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空を虹色に塗ろう――トランスジェンダーの監督が世界に贈ったメッセージとは? 映画『マトリックス レザレクションズ』

20年前に世界で空前の社会現象を巻き起こした伝説のアクション超大作『マトリックス』シリーズの新章『マトリックス レザレクションズ』が公開されました。トランスジェンダーのラナ・ウォシャウスキー監督がこの作品に込めたメッセージとは?

空を虹色に塗ろう――トランスジェンダーの監督が世界に贈ったメッセージとは? 映画『マトリックス レザレクションズ』

 1999年に公開された『マトリックス』は、キアヌ・リーブス演じるネオが後ろにのけぞりながら銃弾をよけるシーン(バレットタイムと呼ばれる技法)や、カンフーとVFXを融合させることで実現した華やかでスピード感あふれる格闘シーン、緑色の文字が画面の上から下へ流れる「マトリックス・コード」など、数々の映像革命によって世界を熱狂させた作品でした。実は私たちが現実だと思っているこの世界は社会システム(権力)が現実だと思わせている「仮想世界」なのかもしれないと思わせるような圧倒的なリアリティによって「認知革命」をもたらした哲学的な作品でもあります。
 『マトリックス』は1999年の1作目、2003年の『マトリックス リローデッド』、同年の『マトリックス レボリューションズ』によって完結を見ましたが、2019年に新作『マトリックス4』の製作が発表され、世界を驚かせました。そして2021年12月21日、全世界が注目するなか、約3分に及ぶ新作『マトリックス レザレクションズ』が公開されました。
 なるべくストーリー展開には触れないようにしつつ(書いたとしてもあまり意味がわからないかもしれませんが…)、LGBTQ的な切り口に絞って、どんな意義を持つ作品だったかということをお伝えしてみたいと思います。
(なお、様々な解釈が可能で、難解とも言える作品である『マトリックス レザレクションズ』の分析としては、こちらのレビューが完璧だと思いますので、映画をご覧になったあと、読んでみてください)
 
<あらすじ>
3部作のゲーム『マトリックス』を創ったクリエイター、トーマス・アンダーソン(ネオ)は、夢と現実の境界が曖昧になる症状や度々生じる既視感に悩まされており、サンフランシスコで精神科のセラピスト(アナリスト)から精神を安定させるための青いピルを大量に処方してもらっていた。社内では新作『マトリックス4』の企画が持ち上がり、その制作に追われる。そんななか、彼は同僚と訪れたカフェで、入店して来た子連れの女性・ティファニー(トリニティ)と会う。二人は”初対面”のはずなのに、お互いにどこかで会ったことがあると感じる。その後、アンダーソンの職場でゲームのクレーマーからの犯罪予告が届き、全員オフィスビルから脱出するよう促されたが、彼のスマホには、オフィスビルの一角にあるトイレに向かうようメッセージが送られる。指示通り向かうと、そこには自身が創ったゲームのキャラクターであるはずのモーフィアスが立っており、赤いピルを見せて現実世界へ帰還するよう迫るのだった……







 20年前にリアルタイムで観て大興奮した『マトリックス』ですが、黒猫出現の意味とか、細かいところを忘れてしまっていたので、復習しておけばよかったと思いました(初めて観る方は、基本設定がわからないとついていけないと思うので、第1作だけでも観ておいたほうがよいと思います)。それでも、現実から目を背けてバーチャルな世界で生きる(シープルとして生きる)のではなく、真実に目覚め、マトリックス世界の革命に身を投じ、果敢に戦う人々の物語に共感し、ラストシーンに心から感動し、拍手したい気持ちになりました。監督がトランスジェンダーだったと知った今は、やはり以前とはまた違った感慨を覚えます。
 前作からの見事な続編になっていたと同時に、『AND JUST LIKE THAT...』と同様に人種的マイノリティやLGBTQへの配慮がなされた(というより、そもそもの作品のメッセージがクィア的でありフェミニズム的な)作品になっていて、ちょうどシン・エヴァンゲリオン劇場版がシリーズ完結作としてみんなが「よかった」と思える作品になっていたように、救いのある、カタルシスを得られるような終わり方になっていたと感じました。一言で言うと、素晴らしかったです。
 
