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石原発言のおかげで生まれた新しい「つながり」とパワー

1月14日(金)、「石原都知事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」というシンポジウム(トークイベント)が行われました。大勢の方が登壇&来場し、あの発言をきっかけに新しいつながりやパワーが生まれた、意義深い一夜となりました。

石原発言のおかげで生まれた新しい「つながり」とパワー

 「(同性愛者は)どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」「ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」という昨年12月の石原都知事の同性愛者差別的な発言に対してコミュニティ内で怒りの声が噴出し、『石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会』が立ち上がりました。世間ではあまり問題視されなかったこの発言を「風化させてはいけない」ということで、“本当に足りないもの”の正体を暴こうと、このイベントが開催される運びとなりました。

ゲイやレズビアン、バイセクシュアルの社会的地位向上のために重要な活動をしてきた方たちが15人も一堂に会して話をするというのは、めったにない、スゴイこと(パレードを別にすれば、セクシュアルマイノリティ関連のシンポジウムとしては最大級ではないでしょうか)。昨年5月には「セクシュアルマイノリティを正しく理解する週間・記念シンポジウム」が開催されましたが、それ以来のエポックだったと思います。

当日、会場には、ゲイの方、レズビアンの方、ストレートの方、若い方から年配の方まで、実にさまざまな方たちが訪れ、550名収容の中野ZERO小ホールが「かなり埋まってる」と感じるくらいの盛況ぶりでした。ゲイの中でも、パレードのスタッフの方とかだけでなく、ゲイ雑誌で活躍する漫画家の方や、ごくふつうのリーマンの方、ろう者の方など、さまざまな方が見えました。そして、当事者だけでなく、都青少年健全育成条例改正(性表現規制)に反対する活動を行っている方も来てましたし、大好きな人が登場するので見に来ました的な雰囲気の方もいました。
主催者発表によると、お客さんが317人、取材陣が10人、出演者が15人、スタッフ(手話通訳者・ビデオ撮影含め)が15人で、合計357名が参加したそうです。

それでは(とても長いですが)、イベントの様子をレポートいたしましょう。(後藤純一)


レポート:第一部「石原都知事の同性愛者差別発言、なにが問題か?」

 19時、パネリストの方たちが壇上に現れ、司会の島田暁(akaboshi)さんがイベントの趣旨を説明し、イベントはスタートしました。

 初めにお話したのはパフォーマンス・アーティストのイトー・ターリさん。
 ターリさんは1994年、ダムタイプの『S/N』を見て衝撃を受け、カミングアウトを決意したそうです。それから、東京都の「人権施策推進のための指針骨子」(青島都知事が主導した人権指針対策連絡会が策定)に明記されていた「同性愛」の文言が、石原都政下で削除されたことに対し、2000年、同性愛者のコミュニティを中心に都に対してパブリックコメントを送ろうという運動が展開されましたが、ターリさんもこのムーブメントに大いに健闘したそうです。
 それから「私はパフォーマーですので」と言って、(それまでも、イスから立ち、マイクなしで語っていたのですが)大きな黄色とオレンジ色の風船を登場させ(その風船には「イシハラスメント菌」と書いてありました)、客席に向かって風船を放り投げました。お客さんたちはそれを手でバレーボールのようにアタックし、笑いがこぼれ、しばらく風船は会場内を飛び交いました。イベントらしい、ほのぼのした時間でした。

 それから、中野にあるレズビアンやバイセクシュアル女性のためのコミュニティスペース「LOUD」を主宰する大江千束さん&小川葉子さんがお話しました。
 お二人はまず、会場のストレートの方に向けて同性愛と性同一性障害の違いについて語ったあと(よくごっちゃにされるそうです)、レズビアンとしての自分自身のことについて語りはじめました。お二人はカップルで、実に17年間もおつきあいを続けていて、いっしょに暮らしてからも16年になるそうです。お二人は集合住宅に住んでいますが、できるだけ近所の方たちに挨拶したり、ゴミの出し方にも気を配ったり、「襟を正して」暮らしているそうです。もちろん仕事もして、税金も納めています。「それなのに(石原都知事に)足りないと言われて、憤慨しました」
 島田さんに「本当に足りないものは何だと思いますか?」と聞かれ、大江さんは「同性愛者を守る制度や法律が足りないと思います。欧米では同性パートナーの権利が認められつつありますが、日本では何ひとつ保障されていません」と、小川さんは「社会の(同性愛者の)認知が足りないと思います。これだけたくさん、身近にいるということが伝わっていないのです」と語りました。

