g-lad xx

REVIEW

レポート:短編集「Meet Us Where We’re At」上映会

世界エイズデーの12月1日、今年も東中野のポレポレ坐で「Day With(out) Art」の上映+トークイベントが開催されました。その模様をレポートします

レポート:短編集「Meet Us Where We’re At」上映会

 レッドリボンをデザインしたことなどで知られるパトリック・オコンネルが創設したアート団体「VISUAL AIDS」は、レッドリボンプロジェクトだけでなく、喪に服す行動をアート界に呼びかける「Day Without Art」、街のランドマークなどの灯りを消す「Night Without Light」などのプロジェクトを企画し、アートとエイズコミュニティをつなぎ、人々がエイズへの関心を高めるよう働きかけ、HIV/エイズと共に生きるアーティストを支援してきました。
 「Day Without Art」は1989年、エイズ危機へのリアクションとして、喪に服したり何か行動をするようアート界に呼びかけるプロジェクトとして始まり(現在は「Day With(out) Art」という名称になっています)、以降毎年、世界エイズデーに全世界で上映されるような映像集の制作を行なってきました(映像自体は各地の映像作家が製作したものです)
 日本ではノーマルスクリーンが10年以上にわたって「Day With(out) Art」の映像に日本語字幕をつけたうえで上映会を開催してくださっています(例えば2019年の上映会はこちら、昨年の上映会はこちらでレポートしています)
 そして今年もTOKYO AIDS WEEKSの一環として12月1日(月)、東中野のポレポレ坐で「Day With(out) Art」の今年の短編集「Meet Us Where We’re At」の上映&トークイベントが開催されました。
「プエルトリコ、ブラジル、ナイジェリア、ドイツ、ベトナム――6組のアーティストが映すのは、ベルリンの公園、リオのカーニバルの夜、地下クリニックや恋人たちの部屋など、世界各地の「生き延びるための工夫」と「つながりの瞬間」。ゲイ、トランス女性、HIV陽性者らが築いてきた〈支援と共生〉の文化としてのハームリダクションを、映画を通して見つめる55分」とのことでした。

 会場にはオープンして10分後くらいに到着しましたが、すでに30名くらいの方が来られていて、関心の高さが窺えました。女性も多かったです。20時には満席になり、立ち見の方もいらっしゃいました。入場時に解説の冊子と「ハームリダクション東京」の冊子などが配られ、今回の作品にはセックスや薬物使用についての描写があるというおことわり(注意喚起)もなされました。
  
 20時に会が始まり、初めにTOKYO AIDS WEEKSの大島岳さんがご挨拶しました。World AIDS Day(世界エイズデー)は1988年、WHO(世界保健機関)が制定しましたが、初めのテーマはコミュニケーションだった、沈黙を破ることが企図されていた、同じ1988年に「VISUAL AIDS」が誕生した、今回上映される「Meet Us Where We’re At」は、昨日はホイットニー美術館でも上映された、といったお話を興味深く聞きました。ろう者の参加者のために高島由美子さん(らーちゃん)が手話通訳もしてくださっていました。

 そうして映画の上映が始まりました。
 
『ハイライト』(監督:Camilo Tapia Flores|チリ、ブラジル|2025|原題:Realce)はHIV陽性の友達どうし(DJ Deseoとポルノ俳優フェルナンド・ブルット)が、リオデジャネイロのカーニバルで行うパフォーマンスの様子を追ったドキュメンタリーで、キラキラのセクシーパンツにジルコニア?などのアクセサリーでかたどったブラを合わせて肌にラメをまぶした男性たちがリオのカーニバル(明菜の『ミ・アモーレ』よりももっとテンポが速い音楽で、いろんな人たちが参加していて、熱い雰囲気でした)に参加したり、クラブパーティで踊ったり、パフォーマンスしたりという映像に合わせて、ゲイコミュニティにおけるセックスや薬物使用に関する言葉が目まぐるしくカットバックされていく感じでした。もっとじっくり観たいと思わせる作品でした。