 2020年8月、『マトリックス』シリーズの共同監督であるリリー・ウォシャウスキーは、Netflixのインタビューで、多くの人たちが『マトリックス』がトランスジェンダーのストーリーではないかと語っていることに触れ、「元々の意図が明らかになってよかった」「当時、世界や企業社会はまだ用意ができていなかった」と語りました。『マトリックス』シリーズがもともとトランスジェンダーのアレゴリー(寓意)であったことが明らかにされたのです。
「『マトリックス』シリーズが、トランスの人たちにとって重要な意味を持ち、そしてトランスの人たちが『この映画シリーズは私を救ってくれた』と私に言ってくれるのをとてもうれしく思います」
「変化、特にSFの世界での変化は、想像力であり、世界を作り、一見不可能なことを可能にします。だからこそ、この映画シリーズは、トランスジェンダーの人たちにとって大きな意味があるんだと思います」
「『マトリックス』は、変わりたいという願いを描いた映画です。しかしそれは、秘められた視点から語られています。だから私たちはスウィッチという、現実世界では男性でマトリックスでは女性のキャラクターを作ったのです」
(この「現実世界では男性でマトリックスでは女性」というトランスジェンダー的な設定は、ワーナーによって却下されてしまいました。スウィッチは1作目に女性として登場しています)
 もう少しこのアレゴリー(寓意)ということを説明すると、今ここを生きている私が規定事実だ(変えることができない)と思っていることは、実は誰かにそう思いこまされているフィクションであり、そのことに気づき、脱け出すことを選択する(現状を変える)ということもできるのだという『マトリックス』シリーズの主要テーマは、出生時に割り当てられた性別というものが、一生変えることができない足枷ではなく、性別移行(トランジション)の可能性に気づき、一歩を踏み出せば、本来自分が生きたいと望むジェンダーを取り戻すことができるのだというトランスジェンダーの経験を想起させるということです。
 99年当時は直接的にトランスジェンダーのキャラクターを登場させることはかないませんでしたが(今回も特にそのような人物は見当たりませんでしたが)、物語の中心に、このようなトランスジェンダーの生を思わせるテーマがあったのです。
 
 このように、もともと『マトリックス』はトランスジェンダーの監督の思いが反映されたアレゴリカルな作品だったわけですが、今回のレザレクションズではどのような寓意が込められていたのか、観客にどのようなメッセージを伝えていたのか、といったところは、実に様々な解釈がなされています(もともといろんな見方ができる作品ですし、観たあと語りたくなりますし、こんな切り口もあるよ、こんなふうにも読めるよ、と書かれたいろんなレビューを読むのも謎を解くような感覚で楽しいです)
 
 まず、多くの方が、この映画に込められたメッセージを考えるうえで重要だとしている出来事をご紹介します。(リアルサウンド「『マトリックス』シリーズとは何だったのか 『レザレクションズ』に込められたメッセージ」より)
 2020年5月、米大統領選の前に、著名な実業家のイーロン・マスクがTwitterで「レッドピルを飲もう」とツイートし、当時のトランプ大統領の娘であるイヴァンカがそれに賛意を示しました。レッドピル(赤い錠剤)とブルーピル(青い錠剤)はマトリックス(仮想世界)からの覚醒に際しての選択の象徴で、レッドピルを飲めば「困難な真実を知って生きる」ことを、ブルーピルを飲めば「都合のいい嘘を選ぶ」ことになります。この2人のやりとりに対し、リリー・ウォシャウスキーは、「お前らどっちもくたばれ(Fuck both of you)」と言い放ったのです。
 ご存じの方も多いと思いますが、共和党のイメージカラーは赤、民主党のイメージカラーは青なので、この時期に「レッドピルを飲もう」と投稿したのは明らかに共和党の代表(トランプ)を選択しようという意味です。もともとのレッドピルの、真実を選択し、覚醒を促す意味がねじ曲げられて利用され、レッドピルは(トランスジェンダーへの攻撃を繰り返していた)極右勢力にネットミームとして利用(悪用)されるようになりました。 
 また、『マトリックス』で使われていた「白うさぎを追え」という『不思議な国のアリス』からの引用もまた、大統領選不正デマによって連邦議会に暴徒が乱入する事件を起こした荒唐無稽な陰謀論を展開するQアノンの合言葉になったこともありました。
 陰謀論やマイノリティへの差別を強化しようとする意図で『マトリックス』シリーズのアイテムや言葉が使われたことは、トランスジェンダー女性であるウォシャウスキー姉妹にとって、耐え難い、これ以上ないほどの侮辱でした。なぜなら彼女たちは、マイノリティを抑圧する社会に革命をもたらすためにこそ『マトリックス』を生み出したからです。

