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レポート:青森レインボーパレード2022

6月5日、青森レインボーパレード2022が開催されました。最高に天気がよく、晴れやかに、笑顔で、仲間たちとともにしっかり前を向いて歩いて行ける勇気をもらえるようなプライドパレードでした。

レポート:青森レインボーパレード2022

2022年6月5日(日)、「虹を向いて歩こう 〜たとえ足元が泥沼だとしても〜」というテーマの下、青森レインボーパレード2022が開催されました。最高に天気がよく、メディア関係者も含めて約200名の方たちが参加し、晴れやかに、笑顔で、(たとえ足元が泥沼だとしても)仲間たちとともにしっかり前を向いて歩いて行こうと思えるような、勇気をもらえるような、確かな「プライド」を感じさせるパレードでした。レポートをお届けします。(文:後藤純一)



青森レインボーパレードについて

 青森レインボーパレード(ARP)は、東京でレズビアンのアクティヴィストとして活動しつつ、にじいろ扁平足という青森のセクシュアルマイノリティ団体の活動にも参加していた宇佐美翔子さんが、ご実家の関係で青森に帰ることになり、2014年4月、パートナーの岡田実穂(おかっち)さんといっしょに青森駅前で「Osora ni Niji wo Kake Mashita(通称そらにじ)」というコミュニティカフェをオープンしたところから始まります。
 翔子さんたちは性的指向や性自認、性別、人種などにかかわらず誰もが安心して過ごせるお店をオープンするとともに、青森レインボーパレードと銘打って、青森駅前をたった3人で歩きました。同年6月には、翔子さんとおかっちさんが青森市役所に婚姻届を提出し、青森の地域社会に大きな一石を投じました(地元の新聞に大きく掲載されました)
 そして、翔子さんは2017年のTRPで「故郷を帰れる街にしたい」というプラカードを掲げ、大きな反響を呼びました。(私自身、青森出身なので実感を込めてお伝えするのですが)男尊女卑的な古い体質で、結婚圧力が強く、カミングアウトもできず、ほとんどの当事者が不本意ながら異性との結婚を余儀なくされているという現実があり、シェルターではないが唯一ホッとできる、自分らしくいられる場所であるはずのゲイバーすら地元になかったりする(私の故郷の弘前には1軒もありません)…そんな故郷の街を出て、都会を目指す人はとても多いわけですが、本当は生まれ故郷の街を愛している、でも、とてもじゃないけどLGBTが生きていける街じゃないから、帰りたくても帰れないと感じている、なんとか故郷の街が「帰れる街」になってほしい…そういうメッセージだと受け止めました。彼女たちはきっと、自分たちだけでなく、「故郷を帰れる街にしたい」と感じている仲間たちのために、どんな逆風があるかもわからない青森で活動をしてきて、カフェ内で講演会やイベントなども行いつつ、毎年パレードを継続し、参加者も24人、45人、100人と、倍々で増えていきました。
 
 私は2018年に初めてARPに参加したのですが、JR青森駅の目の前にある駅前公園にたくさんの人たち(173人もの方たち)が集まっているのを見て、マイクを握ったおかっちさんが「こんなにたくさんの人たちが…」と第一声から胸を詰まらせ、お礼を述べていたところでさっそく目頭が熱くなり…そして、翔子さんたが「この青森の街にも、セクシュアルマイノリティの人たちがいます」「この街で生きることを苦しいと思っている人もいます。だけど、この街でパレードを歩く仲間たちがいます。きっとだれかに、ひとりじゃないって伝わるよね」「このパレードを歩いてくれているみんなが、日々、闘っているということを知っています。その闘っている姿を、今日、空の下、笑顔に変えて共に歩きます」といったメッセージを読み上げ、その後、がんの治療をしていることを明かし、「病院で同性のパートナーがいるということをなかなか理解してもらえませんでした。同性のパートナーにも手術や治療の方針を聞く権利を。同性のパートナーにも緊急連絡先として連絡がいくような仕組みを」と語ったところで、涙腺が崩壊しました。
 地元のゲイの学生さんなども参加していて、彼の案内で「Late Show」「KOMPANO」という若い方が集まるゲイバーにおじゃましたのですが、ゲイとして青森で暮らしている方たちがいて、ちゃんとコミュニティができていたことに感銘を受け、さらに胸が熱くなりました。その感慨は、筆舌に尽くしがたいものがありました。
 「早くこんな町から出たい、都会に出て幸せになりたい!」と心で叫んでいた昔の自分に、こう伝えたいと思いました。「大丈夫。いつか青森が「帰れる街」になるよ」 
 