 続いて、石坂わたるさんがお話しました。石坂さんは、赤杉康伸さんと共同で東京メトロポリタンゲイフォーラム(TMGF)を運営し、東京都内の選挙立候補者にゲイに関する政策アンケートを実施してきました。
 石坂さんは、石原都知事はこれまでにも女性や外国人、障がい者などに対して差別的発言をしてきましたが、「とうとうこういう発言が…」と思ったそうです。そして、こうした発言を許さず、こういう人が都知事に選ばれることがないよう、有権者に働きかけるような活動を根強くやっていくことの必要性を訴えました。
 同性婚などが認められていない現状で、石坂さんはパートナーの赤杉さんと共に、二人の結びつきを証明する公正証書という書類を作っていますが(壇上で現物も見せてくれました)、こうした書類も、いざというとき、親兄弟や親戚、病院等に出せなければ効力を発しない、と語りました。そして「本当に足りないもの」は、首長として、こうしたパートナー関係が全く保護されていない当事者たちの声を聞く姿勢だと語り、会場から拍手が起こりました。

 島田さんが「石坂さんのお母様は、高校のときに息子がゲイだと気づき、とてもショックを受けて、自ら大学で心理学を学んだ方だそうです」と前フリをしてから、「LGBTの家族と友人をつなぐ会」の小林ヒロシさん&りょう子さんご夫妻を紹介しました。
 小林りょう子さんは石原都知事の発言に「言うよね〜」とコメントして笑いを誘い、それから、お子さんのことについて語りはじめました。『ハートをつなごう』でご覧になった方も多いかと思いますが、ご夫妻のお子さんはFTMトランスジェンダーで、5回目のパレードのときに「もう女の着ぐるみは脱ぐよ」と宣言したそうです。お父さんのヒロシさんはたまたま本で読んで性同一性障害についての知識はあったものの、いざ自分の子どもが、となると、感情がついていかず、初めは「手術するなんて過激じゃないか」などと言ってケンカになることも多かったそうです。
 終始明るくお話していたご夫妻でしたが、りょう子さんが、「LGBTの家族と友人をつなぐ会」にコンタクトを取る母親たちの多くは「自分の母体に何かあったせいでは」という悩みを抱えている、「あの発言を知って『やっぱり自分が足りないんだ』と思う人がいたら本当に悲しい」と語りました。いろんな親御さんの相談を受けてきた方だけに、本当に説得力のある言葉でした。
 島田さんがお二人の話を受けて、関西の「LGBTの家族と友人をつなぐ会」では、当事者の娘がずっと泣いていて外に出られないという本当に深刻な話も聞いた、と語りました。

