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一人のゲイの「虎語り」――性的マイノリティの視点から振り返る『虎に翼』

『虎に翼』がついに幕を閉じ、拍手を送りつつ、とらつばロスになってる方もいらっしゃるのではないかと思います。g-lad xxとしては、この記念碑的なドラマのLGBTQ的な意義をまとめつつ、少しだけ、一人のゲイの「虎語り」も交えたレビューをお届けしたいと思います

一人のゲイの「虎語り」――性的マイノリティの視点から振り返る『虎に翼』

(『虎に翼』第103話より (C) NHK)



 女性初の弁護士、女性初の裁判所長ともなった三淵嘉子さんをモデルにした朝ドラ『虎に翼』。あからさまに男尊女卑な(女性が裁判官になることが制度的に認められていなかった)戦前の日本社会において弁護士を目指す女性がどのような扱いを受けたかということがリアルに描かれ、そんな時代にあっても、おかしいことには「はて?」と疑問を持ち、行動に移し、必ず男女平等は実現するという信念をブレずに持ち続け、一方で多くの仲間が脱落していく様に涙し、自身も挫折を味わい…という寅子の姿に、全国の本当にたくさんの方たちが日々、SNSで『虎に翼』への応援のコメントをアップし、熱狂を生んできました。

 『虎に翼』は間違いなく、朝ドラ史上最高に素晴らしい作品だったと思います(個人的にはこれまで『あまちゃん』が不動の1位でしたが、初めて1位が塗り替えられました)。本当に枚挙にいとまがないほど日々、各方面からたくさんの賛辞を得てきましたし、初めて同性カップルが描かれた記念碑的な作品ですし、「ジェンダー・セクシュアリティー考証」を前川直哉さんが担当し、ロバート キャンベルさん伊藤悟さん松岡宗嗣さんなどがコメントしていたりもして、ゲイコミュニティとの関わりも深い作品でした。
 法とは何か?という根本の話とか、原爆裁判などのタブーに挑戦した意義とか、脚本の吉田恵里香さんの慧眼や筆の確かさとか、役者さんの素晴らしさとか、米津さんの主題歌とか、いろんな切り口で『虎に翼』は語られていて、みなさん本当に深く、鋭く、的確に掘り下げていらっしゃるので、そうしたお話は、それぞれの記事に譲るとして、g-lad xxとしては、LGBTQについての描写の意義をまとめつつ、少しだけ、超個人的な、一人のゲイとしてどう観たか、ということも書いておきたいと思いました。
 
LGBTQについての描写の意義

 以下のニュースでもお伝えしてきたように、『虎に翼』は、寅子の級友であり弁護士の轟がゲイとして描かれていて(吉田恵里香さんは早い段階からそのように決めていたそうです)、朝ドラ史上、初めて同性カップルとその権利保障のこと、そしてゲイやトランスジェンダーのコミュニティが描かれました。轟が「俺たちには支えあう保障が法的にない。死ねば、関係がなかったことになる。爺さんになって、人生を振り返ったとき、俺は心から幸せだったと言いたいんだ」と語った8月20日の放送は、涙なしには観られない「神回」でした。ちなみに最終週の25日の放送でも、尊属殺の重罰規定(親や祖父母を殺した場合、通常の殺人よりも重い刑を科す規定)を無効とした歴史的な判決が出た後、よねと轟の事務所のシーンでひさしぶりに時雄が登場して「僕たちの関係が法的に認められるような今日みたいな瞬間を生きてる間に迎えられたらいいな」と言い、それを受けて轟が「そのためにできることは続けよう。俺達がだめでも次の世代のために」と語るという、未来へのバトンというか、今の日本社会に投げかけるようなシーンが描かれました(戦後最も重要とも言われる最高裁判決に続けて同性婚の話を持ってきたのは、明らかに「結婚の自由をすべての人に」訴訟の数年後に出る最高裁判決のことを意識していると思います。吉田さんの脚本のスゴさよ…)
 吉田さんは、朝ドラにゲイを登場させることへの批判も想定して、轟が花岡への思いを語った回の放送後、すぐに「同性愛は設定でもなんでもない」「エンタメが『透明化してきた人々』の多さ。その罪深さを感じます」「私は透明化されている人たちを描き続けたい」とXにコメントしていて、その毅然とした姿勢にも感動させられました。クロ現でも吉田さんは、「マジョリティでいる以上、必ず誰かを傷つける」のだし、「当事者が矢面に立つのはしんどいこと」なのだから、「マジョリティ側が社会を変えなくてはならない」と語っていて、本当にその通り!素晴らしい!と感服しました。

