g-lad xx

COLUMN

4月から上京するみなさんに贈る言葉

この春、高校や大学を卒業したみなさん、おめでとうございます。希望や期待に胸をふくらませながら、この4月から進学や就職で東京(や大阪)などに来られる方、二丁目(や堂山)デビューをする方も多いことでしょう。そんなみなさんのために、ゲイの世界入門的なコラムをお届けしたいと思います

4月から上京するみなさんに贈る言葉

 

 こういうコラムってここでは書いたことなかったんですが、なぜ今書こうと思ったかというと、g-lad xxって(そもそもどういう経緯でできたかということはこちらをご覧ください)みんながゲイであることを肯定的に受け容れて、ちょっとでも「ゲイでよかった」と思える瞬間を味わえたり、誇りに思えたりすることにつながったらいいな、幸せになってほしいな、という気持ちでやってるわけで、せっかくこの4月から希望を胸に東京に出てきた若い方たちが(これから訪れるかもしれない大変な状況を前に)二丁目とかゲイの世界のいいところを知らないままというのは本当にもったいないし、ぜひ今のうちに世界一のゲイタウンである二丁目の楽しさやゲイコミュニティの素晴らしさに触れてほしいと思ったからです。
 
 ぼくは青森の田舎で生まれ育ち、自分以外のゲイの人にはただの一人も会うことができず、東京に行けば二丁目という街があって仲間に会える…と夢見て上京した人です(正確に言うと大学は関西でしたが)。しかし、クローゼットリーマンだった最初の3年は主にハッテンばかりしていて、たまにゲイバーに行ってもカラオケ歌って終わり、みたいな感じでした。「自分はこうなりたい」と強く思い、動いたことで、人生が大きく変わりました(詳しくはこちら)。自分がロールモデルだとか成功例だとかは全く思わないのですが、ドラァグパフォーマーとしてたくさんステージに立ってショーをやらせていただいたり、ゲイ雑誌『バディ』の編集に携わるなかでいろんな人たちと出会えたり、2001年にはパレードの実行委員として全国のドラァグクイーンやインディーズミュージシャンのショー&ライブで構成する前日祭イベントをやらせていただいたり(ご協力くださったみなさんに感謝申し上げます)など、なかなかできない経験をたくさんさせていただきました。それはゲイコミュニティのたくさんの人たちのおかげで実現したことで、感謝していますし、このサイトもコミュニティへの恩返しのつもりでやっています。すっかり年をとり、引退のようなことも見えてきているなか、おばあちゃんの知恵袋ではありませんが、次世代の方にぼくが経験して学んだことを伝えておきたい、という気持ちもありました。
 
 いまの時代、ゲイだからどうこうということはないので(まだあるでしょうけれども、少なくとも法律で職場でのLGBTQ差別やアウティングが禁止されている=LGBTQが守られる時代になったので)、一般社会でも活躍する方が大勢います。有名企業の社長にもなれるし、弁護士にも医者にも、何にだってなれます(なれないのは女子大生や助産師くらいです。ゲイでもアイドルになれるしホステスにもなれます)。昼間はふつうにリーマンをしながら、週末にドラァグクイーンやGOGO BOYとして活躍する方も大勢います。
 それはそれとして、ゲイとしての人生――素敵な人と出会って恋に落ちたり、セックスしたり、二丁目などで友達をつくったりイベントに参加したり――を充実させ、幸せなゲイライフを送るためにはどうしたらよいのか?ということのコツや「要領」みたいなことは、実際にゲイの世界に入ってみて(デビューする、と言います。死語かもしれませんが…)いろいろ体験しないとわからない、「学校では教えてくれないこと」だったりします(AIに聞いても当てにならないと思います)。そういう意味でも、ある程度まとまった情報を載せておくことには意味があるのではないかと思いました。
(後藤純一)
 