 2019年のARPは6月30日(日)に開催され、過去最多の208人が青森市の中心街約2kmを行進しました。県内9市町の首長さんから祝辞も贈られました。
 
 2020年のARPは、コロナ禍のため、オンライン開催されました。車がパレードコースを「中継」しながら「フロート」が出たり沿道で応援してくれたり、はたまたねぶたの踊り方や県内の観光ガイドがあったりと、たいへん盛りだくさんで楽しいオンラインイベントでした
 
 2021年12月11日に開催されたARPは、9月末に宇佐美翔子さんが亡くなったこともあり、彼女を偲ぶ方たちが県外からも駆けつけ、また、出発直前に虹が出るという奇跡が起こり、涙、涙のパレードとなりました。
(なお、青森県は同年11月に「県パートナーシップ宣誓制度」導入の意向を表明し、2月に導入されました。翔子さんは制度の実現を見ることが叶いませんでした)
 
 そして今年、翔子さんの誕生日である6月5日にパレードが開催されました。
 
 

青森レインボーパレード2022 レポート

 昨年12月のARPは、ピンクドット沖縄と同じ日だったこともあって行けなかったのですが、今年こそはと、4年ぶりに青森に行くことを決めました。前の日の夜、ひさしぶりにゲイバーに行こうかと思っていたのですが、コロナ禍の影響で、青森市内に数軒あったゲイバーはすべてなくなってしまったそうで(私も学生時代に一度だけ行ったことがある老舗の「サージャン」もなくなりました)、本当に残念…。コロナ憎し、です。

 翌日、ホテルをチェックアウトした後、まだ一度も行ったことがなかった棟方志功記念館に足を運び、県民の誇りである棟方志功の作品や記録映像を堪能し、お昼に駅前に戻り、友人たちと「のっけ丼」を食べて、12時半頃には駅前広場に到着しました。全国から集まったゲイやレズビアン、本当にいろんな人たち(そのなかには「そらにじひめじ」などの運営者でありHIMEJI LIBERATION MARCHの主催者であるだいすけさんの姿もありました。翔子さんたちの思いが各地に伝播しているのです)…そんなみなさんが青森で会えたことを喜び合っていたのですが、そうこうしているうちにドラァグクイーンのレイチェル・ダムールさんが登場し、会場が一気に華やぎました。

 13時半、おかっちさんのマイクでオープニングイベントが始まりました。最初に「今日はこの人たちが写真や動画を撮るのでおぼえてね」ということで、メディア関係の人たちが前に出て自己紹介しました(テレビ局の方も、新聞社の方も多数、来られていました。全部で20名くらい)。それから、今回のボランティアスタッフの方たちの紹介(おつかれさまです。拍手)。そして自治体の首長から寄せられた祝辞として、代表で県知事の祝辞が紹介されました(こちらにも掲載されています。ほかにも外ヶ浜町、南部町、五所川原市、八戸市、むつ市、三沢市、弘前市、十和田市、おいらせ町、東北町、鰺ヶ沢町、黒石市、大間町の町長さん、市長さんからも祝辞が寄せられました。『ゴッズ・オウン・カントリー』のレビューで「外ヶ浜町でイカを釣っているジョニーにも届いてほしい」と書きましたが、まさか外ヶ浜町の町長さんからメッセージが届く日が来るなんて…胸熱です)。その後、おかっちさんはAUGA(市の駅前庁舎)を見上げながら、「なぜ青森市長はいつまで経ってもメッセージをくれないのでしょうか」と問いかけました。そして、「昨年9月に翔子が亡くなり、しばらく何も考えられませんでした。今回初めてみんなで作る、翔子がいないパレードになりました。3人で始めたパレードですが、今日来たら17人もスタッフがいて…」と感慨深げに語り、「パレードをやるのは毎回大変だなぁと思うけど、青森のみんなのためにやり続けたいと思います」と語りました。それから、共同代表の松本ハルさんがマイクを握り、「私はねぶたのお面が好きだからかぶっているわけではなくて、カミングアウトできない事情があるからです。私がオープンにすると家族は「自分も差別を受ける」と言うからです。差別に怯えることなく生きられる青森になってほしいです。ここに来れない人のためにも、私たちはパレードします」と語りました(拍手)。それから、フリースピーチで、しゃべりたい人がしゃべっていい時間になり、畑野とまとさんが「翔子さんが一緒にパレードやりたいねと言ってくれてたのに…。やっと今日、旗を持ってこれました」と嗚咽を漏らしたり…(きっと天国の翔子さんも、うんうんと頷きながら、喜んでくれたことでしょう)。みやぎにじいろパレードの主催団体の方や、いわてレインボーマーチの方、それから、地元のアロマンティック/アセクシュアルの方、ダイバーシティラウンジ富山の方、青森で当事者の居場所づくりに取り組む「そらにじ青森」の方たちなどもスピーチしました(コロナ禍の影響もあってお店がなくなり、LGBTQが集まる場所がほとんどなくなってしまったのは残念なことですが、こうして居場所づくりの活動を始める方たちが現れたのは、素晴らしいことだと思いました)
 それから、恒例のラジオ体操をやることになったのですが、なんと、津軽弁バージョンのラジオ体操の声を担当している麻生しおりさん(地元では有名な方のようです)が登場し、ご本人を前にしながらみんなでラジオ体操をやりました。素敵な思い出です。
 それから整列を始め、14時にパレードがスタートしました。






