REVIEW
ゲイの愛と性、HIV/エイズ、コミュニティをめぐる壮大な物語を通じて次世代へと希望をつなぐ、感動の舞台『インヘリタンス-継承-』
2020年トニー賞4部門受賞の大作演劇『インヘリタンス-継承-』の日本公演が始まりました。壮大な愛の物語であり、ゲイコミュニティへの讃歌であり、HIV/エイズをめぐる叙事詩であり、アメリカという国の病や綻びを憂いながら、希望を見出そうとする物語でもあり、深い深い感動が得られる素晴らしい作品でした
2019年ローレンス・オリヴィエ賞4部門、2020年トニー賞4部門を受賞し、ブロードウェイやウエストエンドを感動で包んだ話題作『インヘリタンス-継承-』。その日本公演が始まりました。
『インヘリタンス-継承-』は、エイズ禍が過去のものとなった現代に生きるゲイのカップルを中心とした舞台で、主人公のエリックが、亡くなった友人・ウォルターに遺言で託された「田舎の家」がかつてエイズで死期の近いゲイたちの看取りの家だったことを知り、そこでたくさんの人を看取ってきたマーガレットに、その家で起こった出来事を教えられる…という物語です。三世代にわたる、愛と自由を求めるゲイたちのラブストーリーであり、上演時間が前後編合わせて6時間半に及ぶ大作です。
HIV/エイズをめぐるゲイ演劇の大作といえば『エンジェルス・イン・アメリカ』ですが、『エンジェルス・イン・アメリカ』はまだエイズが「死に至る病」だった頃の作品であるのに対し(第一部『至福千年紀が近づく』の初演は1991年、第二部『ペレストロイカ』の初演は1992年)、『インヘリタンス-継承-』は現代を生きる若い世代に、エイズ禍を生き抜いたゲイたちがその時代に何があったのかを伝えていくような作品になっています。
世界エイズデーの前日に行なわれた公開セミナー「40年のパンデミック:エイズの教訓を受け継ぐ」でも紹介されていたように、このトニー賞受賞の話題作が日本で上演可能になったのは、上演権獲得をめぐるコンセプト・プレゼンで演出家の熊林弘高さんという方が勝ち抜いたおかげだそうです。熊林さんは作者マシュー・ロペスから日本初演の演出を託されました。
マシュー・ロペスは『インヘリタンス-継承-』でラテン系の人として初めてトニー賞ベストプレイ賞を受賞した気鋭の劇作家で、オープンリー・ゲイの方です。『赤と白とロイヤルブルー』をご覧いただけると、その才能や魅力を体感していただけると思います。日本公演にはマシュー・ロペスも駆けつけ、初日の舞台で挨拶したほか、翌日にはポストトークも行なわれました。
2月11日の初演を観る機会に恵まれましたので、レビューをお届けいたします。会場はほとんど満席で、ゲイの方もたくさん来られていて、長時間であるにもかかわらず、みなさん、静かに、熱く、この大作に魅了されていた様子でした。
(2024.2.11 後藤純一)
<あらすじ>
30代の青年エリックと劇作家のトビー、60代の不動産王ヘンリーとそのパートナーのウォルター、この2組のゲイカップルを中心に物語は展開する。ウォルターは「田舎の家をエリックに託す」との遺言を残して病気で亡くなる。トビーの自伝的小説がヒットしてブロードウェイで上演されることになるが、その主役に抜擢された青年アダムの出現により、エリックとトビーの仲は破綻する。リベラルと保守の両極のようなエリックとヘンリーが、ふとしたことから心通わせて結婚することになるが、そのことにより、エリックとジャスパーら古い友人たちとの間に溝ができる。ウォルターの遺言の「田舎の家」が、エイズで死期の近い男たちの看取りの家となっていることがわかる。トビーはやがてアダムにふられ、彼にそっくりの男娼レオを恋人にするが、レオはヘンリーとも関わりがあった…。トビーに捨てられHIVに感染し行き場をなくしていた レオをアダムとエリックが救う。彼を「田舎の家」に連れて行くと、そこには男たちに寄り添い続けたマーガレットがいて、この家で起こったことを語り始める…