自分を愛して

 最初に、いちばん大切なことをお伝えします。それは「自分を愛する」ということです。
 
 自身の冠番組『ドラァグレース』で有名なル・ポール先生が、いつも番組の締めに「If you can't love yourself, how in the hell you gonna love somebody else?(自分を愛せなかったら、いったい誰を愛せるの?)」って言ってます。黒人のドラァグクイーンという想像を絶するような向かい風に抗ってドラァグ界の頂点に立った方が発するこの言葉の重みは計り知れないものがあり、世界中のクィア・ユースたちを励ましてきました。
 『弟の夫』が内外のさまざまな賞を受賞&ドラマ化もされた田亀源五郎先生も、ご著書の最後のところで「たとえ世界中や親兄弟が敵になっても、自分だけは自分の味方でいなさい」「可能な限り、自分の生きたいように生きて、幸せになってほしいと思います」と綴っています。
 
 世間は長年、ゲイやバイセクシュアルに対して“ヘンタイ”だとか“倒錯”だとかのレッテルを貼り、当事者にスティグマを植え付けてきました。テレビではロコツに“ホモ”を誇張したキャラや、オネエで面白おかしく騒いで笑いをとるような人たちが重宝され、ぼくらは嘲笑の対象となり、偏見や差別が容認され、世間にホモフォビアが蔓延したままでした。悪気はなくても親きょうだいや親戚は「結婚しないの?」と圧力をかけ、学校や職場などでも恋愛は男女間でするものという前提で(異性愛規範と言います)、ぼくらは「いないこと」にされたりしてきました。悲しいことに、当のゲイたちもまた、生き延びるために世間の人たちに同調し、一緒になって笑ってしまったり、「道化」の役回りを演じたり、本当の自分を隠し、自分自身を愛せず、苦しんできました。なかにはゲイであることがバレないようにわざと他のゲイを傷つけたり、陥れたり、命を奪ったりする人もいました(ロイ・コーンオーランドのゲイクラブ銃撃事件の犯人など、枚挙にいとまがありません)。だからこそ、先人たちは「自分を愛して」というメッセージを繰り返し伝えてきたのです。ゲイである自分を受け容れ、愛することから始めなければ、幸せにはなれないのです(「私の敵は私です」じゃないですが、「内なるホモフォビア」を抱えて生きるのは本当に苦しいものです)

 こういうことも言えます。
 SNSで「承認欲求」という言葉が使われるようになって久しいですが、社会的動物である人間は他者からの承認がないと生きていけないわけで、ある程度の「承認欲求」を持つこと自体は自然なものです。ただ、世の中には、自己肯定感(「セルフエスティーム」と言います)が高い人と低い人がいて、社会調査ではゲイ・バイセクシュアル男性は自己肯定感が低めで、異性愛役割を演じることの葛藤からメンタルヘルスが悪化しがち、という結果が出ています(古いデータなので今は変わっているかもしれませんが)。性的マイノリティだからといって自分を卑下せず、セルフエスティーム=自尊感情を高めていくこと、自分を「価値ある存在」として認め、愛していくことが大切です。「自己愛」が過剰だと人格的に問題がある人のようなイメージを持たれるかもしれませんが、うまく自分を愛し、セルフエスティームを高めていくことは人間関係や仕事のうえでも大切なことです。

 

「この世界」を愛して

 「この世界」というのは82億人が暮らすこの世界(地球)のことではなく「ゲイの世界」のことです。二丁目※1を中心として都内には各地にゲイバー(などさまざまなゲイの施設)があり、気兼ねなくゲイとして話ができ、同じゲイの人たちと知り合い、友達ができたり、恋が生まれたりもします(YouTubeドラマ『あのときの僕らはまだ。』や『シンバシコイ物語』が参考になると思います)。バーだけでなく、ショップもあれば、ハッテン場や性的サービスを提供するお店などもありますし、毎週末いろんなイベントも開催されてます。ネット上にもいろんなサイトがあります。そういうゲイに関する有象無象の事象の総体が「この世界」です。ゲイコミュニティとかゲイシーン、ゲイのソーシャルネットワークなどとニアリーイコールです。