 
 今回も、始まりの音楽は「りんご追分」。PRIDE MIX的なバージョンでした(その後もグロリア・ゲイナーの「I will survive」とか、いろんなJ-Rockがかかったりしてました)。そうした音楽と並行で、おかっちさんがマイクで「故郷を帰れる街に」とか、思いを語っていきます。
 駅前広場を出発したパレードの一行は、レインボーフラッグやプラカードを掲げ、晴れやかに、胸を張って街を歩いていきます。商店街のなかには、パレードが通るのを知って応援のメッセージを書いて貼ってくれているお店もありました(胸熱…)。お店から出てきて手を振ってくれる方もいましたし、地元選出の国会議員さんもわざわざ外に出てパレードを応援してくれていました。
 県庁の前では、おかっちさんが「パートナーシップ宣誓制度は認められたけど、どんな行政サービスが利用できるのでしょうか。その制度の真ん中には当事者はいるでしょうか。青森県には16もの要望を出していますが、どうして聞き入れてくれないのでしょうか」と訴えていました。
 県庁の横を通って、駅前の大通り・新町商店街へと入り、青森のシンボル・観光物産館アスパムを右手に見ながら歩いていたところで、突然キックボードに乗った子どもの集団がわーっとやって来て、パレードについてきました(あとで聞いたのですが、子どもたちの一人がレイチェルさんに「どちら様ですか?」と聞き、レイチェルさんが「人間よ!」と返したり、「男なの?女なの?」と聞いてくる子がいたり、いろいろ面白いコミュニケーションがあったそうです)
 天気も最高によく、みなさん楽しく、気持ちよくパレードを歩き終えて、駅前公園に戻ってきました。そして最後に青森ベイブリッジをバックに恒例の記念写真を撮って、解散となりました。その後もしばらく会場に残って、旧交を温めたり、ふれあいの時間を楽しんでいた方も多かったです。
(パレードのフォトアルバムはこちら











 なお、盛岡でも秋田でもパレードを応援してくれていたLUSHですが、青森(といっても青森市ではなく五所川原市なのですが)にあるLUSH青森エルム店も、売上げをARP実行委員会に寄付するというチャリティイベントをやってくれていました。本当にありがとうございます(近ければ行ったのですが…いつかきっと…)
 それから、青森県男女共同参画センターは、TwitterでARPの宣伝をしつつ、LGBTQに関する本の紹介をしていました。
 さらに、八戸市では、八戸市図書情報センターがLGBTQ関連資料を展示していたほか、八戸ブックセンターではARPのみなさんが選んだ本のブックフェアを開催していました。
 こうして、地元の様々なお店や施設がパレードを応援し、虹色の輪に参加してくれるようになったのは、本当にうれしいことです。
 いつか青森ベイブリッジやアスパムがレインボーカラーになったりするといいなぁと思いました。

 
 昨年12月のパレードは、翔子さん追悼という意味合いが強く、雪も降っていて、とてもしみじみとした雰囲気だったと思うのですが、今年のパレードは翔子さんの誕生日ということもあり、プライド月間でもあり、天候にも恵まれ、晴れやかに、笑顔で、(たとえ足元が泥沼だとしても)仲間たちとともにしっかり前を向いて歩き、勇気をもらえるようなプライドパレードだったと思います。天国の翔子さんも喜んでくれたのではないでしょうか。
 
