REVIEW
依存症の問題の深刻さをひしひしと感じさせる映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』
ジョン・ガリアーノがどれだけ天才的なデザイナーかということがよくわかると同時に、ファッション界から追放されるほどの差別的な暴言を吐いてしまう、アルコール依存症の問題の深刻さがひしひしと伝わってくるドキュメンタリー映画でした
依存症の問題の深刻さをひしひしと感じさせる映画『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』
ジョン・ガリアーノがどれだけ天才的なデザイナーかということがよくわかると同時に、ファッション界から追放されるほどの差別的な暴言を吐いてしまう、アルコール依存症の問題の深刻さがひしひしと伝わってくるドキュメンタリー映画でした
ジョン・ガリアーノはモードを脱構築し、斬新で魔法のようなショーを展開し、ファッションの歴史に最も影響を与えたうちの一人と言われるような天才デザイナーで(ディオール時代のガリアーノの凄さがわかる記事がこちら)、『FASHIONSNAP』でドリアン・ロロブリジーダさんが「ガリアーノに影響を受けていないドラァグクイーンはいないんじゃないかと思っている」「あのスペクタクルを取り入れるのはなかなか難しいんですが、楽屋では「今日の私、ガリアーノっぽくない?」などというやりとりはたくさんありました」と語っているように、また、デザイナーの小泉智貴さんも「ジョン・ガリアーノのファン」と語っているように、ドラァグクイーンやファッション志向のゲイの方たちに多大な影響を与えてきたアイコンでもありました。しかし、2011年、パリのバーで吐いた暴言がネットで拡散されたことをきっかけに業界を追放され、世界に衝撃を与えました。
『ホイットニー~オールウェイズ・ラブ・ユー』で高い評価を受けたケヴィン・マクドナルド監督が、アナ・ウィンター(『プラダを着た悪魔』の鬼編集長のモデルとなったファッション界の重鎮)を介してガリアーノにコンタクトをとり、インタビューすることに先行し、彼の幼少期のこと(移民の子として、ゲイとして、学校でいじめられ、厳しい父親から虐待を受け、非常につらい経験をしていた)や、アルコール依存の問題、ファッション業界の闇などにも光を当てつつ、その真実に迫ったドキュメンタリーが『ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー』です。
ガリアーノにはアレクシィというパートナーがいて、今は都会から離れたところで一緒に暮らしていて、アレクシィが彼を支えています。映画ではそうした様子も映し出されています。
<あらすじ>
ジバンシィやクリスチャン・ディオールなど、ハイブランドのデザイナーに抜擢され、大胆なデザインで高い評価を獲得していたジョン・ガリアーノ。ところが2011年2月、彼が反ユダヤ主義的な発言をしたことが発覚。暴言を理由にクリスチャン・ディオールを解雇され、ファッション業界で築いたキャリアも失う。解雇から13年が経過し、ガリアーノ自身が暴言事件やそれ以降の活動について語る。
世界が賞賛する天才デザイナーという「光」と、依存症に苦しむ「影」のコントラストが凄いです。ガリアーノがゲイであるということは主題ではないものの、通奏低音のように鳴り響いています。
彼がパリのバーで発した差別発言は本当に信じられない、ひどいものでしたが、なぜガリアーノがあれほど依存症に陥ってしまったのかということを、幼少期のいじめからファッション界でのプレッシャーまで追いながら想像させ、また、本来リハビリが必要だったのになぜあれほど深刻な状況になるまで放置されてしまったのかということを、業界の問題点も突きながら描き出していて、いろんなことを感じ、考えさせる映画になっていました。
ファッション界でトップデザイナーの地位を堅持するために次々にひらめきやアイデアを生み出し続けること、そのプレッシャーがどれだけシビアで苦しいかということは、アレクサンダー・マックイーンのドキュメンタリーでも描かれていた通りですが、この映画でも、ガリアーノの右腕で雑務を一手に引き受けていたスティーブという(たぶんゲイの)人物の悲劇が描かれていて身につまされましたし、右腕を失った後、ガリアーノのアルコール依存や問題行動がさらに悪化していった(泥酔してリッツカールトンのエレベーターで全裸で「俺はライオンだ」と言って乗ろうとする人を脅し、出禁になったという話は本当に仰天しました)、リハビリ施設への入所が必要な状態だったなかで、あの事件が起きたというのは、いつ何が起こってもおかしくなかった、そして最悪の発言をしてしまったということなのだな、と思わせました。