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個人的な思い

 田舎に住んでいた中高生の頃(80年代)、民放が2局しかなく(しかもフジテレビ系がなかったので一度も『夕やけニャンニャン』を観ることがなく)、必然的にNHKを観ることが多くなり、朝ドラも『おしん』とか『心はいつもラムネ色』とか『はね駒』『チョッちゃん』あたりは観ていた記憶があるのですが、もしその時代に『虎に翼』が放送されていたら、同性を好きになる自分は異常なのではないかと苦悩していた、あの地獄の苦しみから解放されていたかもしれないな…と思いました(ちなみに大河ドラマだと『おんな太閤記』『いのち』あたりは熱心に観てました)。全国どこに住んでいても確実に観れるNHKのドラマって、やっぱり影響力大きいですよね。

 『虎に翼』は本当にたくさんの要素が盛り込まれていて、濃密で、見返すたびに新たな発見があるような作品だったと思います。いろんな方がいろんな視点・切口で評価していて、その膨大な「虎語り」の全体像を把握するのも大変なくらいです。
 個人的には、直接同性カップルや同性婚のことが描かれた部分や、女性たちの闘いはもちろんのこと、優未と母・寅子(そして父・優三)の関係に、とても癒され、感銘を受けました。
 優三は戦死し、優未は父親に会うことなく育って、子どもの頃は花江ファミリーや直明との暮らしを心地よく感じていたけど、寅子が新潟に転勤になって、一緒に行くことを決め(なんと殊勝な…)、知らない新潟の土地で、いじめられてるわけじゃないけど友達ができない、孤独な小学生時代を過ごして、東京に戻った後も、寅子と航一が一緒になったので星家に住むことになり、急に大きい兄と姉ができて(初めニールとイライザみたく意地悪なんじゃないかとハラハラしました)、一度は姉ののどかを突き飛ばしたり、なかなかヘビーな思春期を過ごし、大学に進学してからは寄生虫の研究をしたり、割と自由に生きてきました。
 9月12日の放送回で、大学院を辞めると言った優未に対して航一が、あきらめるなと説得…というか説教を始めて、そこに寅子が入ってきて「優未がどの道を進むも、どの地獄を生きるも自由ですよ」「私は優未が自分で選んだ道を生きてほしい」と言います。そして優未に対して「あなたが進む道は地獄かもしれない。それでも進む覚悟はあるのね?」と言い、優未は「うん、ある」と答え、笑顔で抱き合います。あの法律家だらけの家族の中で、優未はそういうエリート的な道を歩まなかった、けど、寅子は真っ直ぐに優未を見つめて、全肯定するんですよね。「ああ、このお母さんなら、たとえ優未がクィアであったとしても受け容れるだろうな」と思えました。
 最終週の26日、優未は、子育てに失敗したかと悩んでいる風だった寅子の姿を見て、つかつかと歩いてきて「私は好きなこと、やりたいことがたくさんあるの。この先私は何にだってなれるんだよ。それって最高の人生でしょ?」「最高に育ててくれてありがとう」と言うんです(なんという愛の強さでしょう)。そして、その場面を、茶室から雄三が見ていて、「とらちゃん、約束守ってくれてありがとうね」って言うんです(号泣)。寅子は、優三が言い遺した「どんな自分でもいいから、好きに生きてほしい。心から人生をやりきってほしい」という言葉を大事に守って、だからこそ優未は、こんなに自由に、幸せに生きれたんだと思います。最後に、大人になった優未が、会社を突然クビにされる不条理に直面した若い女性に声をかける場面があって、優未らしい、いろんなものを象徴している、素敵なシーンだと思いました。
 優未に感情移入していた若い人たちも少なくないと思うのですが、自分が「好きなこと、やりたいこと」が周囲に理解され難いことだったり、他の多くの人たちと違ってたり、“世間様”から後ろ指さされたりするようなことであったとしても(たとえば男の子だけど編み物にハマるとか、セックスワークをするとか)、きっと寅子は(優三も)認めてくれるだろうな、って感じられたと思うんですよね。「あなたが進む道は地獄かもしれない。それでも進む覚悟はあるのね?」と問うかもしれないけど、たとえ失敗しても責めないだろうし、ずっと見守っていてくれるはず。そう思えることは、子どもにとってなんと幸せなことだろうと思います。 
 