『公園の幽霊』(監督:Camila Flores-Fernández|ペルー、ドイツ|2025|原題:Ghost in the Park)は、ベルリンのゲルリッツァー・パーク(ゲルリと略されていました)という薬物使用者や売人が集まる公園を彷徨う幽霊としての「私」が語る作品です。昼間、このゲルリに現れる白いバンが、人々の安全な薬物使用を手助けしたり相談に乗ったりするというお話が印象的でした。 
 
『シスターの旅』(監督:Hoàng Thái Anh|ベトナム|2025|原題:The Sister’s Journey)はトランス女性のドキュメンタリーで、彼女は仕事ももらえないし、病院にも(差別があるから)行けない、その苦しさから薬物に…というシリアスな話なのに、彼女は不思議と明るく、強く、前向きで、そんな彼女の周囲の人たちも彼女のことを心から愛しているという、希望が持てるような映像でした。

『くじけない声の数々』(監督:Kenneth Idongesit Usoro|ナイジェリア|2025|原題:Voices of Resilience)。薬物使用者もHIV陽性者も社会からのけ者にされ、ほとんど犯罪者扱いで、クィアであればなおさら…なので、インタビューに応えてくれる人を探すのに苦労したそうです。勇気を出して出演してくれた(たぶん)ゲイの人も、逆光でシルエットに近い状態でした。

『こんなにも痛むのはなぜ』(監督:José Luis Cortés|プエルトリコ|2025|原題:¿Porque tanto dalor?)は、ゲイコミュニティで薬物を使う人が多いのはなぜなのか、ではなく、「こんなにも痛むのはなぜなのか」という問いを、自らのことを語りつつ、深めていくような作品でした。NYでのパフォーマンスで、裸でボディペインティングしながらペニスを指して「私のドーパミンの女王」と言ってたのが素敵でした。

 最後は『ケムパッション』(監督:Gustavo Vinagre、Vinicius Couto|ブラジル、ポルトガル|2025|原題:chempassion)という作品で、キメセクする二人の男性(何度も「愛してる」と言っていました)が他の人も呼んで乱交に至る様子が描かれていて、ちょっとkinkyだったりパーティ的なテイストもリアルで、素敵でもありました。が、最初に何度も「愛してる」と言ってた男の子が気分が悪くなってみんなで慰めたり介抱したりするシーンも描かれていました。最初に登場した2人のうちのもう1人が、泣きながら、コロナ禍で孤独感に苛まれたり酷い大統領になったりいろんなことがあって薬物を使うようになった、快楽は一時的なものだとわかってるし、お金や時間を注ぎ込むのはどうかと思う、けどやめられないといったことを怒涛のように友人(女性でした)に語るシーンが描かれていて、切なかったです。
 
 クィアを排除したり差別したりする社会にあってスティグマを付与され、生きづらさや息苦しさや孤独感に苛まれ、薬物に依存するようになる様を(たしかにセックスの際に使われたりはしていますが、その一時しのぎの快楽も「心の穴」を埋めるような営みなんですよね)リアルに映し出すような作品でした。
 たぶんノーマルスクリーン主催の「Day With(out) Art」上映会には2018年から毎回参加していますが、このように全編ハームリダクションがテーマというパターンは初めてでした。思い切った、踏み込んだテーマかもしれませんが、それだけ、薬物使用とHIVの関連が深いし、いま世界中でこのことが課題になっているのだなと窺わせるものがありました。