 それから、ノンフィクション作家であり、パフスクールを主宰している沢部ひとみさんがお話しました。
 石原都知事の発言については「またやったな」という感想。「男と女の異性愛関係しか見えてない。ふつうのオヤジの本音だろうと思います。ただ、公的な立場にある人間ですから、首長としての影響力を考えなくては。世間の人たちがホモフォビアの方に動いていくことを心配します」と語りました。「私は東京が好き。都市の空気は自由にする、と言いますが、多様性が尊重されている。そういう街の首長がこんな発言をすることは許されないと思う」
 それから沢部さんは、チェーホフなどの作品を翻訳してきたロシア文学者・湯浅芳子の話をします。彼女は後の宮本百合子と1924年から7年間、ともに暮らして愛を育んでいたのですが、百合子は宮本顕治と出会い、(当時の)共産党の思想に影響されたため、芳子を「異常者、プチブル」と罵り、捨てたのです。25年前、沢部さんは湯浅芳子のもとを訪ね、本当のことを教えてほしいとお願いしました。すると彼女は「せめて百合子に『ダスヴィダーニヤ(さようなら)』と言ってほしかった」と、ずっと胸に秘めていた心情を吐露しました…本当にせつないお話でした。この『百合子、ダスヴィダーニヤ』は現在、浜野佐知監督によって映画化が進んでいます。
 また、沢部さんは、パフスクールで行っている「再出発の自分史」という講座について話しました。愛する者との別れ、転職、病気など、人生の節目を振り返り、自分が生きてきた歴史を語ります。そうすると、性別やジェンダーの違いに関わらず、一人一人が本当に全く違うということがわかるのです。「ここで初めて他者に出会った」という方もいるそうです。その人と代わってあげられない(かけがえがない)ということを知って、信頼が生まれるといいます。「そういう人たちを、あの発言は粉々に砕いた」と沢部さんは締めくくりました。

 続いて、国政や教育現場にセクシュアルマイノリティの視点を入れるべく、さまざまな活動を展開している共生ネットの代表、ミナ汰(原美奈子)さんがお話しました。
 ミナ汰さんは、12日に石原都知事への要望書を都庁に持って行きました。迷路のような都庁をさまよい、「都民の声」課というところにたどり着きますが、受付が一人だけで、その人が関連する課に行って答えを持って帰って来る…という感じだったそうです。要望書の内容は、公式謝罪と発言の撤回、人権部の見解、再発防止のための研修会(都知事および都職員を対象)開催、セクシュアルマイノリティとその家族のための相談窓口の設置、当事者との懇話会の実施、などです。共生ネットは「“先生のための”セクシュアル・マイノリティ入門DVD」を製作し、これまでに30カ所くらいで講演会を行ってきましたが、参加した方はたいがい「今まで傷つけてたなあ…」「世間がそうだからバカにしていいと思ってた」という反応を示すそうです。
 その後、ロビーイング(議員と話し合い、政策を提案する活動)のポイントや、毎週月曜日に行っている「セクシュアルマイノリティ悩み相談ホットライン」のことについて、お話してくれました。

 最後に、NPO法人「ピアフレンズ」の石川大我さんがお話しました。2002年からスタートしたイベント「ピアフレンズ」は、二丁目とは対照的に「昼間に、お酒抜きで、公共の場で開催すること」をテーマにした、10代・20代のゲイのための友だち探しイベントでした。石川さんは『ボクの彼氏はどこにいる?』などの著書を発表したり、千葉県人権施策推進委員会に参加したり、『ハートをつなごう』に出演したり、といった活動を通じて、孤立しがちな思春期のゲイをサポートしてきました。
「石原都知事には人の痛みに対する想像力が足りない」と石川さんは語ります。「『ハートをつなごう』を見て、初めて自分以外の仲間を知ったという若い人たちがたくさんいて、『ピアフレンズ』に大勢が参加するようになりました。そうした動きは、都知事の発言とは真逆だと思います」。また、「日本にはアニタ・ブライアント(『ミルク』に登場する「歌うホモフォーブ」。天使のような笑顔で同性愛者の人権を叩きつぶそうと訴えます)が足りない」という興味深いコメントも。「いわば石原氏はヒールとして、僕らを団結させてくれた。これは始まりの始まりなんです」
 それから、海外で同性婚しようとする日本人に対し、法務省が婚姻要件具備証明書(結婚する資格を有することの証明書)の発行を拒んでいましたが、2009年、社民党の福島みずほさん(や石川大我さん)らの努力によって、そうした人たちのために新たに独身証明書を発行することになりました。「そういう成功体験を積み重ねていくことが大事なのではないでしょうか」と石川さんは語りました。