※1 ここでは二丁目と書いていますが、東京には新橋や上野や浅草もありますし、大阪の堂山や、名古屋の女子大小路、博多の住吉、那覇の桜坂なども同様です。二丁目はそういうゲイバーがたくさん集まってる街の象徴であり、他の街にはないものも持っています。
 
 まずはゲイの友達を作りましょう。一緒に遊びに行ったり、本音で何でも話せるような友達、ほしいですよね。実際は何年かすると離れて行ったり、また新しい友達ができたりということもあったりはするのですが(ぼくもつい余計なことを言って怒らせたり、自分の性格ゆえに嫌われたり…いろいろ失敗してきました)、そんななかでもずっと変わらずに友達づきあいしてくれるような人は「人生の財産」です。気のおけない友達。困ったことがあったときに相談に乗ってくれる友達。入院したらお見舞いに来てくれるような友達。こちらのコラムでも書きましたが、ゲイサークルに参加したり、ゲイバーで友達を作ったり、意識的にコミュニティ活動をしてみてほしいと思います。
 友達どうしの集まり、ゲイサークルやゲイバーを単位とした小さなコミュニティが集まって、二丁目という大きなコミュニティになり、HIV予防啓発やいろんな活動をするコミュニティセンターができたり、かつてのレインボー祭りのような感動でみんなが泣いてしまうようなイベントが生まれたりもします。
 
 いまはナイモン(9monsters=ゲイアプリ)を開けば簡単に他のゲイの人を(近い順に)見つけることができるわけですが、シンプルに、たくさんゲイが集まってる場所ってそれだけでワクワク感があるし、「こんなにたくさんいるんだ〜」って実感できるだけで、ずいぶんゲイの世界に対する印象が変わります。今はもうないのですが、ageHaという巨大な遊園地みたいなクラブで行なわれていたゲイイベントや、パレードやレインボー祭りなど、何千人ものゲイが集まって盛り上がったイベントで「ゲイに生まれてよかった」と思えるような経験をした方はたくさんいるはずです。
  
 二丁目にはイベントをやるハコ(クラブ)がいくつもあって、毎週末、実に多彩なイベントが繰り広げられています(こちらに毎週末、スケジュールを掲載しています)。地方から上京して来たみなさんを歓迎する「なまってナイト 〜春だもの、上京物語を語らナイト〜」なんてイベントもありました(地方出身者に優しいというか、この世界で活躍してる人、地方出身者だらけですよ)
 ゲイバーだって何百軒もあるわけですから、きっとあなたに合う場所が見つかるはずです。たまに「二丁目でイヤなことがあったからもう行かない」と言う方もいらっしゃるのですが、実にもったいないな…と思います。
 お酒が飲めない方でも大丈夫な落ち着いた雰囲気のお店や、昼間にカフェ営業をしてるお店などもありますし、新宿以外のエリアにもたくさんありますし、ぜひいろんなゲイバーに足を運んで、自分に合う場所を見つけてみてください(自分に合うゲイバーをどうやって探せばよいか?ですが、以前は二丁目マップが載ったフリーペーパーが配られたりしてましたが、今は「新宿二丁目虹色友の会」加盟店とか…あとは「akta」に行くとコンドームを置いてくれてる(そういうことに協力的な)お店がわかるので、参考になるかもしれません。どこか1軒飲みに行ってみて、そこでほかにおすすめのお店があるかどうか聞いてみるのもよいと思います)

 

「ゲイらしさ」を愛して

 トップ画像がそういうイメージなのですが、この世界にどっぷり浸かってると、だんだん、ジムで体を鍛えてマッチョ・ガチムチになって髪を短くして髭をはやしたりするとモテる、ということがわかってくると思います(イベントのGOGO BOYとかみんなそうですよね)。世間のイケメンとは全然違うので、初めは違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、全世界的にそういうもの(グローバルスタンダード)なので、慣れましょう。もちろん、細身の前髪系が好きな人たちもいますし、短髪髭マッチョ(イカニモ系)になる必要は全くないのですが、少なくともこの世界では主流というか、そういう見た目がモテ筋の王道だということは確かです。
 
