REVIEW
映画『ノーマル・ハート』
まだHIVの感染経路や治療法も解明されておらず絶望しかなかった頃のニューヨークを舞台に、恋人や友人の命を救いたいという思いで立ち上がったゲイたちの姿を描いた映画『ノーマル・ハート』。ゲイの劇作家、ゲイの俳優、ゲイの演出家たちの思いが結実した、涙なしには観られない感動作です。

『ノーマル・ハート』は、ゲイの間で免疫が破壊される謎の奇病が流行しはじめ(「ゲイのガン」などと言われ)、バタバタと倒れ、亡くなっていったにもかかわらず、政府が完全にゲイを見殺しにしていた、80年代前半のニューヨークが舞台です。最初期のHIV/エイズとの闘い、初の支援団体である「GAY MEN’S HEALTH CRISIS」の創設に携わったゲイコミュニティの人々へのオマージュであり、レクイエム的な作品です。不朽の名作『エンジェルス・イン・アメリカ』と同じHBOが制作したテレビ映画です。本来なら映画館で公開されてもおかしくない名作ですが、どの映画会社にも企画を断られ、テレビ映画になったんだそうです(そのことからも、アメリカ社会でのHIV/エイズへの偏見の根強さが窺えます)
そもそも『ノーマル・ハート』は、ACT UPを立ち上げた活動家でもある劇作家ラリー・クレイマーが、黙殺する政府やNY市長や世の人々に対して、患者を支援し、なんとか治療法を見つけ、この絶望的な状況を変えていかなければという思いで、言いたいことをバシバシ言って、世の中からもゲイコミュニティからも嫌われ…という自分自身のことを描いた1985年初演の戯曲です。そこには、ただ愛する人たちを救いたい、才能ある若者たちが次々に死に行くのを黙って見殺しにしたくない、という人間としてごくごく当たり前の感情があふれています(『BPM』と同様、心臓がえぐられるような、せつなく、やるせない気持ちにさせられます)。ラリーは、自身の経験を、ヒリヒリとした怒りの感情を、この舞台作品にぶつけ、世の中にエイズ対策が待ったなしの問題であると訴えたのです。
この舞台作品は、2011年にブロードウェイで再演されて、高い評価を受け、トニー賞も受賞しています。そして、『glee/グリー』『アメリカン・ホラー・ストーリー』のライアン・マーフィが映画化を手がけることになったのです(このテレビ映画版も、エミー賞やゴールデングローブ賞を受賞しています)
いずれもゲイであるラリー・クレイマーとライアン・マーフィが、自分自身のこと、周囲の友人や恋人のこと、そしてゲイコミュニティへの愛を込めて作り上げた作品ですから、胸に響かないわけがありません。実によく練られたドラマチックな脚本と、ゲイの俳優を多数起用したキャスティング、そして才気あふれる演出が相まって、紛れもない傑作になっています。
冒頭、ファイア・アイランドのゲイリゾートで健康的でセクシーなゲイたちが波と戯れ、セックスを謳歌するシーンがあり、パーティ感を醸し出すBGMとしてシルヴェスターの「Dance(Disco Heat)」と「You Make Me Feel(Mighty Real)」が立て続けに流れたのですが、もうそれだけで泣けてしまいました(シルヴェスターもエイズで亡くなっています。このように、当時のゲイカルチャーへのオマージュがあふれていると思います)
このファイア・アイランドでのビーチパーティで具合が悪くなっていたクレイグは、のちに、泡を吹いて倒れ、亡くなります…
ライターのネッドは、病院で体じゅうに斑点が浮き出た知人を見かけ、そういう人たちが免疫を冒されて亡くなっていく、なんとかゲイコミュニティに知らせてほしいと言う女医のエマの言うことを聞き、グリニッジビレッジの自宅に仲間たちを呼び集めます。エマは「セックスをやめて。死ぬわよ」と言うのですが、ブーイングの嵐に…。その後、ネッドは友人たちと「GAY MEN’S HEALTH CRISIS」を立ち上げますが、その口の悪さを敬遠され、ブロンドの美青年、ブルースが団体の代表に選ばれます。
謎の奇病の新聞記事を見たネッドは、記事を書いた人物に会うため「ニューヨークタイムズ』の編集部に入り込むのですが、そこでハンサムな記者・フェリックスと出会い、そして、これが運命の出会いとなるのでした…
『ノーマル・ハート』は、ただエイズの悲惨さを訴え、政府のひどさを告発する映画なのではなく、恋の喜びや、愛する人と共に暮らして生涯の伴侶として幸せに生きていきたいと願う、人としての普遍的な感情を描いています。だからこそ、涙なしには観れない感動作になっているし、大切な人たちの命を無残に奪っていく病気に対して「穏便に」やってる場合じゃないと声を上げるネッドの思いに共感するのです。