何本分ものお芝居を一気に観た気がしました。今まで生き延びて、この作品を観ることができた幸せを噛みしめるとともに、この作品を観ることなく亡くなってしまった方たちに思いを馳せずにはいられませんでした。
これは壮大な愛の物語であり、ゲイコミュニティへの讃歌であり、HIV/エイズをめぐる叙事詩であり、(『アメリカン・ビューティー』ではありませんが)アメリカという国の病や綻びを憂いながら、希望を見出そうとする物語でもありました。
前編で、ウォルターがエリックに「田舎の家」がエイズで死期の近いゲイたちの看取りの家だったことを伝えるシーンで、(まるで原爆の慰霊碑や911の追悼碑のように)エイズで亡くなった何千、何万人もの名前のリストがスクリーンに映し出され、その上のほうに、古橋悌二さんや長谷川博史さん、熊谷登喜夫さんといった日本人の名前も大きく映し出されるという演出があり、涙を禁じえませんでした。(ロンドン公演では会場を埋め尽くしたゲイの方たちがあちこちですすり泣いていたそうです)
『インヘリタンス-継承-』で描かれた「継承」の一つは、エイズ禍の時代を生き延びた(あるいは生き延びられなかった)人たちが、現代の若者たちに記憶を継承するということでした。
PEPやPrEPという画期的な予防法が利用できるようになった今の若者たちのセックスのリアリティも描かれていました。(ついでに言うと、ちょっとビックリするくらい、リアルにセクシャルなシーンもありました)
この作品はしかし、HIV/エイズのことだけでなく、セックスワークを含めたセックス、恋愛、ホモフォビア、ゲイコミュニティ、政治…およそゲイにまつわるありとあらゆることを描くものでした。
長い長い物語の中で、ゲイたちの愛と生、リアルな実存、幾つもの生き様が交錯していきます。
そのなかでも私は、トビーとレオの物語の切なさに、胸が張り裂けてしまいそうな、魂を鷲掴みにされるような思いをしました。トビーはたまたまウエストアッパーサイドの高級物件に住まう恋人のエリックの支えのおかげで作品を書くことができ、劇作家として商業的な成功を見るのですが、アダムという自作の主演俳優として成功していく美青年に入れ込んでしまい、また、自身の不遇な生い立ちや真の自分と向き合わずに逃げてきたことや、(本当は自分に自信がないことの裏返しとしての)虚栄心や尊大さからエリックや友人たちを傷つけ、壊し、孤立し、自暴自棄になり、クスリやアルコールに溺れ、新しい恋人・レオをも傷つけながら、ボロボロになっていきます。一方のレオは、たまたまアダムにそっくりだったためにトビーに気に入られ、そのつながりは初めはセックスだけだったものの、次第に惹かれ合うようになっていくのですが、彼はトビー以上に不遇な生い立ちで、人生に未来も希望も持てない、人間としての尊厳も保つことが難しいような、ある意味、世界から見捨てられたような人でした…。レオが、ただビジネスとして体を与えるのではない「前戯から始まる」セックスを生まれて初めて経験したと語るシーンには涙を禁じえませんでした、(まるで『ブエノスアイレス』の1シーンのように)アストル・ピアソラのタンゴが流れるなか二人が恋の炎に身を焦がしていくシーンなども、この舞台の中で最も熱く、切ないシーンだったと思います。
家もない、体を温めるコートすらないような極貧生活の中でもレオは、トビーからもらった一冊の本――それはE・M・フォースターが書いたゲイ小説『モーリス』でした――をずっと懐に大切に持っていて(世の中にゲイに関する肯定的な情報が一切なかった80年代、貪るように本を読んでいたなかで『こころ』や『草の花』の中に同性愛的なものを見出して心の栄養にしていた私自身の過去を思い出さずにはいられませんでした)、本を読みたいと願うことが人間にとってどういうことなのかをこれ以上雄弁に物語る作品もないと思いました。(トビーがなぜ、あのような人間になったのかは最後の最後に語られるのですが)トビーはそんなレオを本当の意味では救うことができませんでした…。でも、トビーと出会ったおかげで、レオは絶望的な状況から脱し、生き延びるきっかけを得たのです。