 ちょっと考えてみてほしいのは、ゲイゲイしい短髪髭ガチムチの人たちが集団で写真を撮ってSNSに上げると「クローンみたい。見分けがつかない」などと揶揄されたりする一方、髪長めで太ってない(“ふつう”っぽい)世間的なイケメンに近い人たちの集まりだと何も言われないどころかネトフリで番組になったりするということ、(例えば水着姿のマッチョの集団がパレードで歩いてる絵面を切り取ってパレードに難癖をつける事案などもありましたが)ゲイゲイしい人たちがセクシーさをアピールすると露骨に嫌悪され、当事者の間でさえも「子どもの目にも触れる場所でそういう格好はよくない」などとイチャモンがつけられたりする(小島よしおやとにかく明るい安村はいいの?)という現実です。そういうのってホモフォビアの一種なのではないでしょうか。
(ちなみに世界中でBearコミュニティがつくられ、フラッグを掲げて活動しているのは、そういうことがあるからです。太めの人差別というだけでなく、ゲイゲイしさに向けられたフォビアに抵抗しているのです)
 
 ジムに通ってバルクアップして短髪髭ガチムチになると、ゲイの世界ではモテますが、一方で、職場で浮いてしまったり、周囲の人に「なんでヒゲはやすの?」などと追及されたり、見た目で怖い人だと思われたり(職質されたり?)する可能性もあります。でも、そういうハードルを乗り越えて「イカニモ」な見た目で暮らすことって、ぼくはそれ自体PRIDEだと思うし(見る人が見たらバレバレなわけですから)、愛おしく感じるんですよね。
 この後にも書きますが、世間の価値観に従って自分らしさを押し殺して生きたって何もいいことはありませんし(女性と結婚させられたり)、その先に幸せがあるのでしょうか?という話なのです。せっかくゲイに生まれたのですから、思いっきりゲイの世界を楽しんだほうがいいのでは?
 
 昔『バディ』誌で超人気モデルをドラァグクイーンとレザーマンの両方に変身させるという企画をやらせていただきましたが、ゲイシーンには短髪髭のガチムチ野郎系(イカニモ系)で六尺やケツワレやレザーを嗜んだりする「男性性」を過剰に演出するカルチャーと、「女性性」のパロディとしてのドラァグクイーンを楽しむカルチャーというものすごく振れ幅の広い、両極端なカルチャーが存在しています。どっちにもなれるってスゴい自由で素敵なことだと思うし、ぼくはそういうゲイの世界を愛しています。このゲイゲイしい文化を大事にしなきゃ、と思います。



セックスにまつわるあれこれも愛して

 ゲイであることは受け容れたとしても、つきあってもいない人とセックスしたり、ハッテン場に行ったり、お金を払って(あるいはもらって)セックスしたりすることに抵抗を覚える方は少なくないかもしれません。ぼくも初めはそうでした(と言うと今のぼくを知ってる人には大笑いされそうですが)

 ゲイル・ルービンという文化人類学者の1980年のエッセイ「Thinking Sex: Notes for a Radical Theory of the Politics of Sexuality」に掲載されたが有名なのですが、世間の性規範では、異性愛、結婚した人とのセックス、1対1のセックス、家で行なわれるセックス、お金を介さないセックスなどなどが“正常”で“健全”で“ふつう”だとされていて、同性だったり複数だったり商売だったり道具を使ったりSMだったり野外だったりというセックスはQueerとかKinky(どっちも“ヘンタイ”という意味)であると見なされてきました。
 
 「性解放なくしてゲイ解放なし」というコラムでも書きましたが、世界中どこでも、ずっと昔から、ゲイの文化にはハッテンがつきものであり、二丁目のようなゲイタウンも出会いや性の欲望をベースにして発展(ハッテン)してきましたし、ゲイの世界ではあらゆる性のありようをオープンに受け入れる風土がありました(暴力とかじゃない限りは)
 
