話は置いておいて、今までになかった新しい視点で軍隊を描いた作品と受け止めてよいのではないかと思います。
 
 ゴールデングローブ主演男優賞にノミネートされただけあって、ジェレミー・ポープの演技は素晴らしかったです。『POSE』シーズン3では、医師でブランカの彼氏という、魅力的な大人の男性として登場していましたが、同一人物とは思えなくらい、この作品では「少年」でした。少年らしい、目に宿る光の美しさ、純粋さまでもが見事に表現されていたと思います。この作品の主人公を演じるのに、ジェレミー・ポープ以上にふさわしい人は考えられないと思いました。
 セクシーなシーンもちょいちょいありました(セクシャルなことを隠さず描いたところも好感が持てました)
 『ムーンライト』を彷彿させる、艶やかな肌をより美しく引き立てるようなライティングも印象的でした。
 ぜひご覧ください。
 

インスペクション ここで生きる
原題:The Inspection
2022年/米国/95分/R15+/監督:エレガンス・ブラットン/出演:ジェレミー・ポープ、ガブリエル・ユニオン、ラウル・カスティーヨ、マコール・ロンバルディ、アーロン・ドミンゲス、ボキーム・ウッドバインほか
8月4日よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほか全国公開

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