 あまり語られてこなかったかもしれませんが、日本の私たちのコミュニティでも(『カミングアウト・ジャーニー』の福正さんや「ノラノラジオ」のみなさんだけでなく)薬物に依存した経験を持つ方や、その使用によって社会的制裁を受けた経験がある方たちや、HIVに感染した方たちがいらっしゃいます。そういう方を他者化して叩いたり、「ダメ。ゼッタイ。」と言うだけでは、決してこの問題は解決しません。コロナ禍が始まった頃、過去のエイズ禍の経験を振り返って、陽性者を差別・排除したところで問題は解決しないとか厳罰主義的に禁止したとしても感染拡大を抑えられないと言われましたが、それは薬物のことにも共通していると思います。
 今回の作品のテーマであるハームリダクションというのは、個人や社会がもたらす危害(harm)を軽減する(reduction)ための社会実践のことで、公衆衛生および社会政策上の概念枠組・実践モデルのひとつです。薬物利用者が関わる犯罪による〈社会的危害〉と薬物利用者の深刻な濫用という〈個人への危害〉に関する〈現実的対応〉を模索するなかで創案され、静脈注射使用者の間でのHIV/エイズ流行の深刻化を受けて、広く採用されるようになりました。今回の作品にもあったような、薬物依存症の方に対して、薬物使用自体はジャッジせず(刑務所に収監するのではなく)、安全な注射針や見守りの環境を提供するようなことです(欧米ではそのための施設が設置されていたりします)。問題を抱える人を孤立させずに「その問題について話し合える関係性」を維持しながら、少しでも健康被害や危険の少ない解決策を探っていく方法論です。
 そもそもセーファーセックスという考え方も、HIVに感染した方や、HIVに曝露しやすい集団(ゲイ・バイセクシュアル男性など)に対して、全面的にセックスを禁止するのではなく、一人ひとりが感染のメカニズムを理解し、創意工夫で「より安全な」セックスの方法を考え、実践しようと提案する現実的にして建設的な態度ですので、ハーム・リダクションと似ていると思います。
 以前、ぷれいす東京の方にインタビューした際に、いつも生でやってる人が10回に1回でもセーファーセックスできたら褒めている、とおっしゃっていたのを思い出しました。ハーム・リダクション的なことは、私たちも日々、実践できることなのだと思います。

 ちょっと話が違うかもしれませんが、ゲイの世界って昔はアンダーグラウンドで、表には出せないような話もいろいろあって(もちろんその背景には社会に認められていなかったということがあります)、薬物だけでなくいろんな理由で警察のお世話になる人も二丁目にはたくさんいて(重鎮だったりもして)、なので、そういう「歴」があるからと言って排除するのではなく、いろいろあるけど一緒に二丁目という街を形作っている仲間だし、みたいな、「清濁合わせ呑む」的な感覚があったと思うんです(「それじゃあどなたかしら、この中で…」という某映画のセリフがものすごく響く世界)。ハーム・リダクションの精神ってそういうことと地続きなんじゃないかな、と思って。「失敗を許容する」精神と言いますか。危険な薬物とかも、なかには軽率にやってしまう方もいると思うんですが、そういう「失敗」の自由もあったほうがいいし、「ああ、バカやっちゃったね」って感じでまた戻ってこれるコミュニティのほうがいいと思うんです(ぷれいす東京やaktaが担ってくれている支援あればこそだとも思います)。個人的には、その先に、性的にオープンで自由な(台湾みたく褌一丁でパレードを歩いても怒られないような)社会を夢見ています。

 これも少し話がズレるかもしれませんが、薬物が厳罰化されて地下に潜れば潜るほど、それを使用する人の命の危険が高まるのではないかということも危惧します。依存症として安心して(通報のおそれを抱くことなく)カウンセリングを受けることができたり、適切な量や加減や安全な使い方を教えてくれる人たちが周囲にいたほうがいいと思うのです(たぶんですが、僕らのコミュニティでも今までオーバードーズで亡くなった方がいらっしゃると思います。もしそういう環境があれば、彼は命を落とさずに済んだかもしれない…と思うと、やりきれない気持ちになります)
 
 映画を観て思ったこと、感じたことをつらつらと書きました。長くなってしまいましたが、ご容赦ください。
 
 今回、諸事情で上映後の倉田めばさんとDJ POIPOIさんのトークはほとんど聞けなかったのですが、熱気が感じられましたし(お二人のファンの方々がたくさん来られていたのではないでしょうか)、とても有意義な話になったと思います。
 
 字幕をつけるのも大変だと思いますし、資料を作って印刷したりも大変だと思いますが、ノーマルスクリーンやTOKYO AIDS WEEKSのみなさんが毎年、このような上映会を開催してくれることに感謝します。本当にありがとうございます。
 
(後藤純一)

INDEX

SCHEDULE