同じ見た目であるにもかかわらず全く異なる境遇を生きているアダムとレオは、『王子と乞食』のように入れ替わったりはしないものの、トビーの舞台を介して一瞬、出会い、おかげでレオは(ドッペルゲンガーの迷信とは逆に)九死に一生を得ることができるのでした。
状況的に考えてありえない選択であるにもかかわらず、レオに救いの手を差し伸べた人、その人こそがこの作品の主人公、エリックです。ウォルターという、エイズに蝕まれ、行くあてもなく、世界から見捨てられたゲイたちを看取る「癒しの家」に友人たちをかくまい、尊厳をもって逝くことができるようケアを施してきた人から、この家を継承した人です。
エリックが「癒しの家」を継承するためには、オーナーである億万長者でありウォルターのパートナーであったヘンリーとの出会いが不可欠でした。しかしヘンリーは(お金持ちの白人にありがちな)共和党支持者であり、友人たちはそのことに反発し…という場面が、アメリカという国の現実を鋭くあぶり出していました。一筋縄ではいかないHIV/エイズをめぐる現実の、実に深いところまで抉り出されていたと思います。ヘンリーは『エンジェルス・イン・アメリカ』におけるロイ・コーンに近い存在だと思いますが、ロイ・コーンがわかりやすく悪魔的に描かれていたのとは異なり、人間らしい感情も持った「父」的存在であり、ウォルターやエリックが愛した人でもあります。左か右か、善人か悪人か、ではない複雑さ。「答えのない問い」です。
いくつものカップルの物語があり、時にコロス(古代ギリシア劇の合唱隊)のようにストーリーや情景や心情を伝えるたくさんのゲイたちも登場します(マーガレット以外は全員ゲイ。『真夜中のパーティー』ばりの濃密さです)。会場に来られていたゲイの観客の皆さんの多くが、きっと多彩な登場人物の誰かに、あるいは複数の人に自分を重ね合わせながら観ていたのではないかと思います(SATCでそうしたように)。私は「書く人」ですが、成功したトビーよりもレオのほうにはるかに感情移入しましたし(貧乏だったり、本を渇望したりするところで)、友人を見捨てておけない、いわば「ケアする人」であるエリックにも共感することしきりでした(そンなエリックがヘンリーという人を愛するところも含めて)
100年前にゲイ小説『モーリス』を書いた(が公にできなかった)E・M・フォースターが「私たちの時代のゲイの教育は、ハッテン公園や公衆トイレやファイアアイランドのビーチでしか行なわれなかった」と語るシーン、そしてヘンリーが「私たちの時代にはゲイなんていなかった」と語るシーンは、私自身も経験してきたことだけに、心が痛みました。ゲイが犯罪者や精神病者、性倒錯の異常者として扱われていた時代を生きた人だからこその重苦しいリアリティ。トビーがあのように苦しんだ根源にも、苛烈なゲイ差別がありました。アメリカでは2015年に同性婚が認められたとはいえ、2016年に誕生した(おそらくは「口にするのも汚らわしい」ということなのでしょうが、劇中で決してその名が呼ばれない)大統領による悪政はLGBTQにとって本当に過酷なものでした(黒人のHIV陽性者であるトリスタンはカナダに逃れることを選択しました)。100年前よりはマシになったとはいえ、社会には厳然とホモフォビアが根を張り、ゲイたちを苦しめてきたし、それは今もなお続いているというシビアな現実も描かれていました。
余談かもしれませんが、劇中、ホームパーティで「懐かしいもの」を言い合おうというシーンがあり、「ゲイバー」がその一つとして挙げられていたのは、アプリがあればいくらでも出会える時代でもあり、コロナ禍も追い討ちをかけ、欧米ではどんどん「ゲイバー」がなくなっていってるということは知識として知っていたとはいえ、少なからずショックでした。ゲイバー(やクラブ)でのリアルな出会いなしに、果たしてゲイコミュニティは存続しうるのか…と考えずにはいられませんでした。