 2024年の日本エイズ学会で、HIV予防啓発で最も成功を収めてきたオーストラリアの団体「ACON(エイコン)」の青木さんという方がシンポジウムに登壇し、日本は性に対するうしろめたさというか「臭いものに蓋」で性について語られない傾向がある、オーストラリアでは性は生活の一部と認知されている、と語っていて素敵でした。
 「最も快いと感じる」のはセックスじゃなく美味しいものを食べることだと回答してるのは日本だけというデータが示すように、もともと日本の人はセックスへの欲望が低いのかもしれませんが(裏ではたくさんポルノを見たりしてそうですけどね)、ことセックスに関しては世間の感覚とゲイの感覚には結構なズレがあると思います。世間の感覚そのままの若い方は、二丁目のイベントのエッチさにビックリしたりするかもしれませんね(慣れてくださいね。ノースエとか、ちょうどいい入門イベントです)。性に関する感覚や価値観って結構自分のコアにあるものなので、そう簡単に変えられるものではないということはよくわかります。でも、意識的に、自分と違うありようもジャッジせずに受け入れるようにしてみてください。
 
 そもそも世間のゲイ・バイセクシュアルに対する差別の根っこには性嫌悪(セックスフォビア)があって、ぼくら自身が性的に解放され、オープンにならなければ、本当の意味でゲイ差別と闘っていけないのです、と言い切ってしまってよいかどうかわかりませんが、ぼくはそう思います。世間に対してゲイは“ふつう”なんですという主張をする方たちは、二丁目やハッテン場では夜な夜なこんなハレンチなことが繰り広げられてるじゃないかと言われたとき、返す言葉が見つからず、黙ってしまったりするんじゃないでしょうか…。もしそこで「ハレンチな行為をしている人たちが悪い」「あんな人たちと一緒にしないで」と言ってしまったとしたらら、それはホモノーマティビティのそしりを免れません。そもそも性的に奔放なのは悪いことなの?おかしいのは時代遅れな性規範を押し付ける社会のほうじゃないの?と考え直してみることが大事だと思います。
 
 ゲイ自体がもともとがクィアな(世間から見て標準的じゃない、典型的じゃない、規範的じゃない)性的指向なので、ゲイコミュニティではkinkyなプレイも受け入れられやすいし、ハッテンや乱交もNGじゃないし、ビデオモデル(今だとOnlyFansやってる方とか)やセックスワーカーの方たちがスター的な存在になったりもするし、性産業に対して寛容です。ストレートのセックスワーカーとも仲良くなれるし、何よりも「自由」や「解放」に近いところにいるのは素晴らしいことだと思うんです(2000年頃のことですが、セックスワーカーでライターの南智子さんという方が二丁目の「ピンクベア・カフェ」というイベントで「ゲイの人たちは翼が生えている」と語ったことがあって、感動しました)
 
 こういう話もあります。2000年代のプライドパレードは、セクシーなグラビアが載っている(世間的に見れば風俗誌である)『バディ』『G-men』のようなゲイ雑誌や、ゲイビデオやアダルトグッズを扱うゲイショップがメインスポンサーでした。24会館がパンフレットに1面で広告を載せてくれたこともあります。当時のパレードはゲイの性産業なしには開催不可能でした。フロートも『バディ』『G-men』がいちばんの盛り上げを見せましたし、出店ブースもそんな感じで、だからこそ、これは間違いなくぼくらのパレードだと思えました(いつの間にか変わってしまいましたが…)
 
 ぼくらは、ぼくらのセックスにもっと誇りを持っていいと思うんです。ハッテン文化を切り捨てて“ふつう”のフリをして世間に媚びなければ権利を認めてもらえないなんておかしいし、ぼくらがぼくらのセックスを愛さなければHIVの課題やなんかも解決しないのではないでしょうか?(ホモフォビアが強い社会や“純潔”を求める宗教がHIV予防を阻んでいるという事例は世界にたくさんあります)
 