ガリアーノはアルコール依存症や薬物依存症(※違法な薬物ではなく、睡眠薬や向精神薬など)、そして仕事依存症を患っていたと精神科医が証言していましたが、泥酔して自分が何を言っているのか、どんな行動をとっているのかわからないような状態に陥ることの恐ろしさがまざまざと伝わってきます(逆に、パリのバーでたまたまジョンの隣の席になって差別的な暴言を浴びたアジア人の方が、そのことのトラウマゆえに精神障害を患ったことも描かれていて、胸が痛みました)。本当に悲劇的です。
依存症だけでなく、鬱でも、人格が変わり、攻撃的になることがあります。鬱は脳のプログラムの故障のようなもので、思ってもないことを言い、ふだん絶対にしないような行動をとったりします。
ではなぜガリアーノは依存症を患い、そこまで重症になってしまったのか。6歳のときにスペインから英国に移住してきて、移民の子、ゲイであるがゆえにいじめられ、暴力も振るわれたと語っていますが、そうした子どもの頃のつらい体験が人格形成に影響を及ぼしたことがうかがえます。彼がジバンシィのデザイナーに抜擢されたのは1995年、ディオールのデザイナーに就任したのは96年。まだ同性婚も認められていない時代であり、いくらゲイが当たり前なファッション業界であったとしても、世の中のゲイに対する偏見や差別、ホモフォビアから完全に自由ではなかったはずです(彼がショーの最後にモデルさんを上回るようなド派手な格好で登場し、自らをスターのように見せていたり、ジムに通ってマッチョなボディをキープしていたのは、ゲイあるあるかもしれませんが、コンプレックスの裏返しなんじゃないかと思わせるものがありました)
子ども時代に受けた心の傷(ある意味、虐待)やゲイとしての生きづらさ、デザイナーとしてのプレッシャーのシビアさ、また、優れたデザインを生み出し続けていれば文句は言われない(プライベートには踏み込まず、多少羽目をはずしたり、酒や薬に溺れたりしても咎められない)業界の甘さも手伝って、ガリアーノがアルコール依存にはまっていくことにつながったのだと思われます。
それは決してガリアーノだけの話ではありません。福正大輔さんも赤裸々にカミングアウトしているように、何かに依存してしまうゲイの方は決して少なくありません。それは個人の「心の弱さ」とか、ゲイであること自体の問題ではなく、ゲイを取り巻く社会環境、世間の無理解や偏見、侮蔑や嘲笑、差別の問題です。いじめられたり、疎外されたり、傷ついたりしてきたゲイの方は、つらい現実を忘れるため(心理学用語で「代償」と言います)、アルコールや薬物やセックスに依存してしまったり、何かのかたちで心の穴を埋めるような行動をとることが多いのではないでしょうか。
ただ、ガリアーノがバーの隣の席の人に対して本当にひどい発言をしてしまったことは事実で、やってしまったことには責任が伴いますし、被害者には償わなくてはいけません。映画では、彼が学び、反省するためにホロコーストの歴史について学ぶ研修を受けたりしてきたことも語られています(一方で、ガリアーノは言い訳していますが、関係者に直接の謝罪はしていないという話もあり、微妙なところです)
ちなみに、研修を受けさせた団体の方が語っていましたが、ガリアーノはホロコーストの知識を全然持っていなかったそうです。彼のショーには結構「文化の盗用」と思しき要素も見受けられますが、ある部分での教養や常識が抜け落ちていたのではないかと推察されます。それは、当時の英国の社会(教育)の問題なのでは…と思ったりしました。
こういうことも言えると思います。人は誰しも失敗することがあるし、たとえそれが取り返しのつかないような失敗であったとしても、真摯に反省し、謝罪し、償おうと努力することもできるのだから、社会が制裁を科し、失敗した人を排除して終わりとするのではなく、立ち直りのチャンスは与えられるべきであると。「人には失敗する権利がある」のです。そう思えることで、依存症の方も救われるし、回復に向かっていけるのだと思います。
実にいろんなことを考えさせる作品でした。
まだもう少し上映が続くと思いますので(サブスクでの配信があるかどうかわかりませんので)、ぜひ劇場でご覧ください。
ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー
原題:High & Low -John Galliano
2023年/116分/監督:ケヴィン・マクドナルド/出演:ジョン・ガリアーノ、ケイト・モス、シドニー・トレダノ、ナオミ・キャンベル、ペネロペ・クルス、シャーリーズ・セロン、アナ・ウィンター、エドワード・エニンフル、ベルナール・アルノーほか
9月20日、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国でロードショー公開
INDEX
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