 こうして第一部が終了しました。第二部が始まるまでの準備の間、ステージ上に3人の区議会議員の方が登場し、スピーチしました。

 世田谷区議の上川あやさんは「世田谷区は、性的指向や性自認による差別を絶対許さないと教育委員会に認めさせている唯一の自治体です。にも関わらず、東京都の首長である石原氏があのような発言をしたことには憤りを禁じえません」「ILGAの会議でジュネーブに行った際、スイス国会議長、ジュネーブ市長、そして市議会の議長が全員ゲイ&レズビアンだったことに感銘を受けました。『ジュネーブでは同性愛者はどのフィールドでも活躍しています』という言葉が印象的でした」「世田谷区の議員や職員で私にカミングアウトしてくれた方がけっこういました。でもみなさん『同僚にはご内密に』と言う。ちょっと悔しかったので、先日Twitterで『今日の会議にはLGBTの方が4人いました』とつぶやきました。私たちは必ずしも「弱者」ではありません。でも、姿が見えないことには社会は変わらないのです」と語りました。

 文京区議の前田くにひろさんは「トップが変わらないかぎり、変わらない。東京都では(君が代・日の丸の強制問題など)教育委員会の方針についていけないという教職員がたくさんいて、おかげで教師が不足し、秋田県の採用に落ちた人などを採用しているそうです」「都知事は、LGBTがどこにでもいることを自覚してほしい。今、日本の企業でも、LGBTダイバーシティ教育が行われるところがどんどん増えています。活力ある東京には、多様性も重要なのです」と語りました。

 杉並区議のすぐろ奈緒さんは、2008年、杉並区議会で初めてセクシュアルマイノリティの人権について質問をした方です。「他の区議の人たちは、性的少数者のことを何も知らないんだなあ、ということがわかりました。教育関係の方たちへの研修を行い、理解を深めていただきました。そこまでは実現したのですが、本当に小学校や教育現場で教えられるところまでは至っていません。これからの課題です。そのためにも、都知事を変えたいですね」と語りました。

 

レポート:第二部「男のペア 女のペア」同居生活★喜怒哀楽

 第二部は、石原都知事の発言にあった「男のペア、女のペア」をキーワードに、実際のゲイカップルやレズビアンカップルがどんなふうに暮らしているのか、を語っていただくトークイベントでした。

 初めに、歌川たいじさんが著書『ツレちゃんに逢いたい』の冒頭で描いていたような「60年代〜現在のゲイの恋愛の歴史」を、ミュージカル風のイラスト・漫画や写真などを使って講談風に楽しく見せてくれました。昔は出会いのためのツールがトイレの落書きしかなかった、その後、二丁目ができて、ゲイ雑誌ができて、タックさんや伏見さんのような人たちが現れて、だんだんゲイが自分を肯定できるようになってきた…という流れですが、今はなき日比谷公園トイレや初期の頃のゲイ同人誌の写真を見せたり、『新宿二丁目曲がり角』という劇レアなレコードを持って来たり、ベテランも初心者も「へええ!」と思えるような、素晴らしく楽しいレビューでした。
 しかし、楽しい中にも、長い間激しい差別や偏見にさらされてきたゲイやレズビアンにとって、偽装結婚せずに本当に愛する人と一生添い遂げるということ自体が奇蹟で、素晴らしいことだった、そして、堂々とゲイ/レズビアンとして男どうし/女どうしの暮らしを選択して生きていけるようになったのは本当に最近のことだという、本当に説得力あるメッセージでもありました。