 この事件以前に、トランプ政権下のアメリカでは、トランスジェンダーへの抑圧・差別・排除・攻撃・ヘイトがものすごい勢いで増長していました。ずっと続編やスピンオフの製作のオファーを断ってきたウォシャウスキーがここに来て新作を製作することを決意した背景には、そういう事情があるはずです。
 
 こうして誕生したレザレクションズは、白人異性愛男性であるネオが救世主になるという以前のシリーズの物語ではなく、女性であるトリニティの覚醒が物語のキーとなります(フェミニズム的)。そして「空が虹色に塗られる」のです(クィア的)。モーフィアスに加え、新時代のヒーローとしてフィーチャーされたのはバッグスというアジア系女性でした(人種的多様性)。もう少し細かくお伝えします。
 
 あちこちで言及されているのでこれは書いてしまいますが、今回の映画を代表するような重要なシーンにおいて「空を虹に塗ればいい」「それはいいね」というセリフが出てきます。トランスジェンダーだとカムアウトしたウォシャウスキー監督が、ついに世界のLGBTQに向けてレインボーフラッグを掲げ、エールを贈ったのです。ダークでフィルムノワールテイストでデストピア的でもある『マトリックス』ユニバースにおいて、こんなに晴れやかなシーンはなかったと思います。
 
 トーマス・アンダーソン(ネオ)が会社で働いているときのPCのデスクトップに、これ見よがしに、開発中のゲームの名前として「バイナリー」という文字がデカデカと表示されていました(そもそもマトリックスという仮想世界は1と0のデジタルの組み合わせによって作られたバイナリーの世界でした)。ネオがボスに「『バイナリー』は予算オーバーです」と言うセリフがあります。そして、宿敵スミスが(うろ覚えなのですが、真実か虚偽か、勝ちか負けか、とかそんな感じで)バイナリーに言及しながらネオをボコボコに殴るシーンがありました。
 バイナリーはLGBTQ的には性別二元論という意味であり、男性/女性の性別二元論に当てはまらない人をノンバイナリーと言います。つまり、ネオを抑圧し、飼い慣らそうとするシステムや、彼を抹殺しようとする人物はバイナリーを体現した存在で、アノマリー(システムにおける異常現象)であるネオはノンバイナリーを擁護する存在だというふうに見ることができると思います(後述するように、もともと『マトリックス』はトランスジェンダーのアレゴリー(寓話)なので、直接的にノンバイナリーな人物が出て来るわけではないにせよ、ネオの存在や行動そのものがトランスの体験の比喩になっているのです)
 
 前作ではネオを助ける補助的な役割になっていたトリニティが、今回はネオを(世界を)救う鍵を握り、ネオよりも活躍していた、物語の中心にいた、というところも賞賛を集めています。トリニティが(虚偽の)家族のしがらみから逃れて自分を取り戻し、覚醒するところも象徴的でしたし、女性蔑視発言を繰り返す人物をメッタ打ちにするシーンも胸がすく思いでした。フロントロウが「2021年に最もかっこよかったキャラクター」にトリニティを選んでいるように、女性たちの熱い支持を得たと思います。

 女性といえば、老いた女性の指導者・ナイオビを、やはり老いた女性が後ろから抱きしめる場面があり、親密な関係や性愛やスキンシップがほとんど描かれない映画の中にあって、ものすごく印象的でした。シスターフッドの象徴だとは思うのですが、仮に二人がパートナー関係にあるとしても何の違和感もないな…と思いました。
 
 TOKYO ART BEAT「『マトリックス レザレクションズ』が描く虹色のスペクトラム(レビュー:近藤銀河)」では、より詳細なクィア・リーディングが行なわれています。例えば宿敵スミスが執拗にネオのことをミスター・アンダーソン(抑圧されたマトリックス内でのネオの名前)で呼ぶのは、トランスジェンダーを差別する人たちのミスジェンダリングの寓意である、との指摘は鋭いと思います。ぜひ読んでみてください。
 