 青森2014年に青森という街で(たぶん94年に東京で初めてパレードした時もそんな感じだったのかなと思いますが)たった3人でパレードを始め、そらにじカフェでいろんな人たちを支援し、市役所に婚姻届を提出して同性婚実現運動のエポックを画し、「故郷を帰れる街にしたい」とのぼりを掲げ、青森でも同性パートナーシップ証明制度創設をと市や県に働きかけ、声を上げ続けてきた翔子さん&おかっちさんの姿に感銘を受けたり共感したりしてきた方たちが、全国から青森に集まりました。
 Twitterで、レインボーパレードというものに初めて参加したという方が、「なぜレインボーパレードをやるのかということが参加してみてよくわかりました」と投稿していました。青森のパレードは、そういうパレードだと思います。
 レイチェルさんが、他のところでは歩いてないけど青森でだけはパレードを歩いているというのも、わかる気がします。
 そこにPRIDEがあるから、本来の意味でのPRIDEを体現しているからじゃないでしょうか。
 
 もしまだ青森のパレードに参加したことがないという方も、来年以降ぜひ、お出かけください。会場から歩いてすぐのところにいい温泉もあるし、新鮮な魚介も味わえますし、とてもいい美術館もあります。青森の街や人の魅力も楽しみながら、ぜひ。
 
(私と同様、東北4県のパレード全てに足を運んでいたフリーランスカメラマンの秋山理央さんが、青森レインボーパレードの動画をYouTubeにアップしていたので、ご紹介します)




まんずあずましい所だはんで青森さ行ぐべし!
 
 東北観光案内シリーズ第3弾として、青森の魅力をお伝えします。

 青森市は、かつて青函連絡船が発着する起点としてたいそう栄えていましたが(私も小学校の修学旅行で乗りました)、青函トンネルができて連絡船がなくなってからは、駅前のさびれ具合がひどくて、商店街も典型的なシャッター街になってしまいました…が、市や県が頑張って、連絡船の八甲田丸を港に博物館として展示したり、アスパムというピラミッドのような形の観光物産館を作ったり(できた当時はなぜ三角なのだろう…と解せないものがありましたが、今は青森らしいかも、と思います。宇宙服みたいな遮光器土偶が出土する所なので、ピラミッドみたいな建物があってもいいですよね)、AUGA(アウガ)という市役所の出張所+市場ができたり、ねぶた館「ワ・ラッセ」ができたり、おしゃれなカフェやショップが集まる「A-FACTORY」ができたり。「津軽海峡冬景色」の歌碑なんかもあります。
 駅からバスでちょっと行くと、県民の誇り・棟方志功の作品が堪能できる棟方志功記念館ありますし、縄文遺跡群・三内丸山遺跡の隣に青森県立美術館が建てられ、シャガールの絵や奈良美智の『あおもり犬』で話題を呼びました。
 さらに、駅前には沖縄の公設市場のような青森魚菜センターという市場があって、ご飯の上に好きな魚介をのっけて自分流の海鮮丼を作る「のっけ丼」という名物が人気です。そのすぐ近くに「まちなか温泉」という温泉もあったりして、実にいろんな楽しみ方ができます(温泉といえば、青森駅から電車で23分の浅虫温泉もオススメです。自然豊かで、ビーチや水族館もあります)

 そんな感じで青森市内だけでも十分観光スポットがたくさんありますが、もし車があれば、八甲田山の山中にある総ヒバ造りの千人風呂(混浴)で有名な酸ヶ湯温泉や、新緑が美しい(清涼飲料数位のCMに使われそうな)奥入瀬渓流から十和田湖へ、さらにアートの街・十和田市へ、といった旅も素敵だと思います。あるいは、桜の見事さが日本一と称えられる弘前城公園や、三十三もの禅寺が並ぶ禅林街(いちばん奥に鎮座するのは津軽家の菩提寺である長勝寺。その隣には仏舎利塔(忠霊塔)がそびえ建っている、たいへんスピリチュアルな場所です)、五重の塔、明治期の洋館、れんが倉庫美術館(現在、ダムタイプの舞台音楽も手がける池田亮司さんの展覧会が開催中。それだけでこの美術館のスゴさが窺い知れます)、そしてあの『りんご追分』や『帰ってこいよ』など数多くの名曲に歌われてきたお岩木山を擁する弘前市に立ち寄ってみるのもよいかと思います(地元推し)

 青森県には恐山(イタコ)や“キリストの墓”(ナニャドヤラ)もあり、棟方志功、寺山修司、太宰治、三上寛などを輩出した土地だけあって、「土着」とか「情念」とか「霊的」という言葉がよく似合う地であることは確かです(褒めてます)。ふつうに観光やレジャーを楽しむこともできるし、もっと奥の深い楽しみ方もできる、ある意味、唯一無二の土地です。

 というわけで、まんずあずましい所だはんで青森さ行ぐべし!(本当に居心地のいい所なので、青森に行きましょう!)


















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