 歌川さんがそのままマイクを握り(司会を務め)、続いて、お話をしてくださるゲイとレズビアンのカップルが登場しました。
 1組目は、雑誌『Tokyo graffiti』やドリカムの広告に登場した話題のカップル、村上裕さん&佑樹さん。村上さんはゲイの心理カウンセラーだそうです。彼氏の佑樹さんはお名前がクレジットされていませんでしたが、間に合うように駆けつけてくれて、出られることになったそうです。
 2組目は、日本キリスト教団「冨貴島教会」の牧師である池田季美枝さんと、元宝塚歌劇団花組に「あうら真輝」として在団していた東小雪さんのカップル。牧師である池田さんは地域の方にもカミングアウトしていて、初めは理解が難しかったようですが、今は受け容れてもらえているそうです。東さんはレズビアンであることより、芸名をカミングアウトすることに勇気が必要だったそうです。歌川さんが「みんな知りたいと思ってるだろうからお聞きしますが、タカラジェンヌでビアンが多いの?」と聞くと、「あうら真輝」さんは「それぞれの組に40名×2ずつ、宝塚音楽学校が1学年40〜50人、他にも専科の人がいて、宝塚は全部で500人にもなる大組織なんです。その中に1人もいないはずがないでしょう?」と答えてくれました。
 トークの最初の質問は「同居のきっかけは?」。村上さんは「彼が岡山から千葉に出て来てくれて…ひとめぼれでした。そのままいっしょに住んで7年です」、佑樹さんは「いっしょに住んだのは、経済的だってこともありました」とコメント。池田さんは「彼女が東京に出て来て、出会って、わりとすぐ、いっしょに住みはじめました」と語ってくれました。
 歌川さんが「同居していてわずらわしいと感じたりすることはなかった?」と聞くと、村上さんは「初めは耐えられないと思ってました」と、東さんは「さみしがりやなので、うざいとかは無いですね」とコメントしました。

「一般的に、3年目の浮気とか言いますが、そういうハードルとか、ケンカして別れの危機に直面したことなど、ありますか?」と歌川さんが聞くと、佑樹さんが「初めのうちは2日に1回くらい、この人、泣いてたんです」と言います。村上さんは「彼は忘れっぽくて、何回言っても約束を破る。でもそういうことを繰り返してるうちに、思い通りに変えることはできないんだな、と悟りました」と語りました。一方、「ウチも去年、大ゲンカしました」と東さん。原因はテレビの地デジ化だそうです。「私はテレビ見ないので。貧しくていいんだよと言って、彼女と言い合いになりました」と池田さん。
 「ケンカするとふだん思ってることがポロリと出たりしますよね」と言う歌川さんは、次に「仲直りのコツはありますか?」と質問。村上さんは「どんなに怒ってても、手をつないで話をすることをルールにしています。そうすると気持ちがほぐれるんです」と語りました。池田さんは「どちらかがごめんねと言ったら、いいよと言うことにしています」と、東さんは「お茶をいれてあげたりします」と語ってくれました。
 「この人といっしょに暮らしてよかったと思うところは?」という質問に、村上さんは「この人となら一生いっしょに生きていけると思いました。事あるごとに『好きだよ』という気持ちを伝えています」、佑樹さんは「ケンカしても、改善点を見つけてくれるのがいい」、池田さんは「IDAHO千葉というイベントをいっしょにやって、前に出てくれたのがうれしかった」、東さんは「カミングアウトしない生き方も尊重されるべきだけど、私は両親にもカミングアウトして、こういうふうに生きたいと思って。そういうスタンスが同じで、よかったなと思います」と語ってくれました。
 歌川さんは「彼ら、彼女らは男女のカップルとどこが違うんでしょうか。何か足りないと思います?」と締めくくりました。
 それから最後に、石原都知事の発言について、一言ずつ。村上さんは「僕は家族が大好き。遺伝子がどうのこうのというのは、産んでくれた親たちを否定された気がして、とても悲しかった」と、佑樹さんは「『キターーー』とリツイートしました。あの年代の男性はみんなそんな感じなのかな、と思います」、池田さんは「私たちがいっしょに暮らしていてよかったことは、異性カップルと同じです。でも、逆はいろいろあります。生保、ローン、相続のことなど、足りない部分を補ってほしいです。人のせいにしないでください」、東さんは「多くの方を傷つけたと思う。今日こうして、同じ思いを共有できる仲間がたくさんいることがわかって、よかったです」と語ってくれました。

 

 イベントの最後に、ますはらひろこさんというレズビアンの方が登場し、3月中旬〜下旬に開催予定のデモのことを話してくれました。
 「私たちにはこれが足りない」ということを書いたプラカードを持って、都庁の周りでデモを行った後、都庁に入って行って陳情を行うという流れにしたいと思っているそうです。(都庁に入って行けるくらいの、ゆるいドレスコードを設けるそうです)
 「あきらめずに、この活動を続けていきましょう」と彼女は熱く語りました。