ストーンウォールの時代もそうでしたし(暴動以前にマタシン協会という白人ゲイによる「穏健派」の運動がありました)、ハーヴェイ・ミルクの時代もそうでしたが(『Advocate』の編集者など、あまり表立つことなくロビーイングなどで少しずつ社会を変えようという「穏健派」の人たちがいました)、なるべく目立たず、公に声を上げたりせず、お上の機嫌を損ねないよう、なるべく「穏便に」やっていこうとするのでは埒があかない、状況は一向によくならないという歴史の真実が、ありありと描かれていると感じました(「SILENCE=DEATH」を掲げたのちの「ACT UP」へつながる流れです)
アメリカのように、容赦なく摘発され、新聞に名前が載ると会社をクビになり…とか、ゲイの教師が学校から追放されることを容認する法律ができそうになるとか、ゲイが何万人亡くなろうと知ったこっちゃないと政府が見殺しにするとか、差別が激しい、あからさまな社会では(日本はもっと「真綿で首を絞めるような」差別だと言われてきました)、警官に抵抗したり、堂々とカムアウトして議員になったり、ボイコット運動を展開したり、大規模なパレードをやったり、『ノーマル・ハート』のネッドのように正面から国や市を追及していくというような活動が必要なのだということが、よくわかります。
一方で、まだどうやったら感染するのか、感染を防ぐにはどうしたらよいのかがよくわからなかった頃、同じゲイの仲間の命を救うためにセックスを控えることを呼びかけなければいけなかったということのジレンマも描かれていて(「俺たちは15年もの間、自由な恋愛のために闘ってきた。お前はそれを否定するのか」)…本当につらい場面でした。「生きるも地獄、死ぬも地獄」ではないですが、生き延びて、仲間のために必死に闘っている人たちもまた、仕事をして、生活しながら、ボランティアで活動を続け、でも自分自身もいつ発症するかわからないという恐怖に怯え、社会も支援してくれない、それどころかゲイに対する差別が強まる一方で、八方塞がりの絶望的な状況のなかで、悲鳴を上げていたのでした。
エイズ禍の時代に生きるゲイたちの人生に光を当てた作品はいろいろありますが、『ノーマル・ハート』は、『RENT』や『エンジェルス・イン・アメリカ』、『BPM』などと並ぶ傑作の一つに数えられることでしょう。
主役こそストレートのマーク・ラファロ(『キッズ・オール・ライト』)が演じていますが、ネッドの恋人フェリックスの役をマット・ボマーが、GMHCの中でも最もネッドに近かった(実はネッドのことが好きだったのではないかと思われる)トミーの役をジム・パーソンズが、看護師でありGMHCのメンバーでもあるバジーをB.D.ウォンが、そして、最初に亡くなるイケメン・クレイグの役を『ルッキング』のジョナサン・グロフが務めています。こんなにゲイの俳優が一堂に会することも珍しく、ライアン・マーフィの心意気が伝わってきます。エマ役のジュリア・ロバーツも熱演していました。
サウンドトラックもいいです。シルヴェスターの「Dance(Disco Heat)」「You Make Me Feel(Mighty Real)」、グロリア・ゲイナーの「I Will Survive」、カルチャークラブの「Do You Really Want to Hurt Me」、ロキシーミュージックの「More Than This」など、70年代〜80年代のゲイテイストな名曲がキラ星のごとく並んでいます。
Amazon Prime Videoでご覧いただけますので、ご自宅でぜひ。
ノーマルハート (字幕版)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07958KK83
なお、現在、この『ノーマル・ハート』の原作であるラリー・クレイマーの戯曲を日本で刊行できないかということで、クラウドファンディングが立ち上がっています。映画をご覧いただいた後で、本当によかった、何かこの作品のためになることをしたい、という気持ちになった皆さんはぜひ、ご協力をお願いいたします。
男と男、極限の愛――映画『ノーマル・ハート』原作【2500部限定】発売プロジェクト
https://motion-gallery.net/projects/the_normalheart/updates/23154
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