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レビュー:大島岳『HIVとともに生きる 傷つきとレジリエンスのライフヒストリー研究』

当事者でもある研究者の大島さんが22人の陽性者へのインタビューを通じて「HIVとともに生きること」がどういうことなのか、HIV陽性者はどのように傷を受け、どのように回復を試みてきたのかということを探求した、重要な意義を持つライフヒストリー研究書です。大島さんの仲間(コミュニティ)を思う気持ちに胸を打たれます。

レビュー:大島岳『HIVとともに生きる 傷つきとレジリエンスのライフヒストリー研究』

 私は1991年のフレディ・マーキュリーの逝去にショックを受け、1996年にダムタイプ『S/N』を体験してゲイとしての人生を180度変えた人であり、『バディ』編集部に入ってからも長谷川博史さん、春日亮二さん、DJパトリックさんといったHIV陽性であることを公にしている方たちと知り合ったり連載をお願いしたり、ぷれいす東京の生島さんのご協力でHIV陽性の方たちのインタビューを掲載したり、ぷれいす東京の「お楽しみ演芸会」や「VOICE」、AIDSケアプロジェクトの「GRATIA」、MASH大阪の「PluS+」、ANGEL LIFE NAGOYAの「NLGR」、「LIVING TOGETHER」のイベントなどに出演し、初期のaktaの活動もお手伝いし、GUTSというサークルもお手伝いし、沖縄でイベントを開催したり、仙台のやろっこと協働してゲイナイトを開催したり、セーファーセックスやHIV検査についての映画を作ったり展覧会を開いたり、取材もたくさんしてきたり…振り返ってみると、ずっとHIV/エイズのことがありました。それは私に限ったことではなく、ゲイコミュニティ全体がそうで、ゲイが社会で受け入れられるようになる(生きづらさが解消される)こととHIV/エイズのことは常にコミュニティの大きなテーマだったと思います。(同時に、これだけHIVのことに関わってきた私も、当事者としての思いやリアリティを自分事にはできない「越えられない壁」のようなものを感じていました)
 私は身近にHIV陽性の友人・知人が何十人もいますが、たとえHIV陽性の友人・知人が一人もいないという方も「LIVING TOGETHER」のイベントに参加し、陽性者が書いた手記を読んだり聞いたりして、そのリアリティにふれることができるようになったのは素晴らしいことです。LIVING TOGETHERのおかげで「HIVを持っている人もそうでない人も(わからない人も)共に生きている」という実感を持ち、陽性者に寄り添いながらHIVのことを身近に感じられる方が多くなったと思います。手記集を読んだり朗読を聞いたりすることでHIV陽性者がどのような経験をし、どう感じてきたか、その一端を知ることができるようになり、なかなかカミングアウトできない陽性者の経験や思いが広く伝わっていくきっかけとなりました。
 その延長線上に(と言ってしまってよいのかわかりませんが)この『HIVとともに生きる 傷つきとレジリエンスのライフヒストリー研究』という本があると思います。
 この本はもともと大島岳さんが一橋大学大学院社会学研究所に提出した博士論文で、「HIV陽性者がどのような苦悩を経験してきたかということだけでなく、傷を誰と共有し受け入れてきたか、どのように希望を育んできたか、どのように生存を模索してきたか、こうした陽性者の不器用なあるいは/同時に巧みな「戦術」の過程を「レジリエンス」と定義し、22人のライフヒストリーと3人の手記を含めた史料によって「HIVとともに生きるとはどういうことか」をテーマとしています。「医療による身体の「植民地化」や「語りの譲渡し」、陽性者の不可視化に抗し、混沌とした語りの力に光を当て、ゲイコミュニティのレジリエンス、強さ、エンパワーメント」を追究する本でもあります。HIV陽性者へのインタビューの、そのリアルな語りを読むだけでも本当にいろんなことに気づかされるのですが、大島さんが丹念にその語りを分析し、陽性者の苦悩や困難を伝えるだけでなく、彼らがどのように希望を見出し、新たな生を創造してきたか、その回復力(レジリエンス)に着目したという点が素晴らしいと感じます。それが個人の資質、強さに依存するのではなく、自身の弱みも見せながら語り合うようなピアサポートの場での人間関係の中にこそレジリエンスが宿るという「発見」も素晴らしかったです。
 社会学の学術研究書でもあり、とっつきやすくて誰もが読みやすい本かと言われると正直、難しいですと言わざるをえないのですが、以下に、できるかぎりわかりやすく、この本の内容をご紹介いたします。
(文:後藤純一)