最後、手話通訳の方に拍手が贈られました

 それから、もう1つ、大事な方たちのことを言わなくてはいけません。このイベントの最初から最後まで、ステージの横で、手話通訳の方たちが3人(写真NGなのでお見せできず、残念ですが、カッコよかったです)、交代交代でトークの内容を手話通訳してくださっていました。専門的で難しかったりもする話の内容を手話で伝えるのは、なかなか大変なことだったと思います。客席の前方にはろう者のゲイの方たちがたくさんいらしていて、真剣に話を「聞いて」いました。その姿にちょっと感動を覚えました。

 とてもうまくこのイベントをまとめてくれた島田さん(akaboshiさん)をはじめ、たくさんの出演者の方たち、裏で奔走していたスタッフの方たち、手話通訳の方たち、足を運んでくれたみなさん、本当におつかれさまでした! 会場のあたたかい拍手が、このイベントの成功を物語っていたと思います。

 



原点に返り、新しいつながりとパワーを生み出したイベント

 イベントが終わると、ロビーは、友達どうしでいろいろ語ったり、旧交をあたためたり、歌川さんが著書に一生懸命サインするのを待つ行列ができていたり、たくさんの人たちでごった返していて、ちょっと熱くていい雰囲気でした。

 第二部で歌川さんが「講談」のように60年代以降のゲイ史をわかりやすくひもといてくれる場面がありましたが、ストーンウォール事件をはじめ、世界中のゲイムーブメントのどれをとってみても、それは「圧政への怒り」をきっかけに誕生したものでした。
 日本も例外ではなく、1991年、NPO法人「動くゲイとレズビアンの会(アカー)」が、府中にあった東京都青年の家に同性愛者が宿泊することを断るという決定を下したことに対して裁判を起こしました(1994年の一審、1997年の二審とも、アカー側の勝訴が確定しています)。広辞苑で同性愛を「異常性欲」だとする記述が削除されたのも、1991年、アカーの抗議によるものです。不正に怒り、声を上げることで、差別や偏見と闘い、1つ1つ権利(や正しさ)を勝ち取っていく…約20年前、そういう時代があったのです。
 しかし、日本は世界でもまれに見る「アゲンスト」の見えづらい国であり(宗教的な弾圧もなく、表立って「石を投げる」人もなく)、パレードに象徴されるような平和的なお祭りや、ストレートの人たちを味方にして取り込んでいこうとするような動きのほうが主流となってきました。今は「抗議」というスタンスに対する違和感がコミュニティ内にあるのでは?と思います。(もともと「和」を尊ぶ民族であり、政治アレルギーも強く、そういう身振りになじめないということも言えるでしょう)
 そういう意味で、「確かにあの発言には怒りを覚えた。けど、『抗議』の集会に参加する気にはなれない」と感じた方もいらしたようです。
 
 でも実際は、ものものしく「抗議」するというよりは、もっとゆるい…さまざまな人がそれぞれの立場から思いを語り、今、政治や社会に何が「足りない」のか具体的に提案していくような、平和的で建設的なイベントでした。後半などは、思わず笑いがこみあげるような、ほのぼのした幸せを感じさせる時間でした。
 
 そして、これまではバラバラだった人たちが、こうして同じ目的で集まり、つながり、(呉越同舟ではないですが)いっしょにやっていこう!という連帯感が醸し出されていたようにも感じ、2007年の尾辻選挙以来の新しいムーブメントを予感させるようなものがありました。なんとなくコミュニティのパワー(団結力というか)が弱まってきていると言われる昨今、こうした機会は貴重なのでは?と思いました。
 
 石川大我さんが「日本のアニタ・ブライアントとして一致団結させてくれた」といみじくも語っていましたが、石原都知事の時代錯誤な発言を奇貨として、僕らはぐるっと回って再び原点に返る契機を得たのかもしれません。