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祝!マドンナ60歳 

 この8月16日、史上最強の「愛の戦士」であり、デビュー当時からゲイの味方でいてくれたマドンナがめでたく60歳(還暦)を迎えました。誕生日はモロッコのマラケッシュで過ごしているようですが、自身のTwitterを見ると、この誕生日を利用して同じアフリカのマラウィへの寄付を募ったり、とてもマドンナらしいと思います。
 
 海外では、『Advocate』誌が「Love Letters to Madonna From the LGBTQ Community」という9人の編集者によるラブレターを掲載したのをはじめ(例えば、GLAADの代表でもあるサラ・ケイト・エリス氏は「世界最大のLGBTメディアの代表として言うと、あなたはいつも頼りになる、真のLGBTアライだった。あなたのサポートは何度も世界に影響を与えてきた。真のLGBTアイコンだった。深いところで、私たちと共鳴してきた」と述べています)、LGBTのテレビ局「Logo」がマドンナ特集を組んでお祝いしたり、コミュニティ内でお祭りムードとなっているとともに、一般メディアでも、マドンナの60歳のお祝いを、LGBTとの関連も含めて報じるニュースが山ほどあります。一方、日本のマスメディアでは、マドンナとゲイとの関わりについての語りは全くと言っていいほど見当たりません…。
 g-lad xxでは、お祝いとして、マドンナがどれだけゲイの強力な味方であり続けてきたか(特にエイズとの闘いにおいて)ということをまとめた記事をお送りしたいと思います。
 

右がマドンナの親友でゲイのマーティン・バーゴイン。マドンナはエイズに冒された彼を献身的に支えました
右がマドンナの親友でゲイのマーティン・バーゴイン。マドンナはエイズに冒された彼を献身的に支えました

 マドンナはもともとゲイクラブから火がついて有名になっていったわけですが、高校時代のクラシックバレエの先生(クリストファー・フリン)がゲイだったことや、実の弟クリストファーがゲイだったということもあり、ずっとゲイの強い味方でした。マドンナのゲイ愛は、ちょっと人気取りして儲けようとかそういうレベルではなく、本物です。
 ブロンド・アンビション・ツアーの舞台裏を記録した『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』(1991)というドキュメンタリー映画をご覧になった方は、ツアーに参加したダンサーの多くがゲイだったことをご存じでしょう。このドキュメンタリーには、ダンサーの前でマドンナが恩師クリストファー・フリンや、デザイナーのマーティン・バーゴイン(『バーニング・アップ』『ラッキー・スター』のジャケットのデザインを手がけた人)など、エイズで亡くなったゲイたちのために祈るシーンがあります。
 このブロンド・アンビション・ツアーは世界中にセンセーションを巻き起こした『ヴォーグ』(1990)をフィーチャーしています。若い方はご存じないかもしれないので念のためにお伝えすると、ヴォーギング自体も映画『パリ、夜は眠らない』(1990)で描かれていたように、NY・ハーレムの黒人ゲイたちのカルチャーでした(ヴォーギングはその後、ダンスの一ジャンルとして確立し、発展を遂げていて、たとえば映画『マジック・マイク XXL』では、主演のチャニング・テイタムが現在形のヴォーギングを披露しています)。ちなみに『ヴォーグ』の振付けを手がけ、『パリ、夜は眠らない』に主演したウィリー・ニンジャは2006年にエイズで亡くなっています。
 マドンナがスターダムに登りつめた時代は、アメリカがエイズに恐怖していた時代でもありました。まだ感染経路などがわからず、「GAY CANCER」などと呼ばれていた頃も、彼女は(多くのセレブがエイズのことから距離を取ったのと対照的に)ゲイの友人たちを献身的に支援しました。マーティン・バーゴインを看取り、その治療費や葬儀代などを肩代わりしたことはよく知られています。
 湾岸戦争時、ピンクの風船で「MONEY FOR AIDS, NOT FOR WAR」という巨大なのぼりを掲げた「ACT UP」についてインタビューされたマドンナは、食い気味に「賛成よ」と答えたそうです。今でもマドンンはエイズのことにかかわり続けていて、アフリカのマラウイのエイズ問題を取り上げたドキュメンタリーを自身で製作したり、カンヌ映画祭でのHIVチャリティパーティに出席したりしています。

1984年、マドンナは「PARTY OF LIFE」と題されたキース・へリングのバースデイパーティ@パラダイスガレージに、キースのイラストをあしらった特製の衣装を着て登場し、ライブを披露しました
1984年、マドンナは「PARTY OF LIFE」と題されたキース・へリングのバースデイパーティ@パラダイスガレージに、キースのイラストをあしらった特製の衣装を着て登場し、ライブを披露しました

 2015年の世界エイズデーには、ロンドン公演のMCで「何年も前に私の親愛なる最高に素晴らしい友人をエイズで亡くしたということだけでなく、私の養子の息子の家族全員がエイズで命を落としたということを認識しないといけないわ」「今も治療法を探して闘っている人々に感謝して、この病気への関心を高めて他界した人たちを称えましょう。いつの日か私たちは(エイズに)打ち勝つことが出来るでしょう。そのお礼を言うために、祈りを歌うわ」と語って『ライク・ア・プレイヤー』を歌い、オーディエンスを感動させました。
 欧米では同性婚も認められつつありますが、世界を見渡せば、ゲイだというだけで投獄されたり、死刑にされる国もあります。マドンナは2010年には、マラウイで結婚式を行って逮捕されたゲイカップルを救う運動を起こしています。また、ロシアのサンクトペテルブルクでは反同性愛法にNOを表明し、ロシアのゲイたちを勇気づけました。
 2015年には、ムスリムとユダヤのゲイカップルがキスしようとしている画像をインスタグラムに投稿し、「この写真は100点だわ」とコメントしています。同年、ようやくアメリカ全土で結婚の平等が達成された際には、「ようやく『愛の革命』が始まった!」と祝福しています。
 2013年のGLAADメディア賞でのスピーチが、マドンナらしさを物語っています。長年米ボーイスカウト連盟が同性愛者の入会を禁止する規定を堅持していることへの抗議としてボーイスカウトのユニフォームで登場し、「アタシは、みんながボーイスカウトに入るのをあきらめるべきじゃないと思うの。彼らがマヌケな規則を変えるべきなのよ。そう思わない?」と言って喝采を浴びました。
 マドンナは一貫して、ゲイを差別・抑圧する理不尽な権力に敢然と抗議し、宗教間の対立さえも愛で乗り越えようと訴えてきた、いわば「愛の戦士」でした…。
 


 ここに書いたことが全部ではなく、例えば、カリフォルニア州で同性婚が禁じられたときにも、10代のゲイの自殺が相次いだときにも、オーランドのゲイクラブで銃撃が起きたときにも、トランプが大統領になったときにも、マドンナはその都度、ゲイたちを励ますメッセージを送ってくれていました。いつでも、ずっと、本当の友人のようでした。
 マドンナがいなかったら、今の僕はなかったかもしれない、どれだけ励まされてきたかわからない、という方が世界中にいると思います。
 そんなマドンナに、心からの「60歳の誕生日おめでとう」を伝えたい気持ちです。

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