現代を生きるゲイたちの愛と性、ゲイコミュニティ、ホモフォビア、政治を横糸に、E・M・フォースターの時代から現代へと至るゲイの歴史の流れを縦糸にして編まれた壮大な物語。そのなかで、どんな状況であっても人を愛することだけは忘れまいとする思いの尊さや、ストーンウォール・インで立ち上がった人々の勇気や、無念の死を死んだ数えきれないくらいたくさんの人たちの遺志をバトンとして後世の世代に渡し、希望をつないでいこうとする「インヘリタンス(継承)」という概念=言葉=物語が、この舞台作品の全体を象徴するように浮かび上がり、魔法のような、奇跡に触れたときのような感動を喚び起こします。
劇場で販売されている公式パンフレットの中で、プロデューサーの内藤さんという方が(PARCO劇場で『真夜中のパーティ』や『BENT』や『トーチソング・トリロジー』の上演の企画を手がけた方だそう)、ダムタイプ『S/N』の、走っている人が前を走っている人にバトンを渡し、舞台裏へとダイブしていく(見方を変えると、自分が奈落に落ちてしまう前に誰かにバトンを渡す)ということを繰り返すシークエンスに言及していて、今更ながら、そうか、あのシーンは「インヘリタンス(継承)」だったんだと気づかされました(このパンフレットには北丸雄二さんの「解題」も載っていて、この作品を理解するための補助線が的確に語られています。ぜひ読んでみてください)
私の人生を大きく変えることになった1996年の『S/N』が、今回と同じ東京芸術劇場で上演されていたことにも因縁めいたものを感じます。『S/N』で悌二さんが表現したことは、遺された私たちへの「インヘリタンス(継承)」であり、実際にそのバトンを受け継いだ多くの方がHIV/エイズについての表現者や活動家となって活躍しました。
そして、かつてトビーと同じように「おかま」といじめられ、レオと同じように文学に生きる希望を見出したゲイの少年が、2024年まで生き延びて、今日、『インヘリタンス-継承-』という作品を観ることができた幸甚に、心ふるえる思いがしました。
この素晴らしい作品を日本で上演してくださったみなさんに心から感謝します。俳優のみなさん、あの膨大なセリフを憶えるだけでも相当大変だったと思いますが、それぞれの役柄を立派に演じきっておられました。ウォルター/E・M・フォースターを演じたベテラン・篠井英介さん、優しさやゲイらしさが自然とにじむようなエリックを演じた福士誠治さん、トビーという熱く、激しいキャラクターを演じた田中俊介さん、アダムとレオを見事に演じ分けていた新原泰佑さんに拍手。また、1994年の『エンジェルス・イン・アメリカ』第一部「至福千年紀が近づく」日本初演時のラストシーンで大天使として登場し、観客の度肝を抜いた麻実れいさんがマーガレット役を演じていたことに感慨を禁じえませんでした。この舞台における唯一の女性であるマーガレット。彼女が語る物語にはきっと多くの観客が泣かされたことでしょう。彼女はこの舞台になくてはならない存在でした。素晴らしかったです。
カーテンコールの後、客席でこの舞台を見守っていた作者のマシュー・ロペスさんがステージに上がり、「このように美しい舞台にしてくださったことに感謝します」とご挨拶し、大きな拍手が贈られました。とても素敵な時間でした。
インヘリタンス-継承-
日時:2024年2月11日(日祝)〜24日(土)
会場:東京芸術劇場 プレイハウス
チケットはこちらから
作:マシュー・ロペス
演出:熊林弘高
出演:福士誠治、田中俊介、新原泰佑、柾木玲弥、百瀬朔、野村祐希、佐藤峻輔、久具巨林、山本直寛、山森大輔、岩瀬亮、篠井英介、山路和弘、麻実れい(後篇のみ)
※なお、3月には大阪、北九州でも公演が予定されています。詳しくは公式サイトでご確認ください
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