 少なくともみなさんには、この世界の性の奔放さや自由さに慣れ親しみ、性の奥深さに触れたりしていただきたいですし、海外のゲイシーンがどれだけオープンで自由で楽しいかということも知ってほしいし、自分も相手も愛しながら、素晴らしいセックスを楽しんでほしいと願っています。
 
※とはいえ、セックスにはいろんな「注意事項」もついてきます。HIV予防、セーファーセックスのこともありますし、薬物のことなんかもそうです。そういう問題を別として、割とみんながやりがちで気をつけてほしいと思うのが、(1)誰がハッテン場に来てたとか誰が誰とヤッたとかこんな性癖があるとかいう噂話(法的には「特定の機微な個人情報」と言います。アウティングや名誉毀損として訴えられる可能性もあります)、(2)イベント会場の暗めのそういう部屋に入ってきて「きゃーホントにヤッてる〜」なんて騒ぐこと(無粋というか、ブスなことこのうえないです)、(3)あそこの店ではこんなハレンチなことやってるらしいよなどと言ってバカにすること(もしその場に、そのお店に行ってる人がいたとしたら、どんな気持ちがするか…)。やめましょう。ダメ、絶対。



自由を愛して
 
 長年生きてきて思うのは、世の中でいちばん大事なことって「自由」なんじゃないか、ということです。
 思想・信条の自由。表現の自由。居住・移動の自由。職業選択の自由(40代以上の方はきっと「あははん」と言いたくなるハズ)。憲法で自由が保障されているおかげで、地方で息苦しさや生きづらさを感じていたゲイの僕は、東京に引っ越して、いろんな仕事をして、今に至っています。
 世間の人たちは当たり前に享受しているけどぼくらには認められていないことがあります。それが結婚の自由です。g-lad xxでは、2014年に青森のレズビアンカップルが市役所に婚姻届を提出して社会に一石を投じた時から「結婚の自由をすべての人に」訴訟の始まり、各地の地裁・高裁の判決や院内集会などのこと、直近の最高裁大法廷回付の決定まで、できるだけ詳しく結婚の自由を求める運動についてお伝えしてきました。
 
 結婚の自由だけではありません。(くどいかもしれませんが)性の自由も大事です。
 海外では全裸で自転車に乗って公道を走る大会があったり、プライドパレードにナチュリスト(ヌーディスト)が参加してたり、ゲイイベントでGOGOがペニスを振り回したりポルノスターによる本番ショーが行なわれたりしてますし、アダルトビデオや漫画、SNS投稿などでも(ゾーニングや警告を行なったうえで)フルヌードが当たり前になっていますが、日本ではこのようなことが厳しく取り締まられ(一般市民の目に触れない乱交パーティやハッテン場すら摘発される始末)、AVや漫画、SNS投稿などでもモザイク・黒塗りの処理を施さないと逮捕されてしまいます。ひとことで言うと、性行動や性表現が理不尽に規制され、自由がないのです(反対署名も行なわれています。よろしければサイトを見てみてください)
 
 世田谷区議の上川あやさんがよく「黙っていても権利が上から降ってくることはない」と言っているように、いま認められている自由や権利の多くは先人たちが声を上げたり運動したりして勝ち取ってきたものです(『虎に翼』を観るとよくわかりますよね)。つい30年くらい前までは世間にカムアウトするなんて考えられず、好きな人と一緒に暮らすことも難しかったのですが(地方で無理心中したカップルもいたという話も聞いています)、今はゲイのパートナーシップを自治体が承認して証明書を発行してくれたり、共同で家を買ったり、生命保険の受取人にパートナーを指定することもできるようになりました。ここまでゲイの自由や権利が認められるようになったのは、ひとえに、パレードをやったり、声を上げたり、自治体や議員に働きかけたり、さまざまな活動をしてきたみなさんのおかげです。
 