 観る人の数だけ解釈があるような映画ですので、例えばトランスジェンダーやノンバイナリーの方が観ると、僕らよりももっと発見があり、監督からのメッセージを受けとれるのかもしれません。
 




 『マトリックス』新章の予告編が公開され、新たに何人ものLGBTQの俳優が加わることが明らかにとのニュースでもお伝えしていたように、ジョナサン・グロフ、ニール・パトリック・ハリスといったLGBTQの俳優が出演していました。
 ジョナサン・グロフは、『マトリックス』三部作がトーマス・アンダーソン(ネオ)が作ったゲーム(フィクション)ということになっている新たな世界線(マトリックス)において、ゲーム開発企業のボスとして登場します。やり手でスマートでハンサムな社長、しかし、その正体は…。この役どころはジョナサン・グロフにとてもよく合っていると思います。
 ニール・パトリック・ハリスは初め、『マトリックス』の物語が本当にあったことなのではないかと悩むアンダーソン(ネオ)の相談に乗る精神科のセラピスト(アナリスト)として登場します。しかし…。意外というか、おそらくニールがこういう役を演じるのは初めてじゃないかと思うのですが、バリバリのマッチョな差別主義者に変貌します。2006年に(当時あまりカミングアウトした俳優がいなかったなかで)ゲイであることをカミングアウトし、2010年には双子のパパとなり、2014年に結婚したバリバリのオープンリー・ゲイであり、『ヘドウィグ・アンド・アングリー・インチ』に主演したり(つまり女装してトランスジェンダーの役を演じ)、女性的な部分も持つ柔和で温厚なイメージのニールなので、よくこの役をやったなぁと思いました(今回の映画の驚きの展開の中心人物なので、ネオも観客も騙せるような優しい顔である必要があったのでしょう)
 それから、『センス8』に出演していてゲイであることをカミングアウトした俳優のブライアン・J・スミスが、ネオとトリニティを救出するチームの一員(バッグス、モーフィアスの次くらいの重要人物)として出演していました。伝説の人物・ネオのファンとして救出に快く協力する純粋な若者、といった役柄です。
 また、彼と同様、バッグス率いるチームの一員として活躍するオシャレなレクシーを演じたエレンディラ・イバラも『センス8』からのキャストで、オープンリー・バイセクシュアルです。
 もう一人、『センス8』俳優で、バッグス率いるチームの一員として活躍し、カッコいいと注目を集めているのが、マックス・リーメルトです。彼はストレートですが、実はドイツ版『ブロークバック・マウンテン』と言われる『フリー・フォール』でゲイの役を演じている(もちろん『センス8』でも乱交みたいな濃厚なセックスのシーンを演じている)人です。こちらの記事にもあるように、LGBTQの権利擁護にも熱心なアライです。
 『エターナルズ』のように直接的にゲイの人物が登場しているわけではないながらも、多くのLGBTQやアライの俳優を起用しているということは見逃せないポイントだと思います。LGBTQを描いた映画なのに主演俳優も他の俳優もみんなストレート(当事者じゃない人)という作品も多いなかで、主要な登場人物の半数近くがLGBTQというのは素晴らしいこと。拍手!です。


 『エターナルズ』もそうでしたが、こんなにメジャーで世界中の人たちが注目するような作品にLGBTQを応援するようなメッセージがたくさん込められていたこと、そしてラナ・ウォシャウスキーというトランス女性が監督しているということ、多くのLGBTQ俳優が活躍していること、こうしたことを知らなくても全然エンタメとして楽しめるのですが、知っているとよりいっそう、感動や興奮が増すかもしれません。
 かつて「映像革命」をもたらした『マトリックス』ですから、当然のように映像がスゴいです(スゴいとしか言えない語彙力…)。ぜひIMAXなど映画館の大きなスクリーンでご覧ください。いま映画館で観る意味が最もある映画じゃないでしょうか。
 

 
マトリックス レザレクションズ
原題:The Matrix Resurrections
2021年/アメリカ/監督:ラナ・ウォシャウスキー/出演:キアヌ・リーヴス、キャリー=アン・モス、ジェイダ・ピンケット=スミス、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世、プリヤンカー・チョープラー・ジョナス、ニール・パトリック・ハリス、ジェシカ・ヘンウィック、ジョナサン・グロフ、クリスティーナ・リッチほか

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