 

 まず、著者自身がライフヒストリーを語った部分で、高熱がずっと続き、病院でもインフルだと2回も言われ、たまらずHIVかもしれないので検査してくださいと言ったという、とてもしんどい経験や、セックスに関する実存(自己を毀損することを志向する側面など)も赤裸々に語られていて、胸を打たれました。これまでクラブとかジムとかでふつうにお話してきた方だけに、切なくもあり、また、知らない(周りに言っていない)だけで同じような経験をしてきた方が本当にたくさんいるのだということも想像させられました。
 
 そのような当事者であり、また一橋大学の大学院で社会学を研究していた方である大島さんは、(まだ日本にはそのような研究がなかったため、使命感を持って)博士論文として、HIV陽性の性的マイノリティへのライフヒストリー・インタビューによる社会学的研究に取り組みました。

 たくさんの陽性者のライフヒストリーが掲載されています。特に印象的だった方のお話を少しご紹介します。

 Rさんという方は、日本エイズ学会に参加して、当たり前のように病気のことが話されていることに気分が悪くなり、そこで初めて、自身がHIVのことを受容していなかったんだと気づいた、と語っています。子どもの頃、兄弟から「ホモになったらHIVにかかって死ぬ」と言われた経験、また、ゲイゆえに学校でいじめられた経験も持つRさん。「HIVのことを見つめるって、その下にある問題を見なきゃいけない。そこに目を向けるのが怖くて、病気のことも見て見ぬふりをする」「セックスを見るって、自分の内面を見なきゃいけないでしょう。たぶんそこがいちばん怖かった」
 Rさんは薬物依存も経験し、しかし、ダルクという回復支援団体に出会い、ピアミーティング(仲間どうしの交流会)で話すうちに自分を見つめることができるようになっていきます。「仲間たちと出会えたことは、本当に自分の中で大きな財産。こういうつながりを心から欲していた」
 HIV陽性で薬物依存症という複数の生きづらさを抱えるRさんは恋愛に対して「先に諦めておく」というスタンスでした。「問題はHIVじゃないんですよね、自尊心の問題」とも語られています。でもRさんは、自助グループ(NA)で知り合った人を好きになりました。二丁目ではHIV陽性であることや依存症のことは隠していたけど、その場では何も隠すものがありません。素の、ありのままの自分でいられることで、恋愛へと踏み出せたのです。Rさんは恋愛を「新しい生き方」を始める力に変えていきました。
 こういう言葉も印象的でした。「レインボープライドで『こうやって誰かがセクシュアリティのこともHIVのことも言葉にしてくれたかあ、今の自分の権利が普通に享受できていて、それはとてもありがたいことだったんだ』と感じた。だからこそ、次に自分が誰かに伝えていくべきなんかじゃないか、みたいな使命感につながっている」

 まだ有効な薬がない1980年代末にHIV陽性であることが判明したAさんのお話にも感銘を受けました。
 いつかはわからないものの何年かのうちにエイズを発症し、その時に有効な治療を受けられるかどうかわからない、亡くなる可能性も高いという状況にあってAさんは、絶望したり自暴自棄になったりすることなく、「これからどうするか」を考えました。支援グループに参加してみたものの、運営のあり方に疑問を感じ、自ら「SMILE」というピアサポート(仲間としての支え合い)の活動を立ち上げ、当時ほとんど存在しなかった陽性者のための情報――薬のことや生活上の留意点を共有するため、勉強会や交流会を開き、専門家とつながり、医療情報誌も発行するようになりました。Aさんは1995年、既存の抗HIV薬に耐性が出てしまい、新薬の登場に生存の可能性を賭けていたのですが、プロテアーゼ阻害剤のことを知ってサンフランシスコまで買い付けに行き、そこで支援団体とつながり、最新情報を国際郵便で送ってもらうことにして…と、目覚ましい活動を繰り広げます。頭が下がる思いです。
 