 逆に、憲法に「憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と書かれているように、当たり前だと思っていた自由も、不断の努力を続けなければ、なくなってしまう可能性があるということ。今、憲法で保障された人権や自由が奪われる時が迫っているかもしれないという不安や危機感をひしひしと感じている方は少なくないはずです。改憲、独裁、全体主義には要注意です。
 『チェチェンへようこそ』という映画で独裁的な専制国家であるロシアのチェチェン共和国でのゲイ虐殺の実態を描いたデヴィッド・フランス監督は、自由と民主主義を守ることがLGBTQの未来の唯一の希望であるということを語っています。
 今ある自由が失われないよう、また、欧米や台湾・タイと同じくらいゲイが自由に生きられる社会が実現するようにしていきたいですよね。

 

最後に

 米国とイスラエルが始めた大義なき戦争ゆえにエネルギー危機(原油やナフサが入ってこなかったり、電気が止まったり)や経済危機(景気は悪化するのに物価がどんどん上がる)、医療危機(透析患者の命の危機、そして医療用品不足によって事故で怪我をした人の手術ができないなどあらゆる人々が影響を受ける可能性)、食糧危機などが懸念されています。この先、世界は一体どうなってしまうのか…日本はこの危機を乗り越えられるのか…。
 
 4月から上京して一人暮らしを始める方も多いと思いますが、せっかく希望に胸をふくらませて、これからたくさん遊んだり出会ったりしようとしていたのに、震災やコロナ禍をも凌駕する未曾有の危機に直面したら…目も当てられないですよね。計画停電となれば、お店も開かなくなったり、イベントも中止になったりすることでしょう。そんな状況で、友達や頼れる人もなく、不安を抱え、眠れない夜を過ごす方も出てくるのでは…と心配です(杞憂であればいいのですが…)
 
 ただ、知っておいてほしいのは、LGBTQコミュニティは震災やコロナ禍に際しても、温かくも素敵なさまざまな動きを見せてきたということです。
 震災の際は、避難所でパートナーと一緒にいることができなかった方(安否確認ができず不安だった方)、男/女に分かれているお風呂を使えなかったり、手術後のケアができなかったトランスジェンダーの方、抗HIV薬が手元になく、中断を余儀なくされたHIV陽性者の方のことなどがありました。しかし、そういうなかでも、仙台のコミュニティセンターの方たちが奇跡的に数日でセンターを復旧させ、不安な人たちの拠り所となったり、レインボーエイドという団体が立ち上げられて被災地の当事者の支援やシンポジウム開催などの活動をしたり、東北各地にLGBTQ団体ができて、被災した当事者の声を集めたり、さまざまな支援が行なわれました。
 コロナ禍の際は、いち早く#SAVEthe2CHOMEというプロジェクトが立ち上がり、二丁目のお店に向けた勉強会が開催されたりしました。Marriage For All Japanが緊急アンケートを実施し、コロナで病院に運ばれたパートナーの安否を教えてもらえなかったという話や、職を失って仕方なく実家に帰ったものの理解のない親元でつらい思いをしたり、LGBTQの仲間と会うことができなくなって孤絶したり、SNSも誹謗中傷だらけで見るのをやめてしまったり…といった実態が浮き彫りになり、支援策につながりました。各地でオンラインのミーティングも立ち上げられました。
 
 今年、これからやってくるかもしれない災厄に対しても、必ずLGBTQコミュニティで何かしらの「助け合い」的な動きがあるはずです。「大変なのはみんな同じ」と思って我慢したり、独りで悩みを抱えてしまわず、ゲイバーのマスターでもいいですし、コミュニティセンター(aktaプライドハウス東京レガシー)の方などでもいいと思いますので、誰かにつながり、相談するようにしましょう。
 
 一人ひとりは弱い存在ですが、仲間とつながって知恵を出し合ったり助け合ったりすることで人間は生き延びてきました。この世界の人たちも、ゲイどうしでつながって支え合える温かい仲間たちだということを忘れないでください。ですから、最初は二丁目に馴染めなかったりついていけなさを感じることもあったりするかもしれませんが、ぜひ、あきらめず、気長につきあってみてください(自分を愛し、このコミュニティを愛してください)

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