 最後に、書くかどうか、かなり迷ったのですが、一点だけ、『虎に翼』におけるゲイの描写について「はて?」と思ったことがありまして…みんなが絶賛しているなかでこのように「はて?」を投げかけるのは気が引けるし、誰にも言っていなかったのですが、もしかしたら自分と同じように感じた人もいたかもしれないし、なにがしかの意味があるかもしれないと思い、書くことにしました。
 『虎に翼』は、度々女性の生きづらさを「地獄」という言い方で描いていました(例えば実父に14歳からレイプされ5児を産まされ、やっと見つけた婚約者から引き離され、監禁され、父親を殺してしまった女性や、原爆を浴びて首から顔にケロイドが残り、原爆裁判で証言台に立とうとした女性に、よねが語りかけるシーン…涙なしには観れませんでした)。しかし、女性の「地獄」をあれだけ情熱的にリアルに掘り下げていたのと比べると、ゲイについては、ユートピア的な描かれ方「しか」されていないと思ったのです。
 例えば美輪さんが、名家の子息であるゲイの友人が父親から結婚を強要され、トイレで首を吊って自殺した現場に居合わせ、その無念そうな顔を見て「この人が何をしたっての? 物を盗んだり人を殺したりしたわけじゃないのに…」と憤りを感じたと述懐しているように、当時、自ら命を断つほどの「地獄」が確実にあったはずです。前川先生が『〈男性同性愛者〉の社会史――アイデンティティの受容/クローゼットへの解放』で明らかにしているように、情報が全くない時代、男に惹かれる男たちは、自分がいったい何者なのかということすらわからず、苦悩していました。(僕もそうですが)男を好きになる自分は異常なんじゃないかと悩み、孤立無援で、誰にも本当のことを言えず、ただ自分の運命を呪い、憎み、死ぬことを考えたり、自暴自棄に生きたり…。90年代までは、自分に嘘をついて異性と結婚するという「地獄」を、多くの人たちが経験していたはずです。その辺りのリアリティをもう少し描いてもよかったのでは…と思いました。(もちろん、轟と時雄のカップルは最高だし、性的マイノリティのコミュニティの描写もユートピア的で素晴らしかったけれども)これでは世間の人たちが「なんだ、昔から性的マイノリティの人たちも幸せに暮らせていたんじゃないか」と誤解しまうのではないか…と思うようになったのです。(同性どうしで真剣につきあうことなんて考えられず、周囲の圧力に負けて偽装結婚するか、命を絶つかしかなかった当時の状況をリアルに描いたとしても、そこから現在の同性婚の課題を世に問うような展開に持っていくことは難しかったのだろうな…ということは想像できます。それにしても、もうちょっと…という感じです)
 
 毎日、本当に心待ちにしていたし、史上最高に素晴らしい朝ドラだったのは間違いないし、『虎に翼』の奇跡に関わった全員に感謝したい気持ちなのですが、厳しい時代を知っている一人のゲイとしては、そういう見方もあるんじゃないかな、と思った次第です。
 
 
(文:後藤純一)

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