 (懐かしく思い出す方も多いことと思いますが)長谷川博史さんが『G-men』誌で展開した、ゲイのセクシャルなファンタジーや楽しさをベースにしながらHIV予防啓発に結びつけていくようなかたちのアクティヴィズムについても図版入りで詳細に語られています。90年代、国も公衆衛生(保健所など)も一般メディアも「エイズ撲滅」しか言わない、HIV陽性者に寄り添うどころか陽性者にスティグマ※を付与し、排除するようなスタンスだった時代にあって、長谷川さんがどれだけゲイコミュニティの人々にとって意味のあるメッセージを送り届けてきたかということが、あらためて実感できます。

※スティグマとは社会学や心理学の用語で、他者や社会集団によって個人に押しつけられた「望ましくない」「汚らわしい」といった類の不名誉な烙印、ネガティブなレッテルのことを指します。『スティグマの社会学』を著した社会学者のゴフマンは、スティグマは「汚れた卑小な人」という恥ずべき違いを持つという感覚として内面化されやすい、と述べています
 
 ほかにも、薬物依存のピアサポートの集まりで、“変態”というスティグマを逆手にとり、薬を使わずにいかにして“変態”になれるかをみんなで話すことで盛り上がり、楽しみながら絆を深めるという実践についてのお話なども素敵でした。
 
 このように、HIVとともに生きる人々は、陽性者としての生活に関する情報がなく、また、世間が決して支援的ではなかった(スティグマを刻印されてきた)なか、周囲に対して働きかけ、変えていくような「HIVの積極的な担い手」にならざるをえなかったのです。
 
 大島さんは「科学・学術を含めた多くの社会実践がHIV陽性者の生をめぐる「構造的忘却」に陥り、HIVとともに生きることにまつわる表現を困難にするような社会状況が半世紀近くも続いてきた、言い換えるとスティグマを放置してきたのだ」と指摘します。社会から押し付けられたスティグマは、当事者にとっては「傷」にほかならなりませんが、一方で当事者は、自己や他者の傷つきやすさにも敏感に気づくことができる「ケアの担い手」にもなることができる、とも述べられていたのが印象的でした。
 
「従来の性的マイノリティのHIV陽性者の研究は、カムアウトし、支配的言説と異なる新たなストーリーを自力で十全に実践する強く「勇敢な」主体を前提としてきた」そうですが、それに対して大島さんは「個人ではなく、自身の弱さを認め、共感し、依存することができる人々の関係性や場に、強靭さとしてのレジリエンスが宿ることを発見した」といいます。
「それぞれ異なる世界で生きる者が分断されず、傷つきや苦しみとともに生きる者どうしがつながり、互いに共感的ケアを行なう中で親密性と共同性を育むこと、支えられていた人が支える力を持っていることを感じられる空間を創出し、社会を構築すること、これが本書に共通する「HIVとともに生きること」を通じたレジリエンスだった」
 HIVのことに限らず、さまざまな傷つきやすい(vulnerableな)人々がどのように回復していけるのかという道筋を指し示すような真実でもあると感じました。
 
 この部分に限らず、随所にハッとさせられる記述があり、感動すら覚えました。大島さんの仲間を思う気持ちや、その人間性が紙面ににじみ出ているのを感じます。
 大島さん自身が当事者として傷つきやレジリエンスを経験し、そのうえで(カミングアウトせずに生きる選択肢もあったにもかかわらず)使命感を持って社会を変えていこうとする「HIVの積極的な担い手」となることを決意したということ自体にも胸を打たれます。
  
 LGBTQのことはずいぶん社会に受け入れられ、同性のパートナーシップも婚姻相当だと承認する自治体が7割を超え、職場でのSOGIハラやアウティングを防ぐ施策が義務化され、理解増進法ができ、という進展があったにもかかわらず、HIV陽性者が同じように世間に理解され、受け入れられ、生きやすくなったかというと、決してそうではなく、HIV陽性者が病院から内定を取り消されたり、歯医者の診療を断られたりという現実もあるように、いまだに当事者は世間の差別や偏見、無知や恐怖にさらされ、スティグマを負っています。
 この本が多くの人に読まれ(少なくとも医療関係者には読まれてほしいです)、「HIVとともに生きること」がどういうことなのか、HIV陽性者はどのように傷を受け、どのように回復を試みてきたのかということが理解されるようになってほしいと願うものです。


HIVとともに生きる   傷つきとレジリエンスのライフヒストリー研究
大島岳:著/青弓社:刊

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